作品一覧 公開作品 2262 9 10 11 12 水鉄砲をふたつもらった 午前中最後の電話は彼女からだった。 「会いましょうよ。久しぶりに」 と、彼女は言った。 桜が終… 読 む 国語辞典で過ごすひととき ワードプロセサーが置いてあるデスクから手の届くところに、国語辞典が二冊ある。一冊は角川書店の『国語… 読 む ホテルの部屋で浴室の鏡に映る自分 午後の一時から二時までのあいだに、東京駅から東海道新幹線に乗る。いつもそうだ。もはや儀式になってい… 読 む 僕がまだお利口だった頃 いまからゆうに半世紀を越える昔、電車ごっこという遊びがあった。自分の前にいる人の肩、あるいは腰に両… 読 む 三十年ぶりの歯痛 歯が痛くなった。結論をまず書いておくと、虫歯だ。これまで虫歯は一本もなかったのだが。下顎の左右、い… 読 む B面って、なんですか 僕がこれまで書いてきた数多くの短編小説のなかに、『アビー・ロードのB面』そして『B面の最初の曲』と… 読 む ワープロというものをめぐって 僕は自分のことをいっさいなに者でもないと思っている。なに者でもないかわりに、僕自身ではあるだろう、… 読 む 中古のLPというミステリー 自分でLPレコードを買い始めたのは高校生の頃からだ。その十年くらい前から、すでにLPの時代だった。… 読 む タイプライターを買った タイプライターを買った。今回は手動のものだ。手動のタイプライターを買うのは久しぶりだ。長いあいだ電… 読 む 原稿用紙について思う この短いエッセイを僕はワープロで書いている。ワープロという言いかたを僕は好まないが、電子式文書作成… 読 む なぜ古書店に入るのか 街を歩いていて新刊本の書店があっても、僕は入らない。しかし古書店には、かならず入る。古書店にもいろ… 読 む アメリカの広告物語 3 僕を大人にしてくれたパーカー51 一九四七年十一月三日号の『ライフ』に掲載された、パーカー万年筆の広告だ。万年筆とシャープ・ペンシル… 読 む アメリカの広告物語 2 グレイハウンドの旅 カリフォルニアからニューヨークまでグレイハウンドで旅をすると、あの広い国を、その横幅いっぱいに地べ… 読 む アメリカの広告物語 1 ポータブル・ラジオの時代 一九四九年のアメリカの雑誌に掲載された、モトローラ社のポータブル・ラジオの広告を、いま僕は見ている… 読 む 庭にあるタイル張りの箱 水着姿の裕美子は廊下から居間へ入った。そしてソファに囲まれたテーブルへ歩いた。父親より三歳だけ年上… 読 む 新しいリスナーのためのボブ・ディラン ボブ・ディランという名前を僕が最初に知ったのは大学生の頃だった。ニューヨークの新聞に彼についての短… 読 む 僕のクレヨン・ボックス ア・グラス・オブ・ウオーター 八月の東京をぼくといっしょに歩きながらアメリカの友人が「東京にはウオーター・クーラーがなくて困る」… 読 む 歌謡曲が聴こえる 来日記念盤、という日本(承前) カーメン・キャヴァレロは一九六六年に四度目の来日公演をおこなっている。一九六〇年代の初めから一九七… 読 む 歌謡曲が聴こえる 来日記念盤、という日本 外人歌手の置きみやげ その中古レコード・CD店の広いスペースのいちばん奥は、シングル盤の置いてあ… 読 む 歌謡曲が聴こえる 「カヴァー・ソングの女王」ちあきなおみ 幸せな、遭遇の瞬間 一九八〇年代の後半に入って一年ほど、つまり一九八六年あたりだったのではないか… 読 む 歌謡曲が聴こえる 由紀さおりとピンク・マルティーニ 聴衆が持つ感覚の触手 楽器編成とは編曲のことだ。あるひとつのバンドが、基本的にどのような楽器編成… 読 む 散歩して迷子になる 40(最終回) 現在に過去と未来を重ねるには 僕が自分で書く小説の材料はすべて自分のなかにある、という話はすでに何度も書いた。自分のなかとは、こ… 読 む 散歩して迷子になる 39 若年労働者と一枚の小切手 僕が自分で書いた文章に対して、報酬が支払われた最初の例は翻訳だった。アメリカの主としてハードボイル… 読 む 散歩して迷子になる 38 フィクションの人になりたい 自宅でデスクに向かい、ひとり小説の原稿を書いている僕という人は、現実の日常を生きているこの生き身の… 読 む 散歩して迷子になる 37 短編小説を書く途中で 自分で書く小説のための材料は、少なくとも書き始める段階にまでいたれば、すべて自分のなかにある。そし… 読 む 9 10 11 12