お知らせ
2021.4.9
2021.4.8
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1941年、日本海軍航空隊によるハワイ・オアフ島の米軍基地に対する奇襲攻撃(真珠湾攻撃)は、日本時間12月8日午前3時9分に実行されました。この時現地は朝の7時49分。市民の日常が非日常に変わる瞬間は突然やってきます。
日本でもおなじみの「キャンベル」の缶詰スープ。太平洋戦争の時期、このキャンベルのスープはアメリカから海外に向け、絶え間なく輸送されていました。米陸軍が行動中の兵員に配給する「コンバット・レーション」(いわゆる野戦食)として。
太平洋戦争の時代、米軍の携行野戦食は各種の食材が四角くパッケージされていました。そこには食品業界が戦争遂行を支えるために行った大変な努力があり、それは戦中戦後のアメリカ人の食生活にも大きな影響を与えます。
どんな事態にせよそれを引き起こした原因(コーズ)と、引き起こされた結果(エフェクト)とが、常に一対としてあります。戦争もそうだ、と『ライフ』の記者であったロジャー・ローゼンブラットは語ります。
戦争はどんな事情があろうと許されるものでありません。それを理解してなお私たちが戦争の写真に惹きつけられるのはなぜでしょう。第二次大戦中、米海軍は写真家のエドワード・スタイケンを隊長とする写真部隊を編成し、太平洋戦争の記録を残しました。
戦後の日本はひたすら経済活動に邁進し、諸外国との間でも経済を主軸とした関係を築きました。しかし今後は「言葉の関係」に入らざるを得ず、そこには真珠湾が教えてくれる「ひとつの事実」があります。
太平洋戦争が終わったその年、戦後の小学校で初等教育を受けたというある紳士。彼は「民主主義」を、自身の身の上に舞い降りてきたある出来事でその意味を実感したといいます。その出来事とは……。
デジタルなら何でもできる
そう言われて何にもできなかった
技術がやれることじゃない
人間が向き合ってやることなんだ
ひとりの作家と手を組もう
きっとこの積み重ねが未来の扉だ
ボイジャーは、デジタル出版の使命として
この仕事に取り組んでいます