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評論・エッセイ

散歩して迷子になる 20 自分を蒸留して残った一滴、二滴

 高校生として過ごした三年間はたいそう楽しいものだった。よく遊んだからだ。遊んだとは、遊興にふけった、というような意味ではなく、したくないことは可能な限りしないですませた、という意味だ。したくないことはほとんどしないのだから、時間の大部分は自由時間だ。では三年分の自由時間のなかでなにをしたのかとなると、平凡な毎日として連続する日常のなかを、ぼんやりと過ごしたとしか言いようがない。
 成長していく少年の身辺には、したくないことはしないで済ませる、という種類の自由の領域が、少しずつ広がっていったようだ。周囲にいるさまざまな大人…

『図書』二〇〇九年十一月号

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