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片岡義男.com 全著作電子化計画

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評論・エッセイ

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作品一覧

公開作品 2266

散歩して迷子になる 40(最終回) 現在に過去と未来を重ねるには

散歩して迷子になる 40(最終回) 現在に過去と未来を重ねるには

 僕が自分で書く小説の材料はすべて自分のなかにある、という話はすでに何度も書いた。自分のなかとは、こ…

散歩して迷子になる 39 若年労働者と一枚の小切手

散歩して迷子になる 39 若年労働者と一枚の小切手

 僕が自分で書いた文章に対して、報酬が支払われた最初の例は翻訳だった。アメリカの主としてハードボイル…

散歩して迷子になる 38 フィクションの人になりたい

散歩して迷子になる 38 フィクションの人になりたい

 自宅でデスクに向かい、ひとり小説の原稿を書いている僕という人は、現実の日常を生きているこの生き身の…

散歩して迷子になる 37 短編小説を書く途中で

散歩して迷子になる 37 短編小説を書く途中で

 自分で書く小説のための材料は、少なくとも書き始める段階にまでいたれば、すべて自分のなかにある。そし…

散歩して迷子になる 36 孤独という状態の有効活用

散歩して迷子になる 36 孤独という状態の有効活用

 これから書くような内容のことをめぐって、僕に一般論は書けない。一般論を書くこと、あるいは、書こうと…

散歩して迷子になる 35 西伊豆でペンを拾ったら

散歩して迷子になる 35 西伊豆でペンを拾ったら

 そのとき僕は二十六歳だった、ということにしておこう。架空の話ではなく、過去の現実として。正確に何歳…

散歩して迷子になる 34 主人公とはいったい何者なのか

散歩して迷子になる 34 主人公とはいったい何者なのか

 僕がいつから小説を書き始めたのか、はっきりした起点を見つけるのは、自分自身にとっては難しい。いつと…

散歩して迷子になる 33 小説はこうして生まれるのか

散歩して迷子になる 33 小説はこうして生まれるのか

 僕はいまでもいろんな文章を書いている。書き始めてから四十年以上になる。それだけ続けているからには、…

散歩して迷子になる 32 四百字詰原稿用紙で三十六枚

散歩して迷子になる 32 四百字詰原稿用紙で三十六枚

 書店で一般に市販されている雑誌に僕が最初に書いた文章は、自分の文章ではなく翻訳だった。ここで当人に…

散歩して迷子になる 31 否も応もなくそれが自分

散歩して迷子になる 31 否も応もなくそれが自分

 東京の信濃町にいまもある慶応病院で僕は産まれた。母親がここで産みたいと強く主張したから慶応病院にな…

散歩して迷子になる 30 自分で支える自分自身のすべて

散歩して迷子になる 30 自分で支える自分自身のすべて

 いつ頃のことだったか、思い出そうとすることに意味はほとんどない。ずいぶん前、としか言いようはない、…

散歩して迷子になる 29 なぜ僕はこうも買い込むのか

散歩して迷子になる 29 なぜ僕はこうも買い込むのか

 アメリカで出版されたペイパーバックを古書として東京で買うことを、僕はいまでも続けている。この場合の…

散歩して迷子になる 28 僕はいつから「自分」になったのか

散歩して迷子になる 28 僕はいつから「自分」になったのか

 二十代の始めから三十代の始めにかけての自分をめぐって、現在の僕が書いていく作業が、この連載としてす…

散歩して迷子になる 27 言葉で僕はなにをしたいのか

散歩して迷子になる 27 言葉で僕はなにをしたいのか

 大学を卒業して自動的に就職した会社を三か月で辞めたことに関して、自分には適性がなかったからだ、と僕…

散歩して迷子になる 26 かたちのないもの、という幸せ

散歩して迷子になる 26 かたちのないもの、という幸せ

 大学を卒業して自動的に商事会社に就職した僕は、会社勤務の初日から、仕事で多忙な日を送った。あのよう…

散歩して迷子になる 25 若年労働者の勤勉なる日々

散歩して迷子になる 25 若年労働者の勤勉なる日々

 僕が中学校を卒業したのは一九五五年だ。高校への進学率はまだ低かった、と記憶している。統計的な数字は…

散歩して迷子になる 24 一九六〇年代、青年と鉛筆

散歩して迷子になる 24 一九六〇年代、青年と鉛筆

 一九六〇年代の十年間は僕の二十代と重なっている。一九六〇年の僕は大学の二年生だった。一九六一年、三…

散歩して迷子になる 23 ひとり外に出て孤立する

散歩して迷子になる 23 ひとり外に出て孤立する

 一九七三年の秋の初めだったろうか、来年の春に新しい文芸雑誌を創刊するから、きみはそこに小説を書け、…

散歩して迷子になる 22 材料はすべて自分のなかにある

散歩して迷子になる 22 材料はすべて自分のなかにある

 日本における大衆の時代は昭和十二年(一九三七年)に始まった、という文章をかつて僕はどこかで読み、い…

散歩して迷子になる 21 青年と世のなか、そして日本語

散歩して迷子になる 21 青年と世のなか、そして日本語

 あと数日で二十三歳になる、という頃に大学の卒業式があった。式が終わるまではまだその大学の学生なのだ…

散歩して迷子になる 20 自分を蒸留して残った一滴、二滴

散歩して迷子になる 20 自分を蒸留して残った一滴、二滴

 高校生として過ごした三年間はたいそう楽しいものだった。よく遊んだからだ。遊んだとは、遊興にふけった…

散歩して迷子になる 19 モラトリアムという助走路

散歩して迷子になる 19 モラトリアムという助走路

 一九五三年の夏、十三歳のとき、少年時代の入口に立った僕は、自分の言葉は日本語でも英語でもどちらでも…

散歩して迷子になる 18 一九五三年からの日本語

散歩して迷子になる 18 一九五三年からの日本語

 一九四四年の秋深くに、僕は東京から山口県の岩国へ疎開した。数年後には広島県の呉へ移り、一九五三年の…

散歩して迷子になる 17 ふたつの日本、ふたつの言葉

散歩して迷子になる 17 ふたつの日本、ふたつの言葉

 幼い僕が物心ついた時期は、太平洋戦争での日本の大敗戦と重なっている。僕というひとりの人の戦後史を、…

散歩して迷子になる 16 なぜ買うのか、それが問題だ

散歩して迷子になる 16 なぜ買うのか、それが問題だ

 太平洋戦争で大敗戦を喫したあとの戦後の日本で、僕の父親はGHQ民生局の職員として、占領アメリカ軍の…