作品一覧 公開作品 2227 60 61 62 63 デュラム、セモリナ、アル・デンテ 私はスパゲッティが好き、と言うならその言葉の裏づけとして、『文化麵類学ことはじめ』(石毛直道著、一… 読 む 万年筆のインクを探す 片岡義男が『万年筆インク紙』という本を書くにあたり、パーカーのインクについて調べた際に呼び起こされた… 読 む 日本の醬油をタレに使って焼きあげたハンバーガーは、キッコバーガーと言います。 キッコバーガーという言葉を、つい最近、はじめて見た。ほほう、ついにやったかと、ちょっとした感銘のよ… 読 む なぜそんなにミントなのか タイトル通り、これは片岡義男によるミントのコレクション。ミントが殊更好きなわけではないのに、被写体に… 読 む ノートブックとポテトチップス ノートブックとポテトチップスという組み合わせには普遍性のようなものがある、と考えた片岡義男による、N… 読 む 昔のカレッジ・ボーイたちは、昔ふうの顔をして昔ふうのことを楽しんでいた、というお話。 一九五〇年代アメリカの大学生たちのあいだに大流行した、パンティ・レイドを知っているだろうか。知らな… 読 む 「真珠湾」よりも大切なこと いま必要なのは“言葉の関係”に入ること ハワイのオアフ島、真珠湾のアメリカ軍基地を、日本軍が奇襲… 読 む 日本の女性たちがアメリカについて書いた本をていねいに読むと面白い。ぜひ読んでみてください。 なんらかのかたちでアメリカをテーマにした、日本人の著者による本が、日本でたくさん刊行されている。こ… 読 む 僕にはレモネードをください レモネードという言葉を知って以来、数十年経って初めて日本語でレモネードという言葉を聞いたという片岡義… 読 む なぜ写真に撮るのか タイトルの「なぜ写真に撮るのか」は、何故、片岡義男はこんな風に写真を撮るのかについての説明を意味して… 読 む 音楽ではないレコードにきざんである溝に、アメリカの心意気をいまでも見つけることができる。 アメリカのレコード店には、音楽ではないレコードの一角が、かなり大きくとってある。朗読のレコード、ド… 読 む 日本の夏の夜、ディズニーランド・レコードを聴いてすごした二時間。ミッキーもドナルドも、みんな元気だった。 梅雨が明けた。急に暑くなった。日本の夏だ。素晴らしい。湿気が、じつにいい。独特の重さをたたえたこの… 読 む 白い縫いぐるみの兎 一九四五年の二月の後半、五歳の子供だった僕は、両親とともに東京駅から汽車に乗り、途中で一度も乗り換… 読 む リコラ 「東京を撮る」の連載では、『リコラの六色』で主役を務めたスイスのハードキャンディ「リコラ」が再び登場… 読 む 写真に撮ってみた 38回目の「東京を撮る」は、ブツ撮りとはどういうことかを、写真と文章で丁寧に説明してくれているようで… 読 む 僕はこうして日本語を覚えた 日本で育っている子供は、その子供をいつも取り巻いている日常のなかで、日本語を覚えていく。身辺にいる… 読 む 風がそこに吹いている 1 そこにいるのは自分ひとりだけという他に人のいない状態を寂しいと言うなら、それはlonesome… 読 む 僕はチャーリー・ブラウンなのだから 僕が『ピーナッツ』を読み始めたのは、一九五六年ないしは一九五七年のことだった。どちらの年だったにせ… 読 む TVの記憶をふたつ 当時の僕の仕事場はたいそう快適だった。東の端にあった階段を二階へ上がり、まっすぐの廊下を西へ向けて… 読 む あるのか、ないのか ある、という日本語について考えてみた。問題とされているその物がどこかに存在していることを、ある、と… 読 む 電車に乗れば英語の勉強 平日の午後、いつもの私鉄の電車に乗る。空いている時間だから座席にすわり、ぼんやりしていると、車掌の… 読 む 『ピーナッツ』を語る 一生もののつきあい 『ピーナッツ』の連載が始まったのは一九五〇年十月二日だったという。アメリカ各地の七つの新聞に、『ピー… 読 む 午後五時の影 ぽっちゃり、という日本語をなんとか英語で言うことは出来ないか、と考えた時期があった。いまから二十年… 読 む 今日この頃だから 今回の「東京を撮る」は、写真に撮ることを前提とした片岡義男の日常のエッセイになっています。ある意味、… 読 む すでにそうなってそこにある 一九四九年に製作された『黄色いリボン』というアメリカの西部劇が日本で公開されたのは一九五一年、昭和… 読 む 60 61 62 63