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評論・エッセイ

先見日記 富士山の前の根なし草

 4月のある雨の日、『白浪五人男』の三幕九場を、歌舞伎座で通して見た。席は最前列で、緞帳の富士山のまんなかから右へ、席の数で5人分ほどずれた位置だった。
 席にすわってうしろを振り返り、2階の正面、最前列で見るのもいいかな、などと思っていたら、すぐうしろの席にひとりでいた年配の女性が、気さくに話しかけてきた。声の質、その出しかた、話しかけるにあたっての最初の言葉の選びかた、そしてそこからの展開のしかた、といったことすべてを、話しかけられた瞬間に受けとめるのだが、受けとめたその瞬間、僕は自分の根なし草かげんを痛感することと…

『先見日記』二〇〇四年五月四日