作品一覧 公開作品 2091 78 79 80 81 菖蒲湯そして乾杯 端午の節句には京都にいた。なんの用件も目的もないまま、ただでかけてみたくなってやってきた京都だった… 読 む オードリーの記憶 アメリカの『ヴォーグ』の一九九三年四月号を見ていたら、オードリー・ヘップバーンについての記事があっ… 読 む 第九条 僕が小学校の一年生だったとき、「天皇は日本の国のシンボルです」と、先生が教えてくれた。シンボルとい… 読 む 日本史のなかの最初の国民投票 二〇〇四年一月六日(*日付については、「まえがき」参照) 二〇〇三年十一月の総選挙で使われた自民… 読 む そして国家がなくなった 二〇〇四年三月十五日(*日付については、「まえがき」参照) 一九九一年の湾岸戦争のあと、「国際社… 読 む 手帳のなかのお天気 表紙で計って縦が七十ミリ、横が百五ミリ、そして厚さは十五ミリ。一ページのスペースはこれよりひとまわ… 読 む ノートブックに書きなさい、とツバメが言う 僕はツバメノートも愛用している。百四十八ミリに二百十ミリの二百ページ、三百八十九円というタイプだ。… 読 む デリア・エフロンの二冊の本が描く、アメリカの子供の世界 デリア・エフロンの二冊目が出た。今度のタイトルは『ティーンエイジ・ロマンス』という。アメリカでは一… 読 む リトル・ゴールデン・ブックスを開くと子供の頃のぼくがいる リトル・ゴールデン・ブックスを開くと子供の頃のぼくがいる まだごく幼い頃のぼくにとって、大き… 読 む 一冊の素晴らしい本を読んだ。そして僕は、地球に別れを告げる旅に出た 忘れもしない一九六八年、僕はレイチェル・カースンの書いた『サイレント・スプリング』(邦訳は新潮文庫… 読 む 道路への関心と小説 『佐多への道』という本を何年かまえに僕は英語で読んだ。アラン・ブースというイギリスの人が、北海道の宗… 読 む アイダホ州のジャガイモ アメリカの北西部、アイダホ州の南部をスネーク河が流れている。東から西へゆるやかなカーブを描いて流れ… 読 む ベティがあんなに走ってる! 映画雑誌に記事を書くという約束のもとに、『マイ・ライフ』を試写室で観た。とてもよくできた面白い映画だ… 読 む 海岸にて、というタイトルでなにか書いてください いつもの街で、ふたりは昼すぎに会った。四月十七日、気温の高い、気持ちよく晴れた美しい日だった。海岸… 読 む 小さな白い落下傘 いまぼくはタンポポの実を見ている。タンポポの実は、透明なアクリルの直方体のなかに閉じこめてある。幅… 読 む 植草さんの日記に注釈をつける 『植草甚一スクラップブック』というタイトルで、かつて植草さんの全集が刊行された。一九七〇年代のなかば… 読 む ホノルルのダウンタウン、キングス・ベーカリーから、ハワイアン・スィート・ブレッドをお届けします ホノルルに、キングス・ベーカリーというパン屋さんがある。パン、ケーキ、クッキー、ドーナツ、パイなど… 読 む 渋谷から京橋まで眠る 自宅からバス停留所までものの三分だ。バスで渋谷まで、普通は十五分だ。十分おまけして、二十五分か。そ… 読 む 彼の後輪が滑った オートバイに触発された十四篇の短文集。春の風に散る桜の花びらから、ノートン・コマンドの変速比まで、… 読 む 「弱い円が日本の政策である」 二〇〇三年十一月十日(*日付については、「まえがき」参照) 円とドルの関係をめぐる記事を新聞から… 読 む なにもなしで始めた ひとり立ちという自立を曲がりなりにも始めたのが、僕の場合は大学を卒業した頃だったとすると、その頃の… 読 む 人生は引っ越し荷物 僕は久しぶりに引っ越しをした。五丁目から二丁目まで、歩いて五分かからない距離の引っ越しだ。五丁目の… 読 む いまも思い出す、あのひと言 僕がまだ二十歳か二十一歳だった年の、もうそれほど寒くはない季節、三月の誕生日が過ぎたばかりの頃のよ… 読 む とてもいい友人どうし 彼と彼女は、そろそろ四十歳に近づく年齢の、同世代の日本人だ。どちらも二十代の後半に結婚し、どちらも… 読 む 4月1日 本物 一九六〇年代のなかばに、ホノルルのビショップ博物館で見た昔のハワイのサーフボードは、本物との対面、… 読 む 78 79 80 81