作品一覧 公開作品 1406 7 8 9 10 お外の道、という精神外傷がそこにある 三歳、そして四歳といった年齢の頃の僕がこのような道を歩くのは、乳母に手を引かれた散歩のときだった。 読 む 二〇〇三年一月五日、午後から夕方にかけて 地面と平行な視線をことさらになにかに向けてそこに到達させる装置、それが写真機だ。 読 む いったいなんのことだか 写真機を持って歩いていると、撮る行為に向けて、通常よりもはるかに濃密に、精神は増幅されている。 読 む グラフィックに撮ることの自由さ 具体物や具体性のいっさいから離れ、日常も生活も人々もなんら関係なく写真を撮ることが僕にはたいへん多い… 読 む 道、というタイトルはどうか 大きなもの、長いもの、広いものなどを、ひとつの小さな点にしてしまう快感は、確かに写真のものだ。 読 む 安心はどこまで続くか 建物の頂上から、黒地に黄色の端的な三文字が、民のかまども測も、すべてを啤睨している……。 読 む 写真機は現実を抽象化するか 現実にはもっと広い範囲で見えている光景を、百ミリのレンズで切り取ると……。 読 む せつなさを写真におさめて冬至かな おなじ景色をほぼおなじ画角で、数カット撮影したフレームのおしまいに、焦点をわずかにはずしたカットがあ… 読 む 大根と電柱が景色を作る フォトジェニックであるということは、景色を作るということにほかならない。八百屋の店先で群を抜いてフォ… 読 む 自分はなぜこの写真を撮ったか 二つの写真は、路面を底辺にして構成されている空間を斜めに見下ろして、おなじように撮影されている。 読 む 布張りの街 布という二次元による、二次元半のような世界の創出。壁面があればそこに掲げる。なにもない空間なら幟を立… 読 む 見開いた二ページという世界 人の視覚によるとらえかたは、左右のページを不断に交互している。それを繰り返すことでふたつの写真を視覚… 読 む これを撮れと光が言う フィルムにとらえた光景と現実の光景とのあいだに、撮る人の予測を越える乖離がどのくらい生まれるのか? 読 む けっして対比ではなく ふたつの景色をならべれば、そこに対比がほぼ自動的に生まれてしまうのを、僕はどうすることも出来ない…… 読 む 真実をディスプレーする装置 つい昨日まではそこにあった景色が、今日は跡かたもないのが東京だから、この景色もこれから先どうなるかわ… 読 む 時計とカレーライスの日 時計は誰もが自分の前方に持ちたいと願う、無事な時間の象徴だった。 読 む 東京情緒との逢瀬 この二点の写真の景色こそ東京の情緒だと僕は力説する。 読 む 秋の化粧に大根の幸せ 時は秋、場所は駅前商店街。二次元の化粧美人を撮った僕は……。 読 む 美しき脳故郷よ 僕は東京という脳の中に生きている。なぜなら……。 読 む 矛盾の美を愛でる 日本は矛盾の複合体だ。日本に個性が希薄だとは、どこを見て言っていることなのか……。 読 む 東京22章 中華料理店のウインドーにある、一杯のラーメンの食品見本を撮った写真を、つくづくと観察する。「ラーメン… 読 む 日本がまだまともだった頃の本を 太平洋戦争の敗戦後から昭和35年くらいまでの期間にかけての日本で出版された単行本を、僕はかなり好いて… 読 む ストロベリー・スカート ある年の夏の終わりに近い日、僕はある地方都市の駅裏の町なみを歩いていた。アーケードのある商店街を歩い… 読 む 光景のなかの個人的な文脈 そのときその場所での自分自身を撮影した写真よりも、はるかに強くそのときその場所での自分を感じる写真、… 読 む 日付、という不吉なもの 日付は不吉だ。ただ単にひとつの日付でしかなくても、それには意味があり過ぎるからだ。あるいは、ただ単な… 読 む 7 8 9 10