先見日記 僕はなぜこうなのか
僕は文章を書くことを仕事にしている。どんなことを書くのですか、という問いがあるとしたら、悲しい、うれしい、というようなことは書かない、と答えよう。そんなことは書いてもしょうがない、と思っている。書きたくもない。したがって書かない。抒情や情緒を書くのではなく、ああ思った、こう思ったでもなく、きっとそうだろう、などでもない。醒めきった目にはそんなものは見えないからだ。
醒めきった目、と言うときの、「きった」という語尾は、抒情や情緒だろうか。醒めていることを強調するだけではなく、その強調に意味を持たせる機能を果たしている。…
『先見日記』二〇〇三年八月五日
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