作品一覧 公開作品 2123 3 4 5 6 片岡義男のぼくのお気に入り道具たち 自分の好きなナイフを見たり持ったりすると、そのたびになぜだか、なつかしくなる… ぼくが持っているナイフのうち、ならべて写真に撮って、なんとかさまになるものだけを一堂に集めると、こ… 読 む 万年筆、インク、そしてノートブック 小説のためのメモを書くのに僕はいま万年筆を使っている。自分の字とその書きかた、そしてその字の用途の… 読 む 僕はかつてボールペンだった ボールペンというものを僕が初めて手にしたのは、八歳あるいは九歳くらいの頃ではなかったか。ボールペン… 読 む 雨の歌を探す 雨の日の午後に喫茶店で待ち合わせた人が、一杯のコーヒーのあいまに、 「雨の歌は日本にいつ頃からある… 読 む 鼻の出来ばえと交際交流 三日に一度はベルギー・ワッフルの店の前を歩く。いつも行列が出来ている。つい先日は四十人ほどの行列の… 読 む 僕はいったい何者なのか 二、三年前、当時の僕が書いたいくつかの短編小説を新聞で批評した文芸評論家が、いまにいたってもこのよ… 読 む 日本語で歌ってます ブレンダ・リーが『薔薇色の人生』を日本語で歌う七インチ盤のレコードに、中古レコード店のリアル店頭で… 読 む 丁寧に誠実に淡々と 彼は二十五歳で結婚した。奥さんはひとつだけ年下だった。結婚してちょうど三十年が経過し、彼は五十五歳… 読 む 猫は鰯をくわえる いまから三十年ほど前、まだ鰯が大量に収穫され、その多くが飼料になっていた頃、漁港を見たくなった僕は… 読 む 床屋ですか美容院ですか 三十五歳の夏の午後、僕は世田谷の下北沢という場所の南口商店街を、駅に向けて歩いていた。駅に向かうと… 読 む 水鉄砲をふたつもらった 午前中最後の電話は彼女からだった。 「会いましょうよ。久しぶりに」 と、彼女は言った。 桜が終… 読 む 国語辞典で過ごすひととき ワードプロセサーが置いてあるデスクから手の届くところに、国語辞典が二冊ある。一冊は角川書店の『国語… 読 む ホテルの部屋で浴室の鏡に映る自分 午後の一時から二時までのあいだに、東京駅から東海道新幹線に乗る。いつもそうだ。もはや儀式になってい… 読 む 僕がまだお利口だった頃 いまからゆうに半世紀を越える昔、電車ごっこという遊びがあった。自分の前にいる人の肩、あるいは腰に両… 読 む 三十年ぶりの歯痛 歯が痛くなった。結論をまず書いておくと、虫歯だ。これまで虫歯は一本もなかったのだが。下顎の左右、い… 読 む B面って、なんですか 僕がこれまで書いてきた数多くの短編小説のなかに、『アビー・ロードのB面』そして『B面の最初の曲』と… 読 む ワープロというものをめぐって 僕は自分のことをいっさいなに者でもないと思っている。なに者でもないかわりに、僕自身ではあるだろう、… 読 む 中古のLPというミステリー 自分でLPレコードを買い始めたのは高校生の頃からだ。その十年くらい前から、すでにLPの時代だった。… 読 む タイプライターを買った タイプライターを買った。今回は手動のものだ。手動のタイプライターを買うのは久しぶりだ。長いあいだ電… 読 む 原稿用紙について思う この短いエッセイを僕はワープロで書いている。ワープロという言いかたを僕は好まないが、電子式文書作成… 読 む なぜ古書店に入るのか 街を歩いていて新刊本の書店があっても、僕は入らない。しかし古書店には、かならず入る。古書店にもいろ… 読 む アメリカの広告物語 3 僕を大人にしてくれたパーカー51 一九四七年十一月三日号の『ライフ』に掲載された、パーカー万年筆の広告だ。万年筆とシャープ・ペンシル… 読 む アメリカの広告物語 2 グレイハウンドの旅 カリフォルニアからニューヨークまでグレイハウンドで旅をすると、あの広い国を、その横幅いっぱいに地べ… 読 む アメリカの広告物語 1 ポータブル・ラジオの時代 一九四九年のアメリカの雑誌に掲載された、モトローラ社のポータブル・ラジオの広告を、いま僕は見ている… 読 む 庭にあるタイル張りの箱 水着姿の裕美子は廊下から居間へ入った。そしてソファに囲まれたテーブルへ歩いた。父親より三歳だけ年上… 読 む 3 4 5 6