VOYAGER

片岡義男.com 全著作電子化計画

MENU

評論・エッセイ

先見日記 僕はなぜこうなのか

 僕は文章を書くことを仕事にしている。どんなことを書くのですか、という問いがあるとしたら、悲しい、うれしい、というようなことは書かない、と答えよう。そんなことは書いてもしょうがない、と思っている。書きたくもない。したがって書かない。抒情や情緒を書くのではなく、ああ思った、こう思ったでもなく、きっとそうだろう、などでもない。醒めきった目にはそんなものは見えないからだ。
 醒めきった目、と言うときの、「きった」という語尾は、抒情や情緒だろうか。醒めていることを強調するだけではなく、その強調に意味を持たせる機能を果たしている。…

『先見日記』二〇〇三年八月五日