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評論・エッセイ

散歩して迷子になる 31 否も応もなくそれが自分

 東京の信濃町にいまもある慶応病院で僕は産まれた。母親がここで産みたいと強く主張したから慶応病院になった、という話をずっと以前に聞いた。やや高年齢での出産だったから、自分がもっとも安心出来るところで産みたかったのだろう。自宅は目白にあり、僕は五歳までそこで過ごした。五歳の春先、あるいは四歳の冬の初めに、幼い僕は両親とともに東京をいったん引き上げ、祖父の出身地であった山口県の岩国へ移った。戦争はすでに始まっていた。東京への爆撃は激しさを増していた。岩国へ移ったのは、それを逃れるための疎開だった。岩国は場所によっては東京よりもはるかに、爆…

『図書』二〇一〇年十月号

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