幸せな、遭遇の瞬間
一九八〇年代の後半に入って一年ほど、つまり一九八六年あたりだったのではないか。いくつかの手がかりを僕なりにたどると、この年代が浮かび上がる。誤差はあるとしても前後合わせて一年だ、と言っておく。その頃に住んでいた家には居間のようなスペースがあり、そこはキチンとひとつになっていて、食事をするためのスペースもそこにあった。だから僕にとってそこは食事の場所であり、それ以外にはキチンでコーヒーを淹れるほかに、立ち入る用事のない場所だった。
コーヒーあるいはなにかほんのちょっとした用事…
『新潮45』二〇一二年七月号