作品一覧 公開作品 2012 52 53 54 55 風がそこに吹いている 1 そこにいるのは自分ひとりだけという他に人のいない状態を寂しいと言うなら、それはlonesome… 読 む 僕はチャーリー・ブラウンなのだから 僕が『ピーナッツ』を読み始めたのは、一九五六年ないしは一九五七年のことだった。どちらの年だったにせ… 読 む TVの記憶をふたつ 当時の僕の仕事場はたいそう快適だった。東の端にあった階段を二階へ上がり、まっすぐの廊下を西へ向けて… 読 む あるのか、ないのか ある、という日本語について考えてみた。問題とされているその物がどこかに存在していることを、ある、と… 読 む 電車に乗れば英語の勉強 平日の午後、いつもの私鉄の電車に乗る。空いている時間だから座席にすわり、ぼんやりしていると、車掌の… 読 む 『ピーナッツ』を語る 一生もののつきあい 『ピーナッツ』の連載が始まったのは一九五〇年十月二日だったという。アメリカ各地の七つの新聞に、『ピー… 読 む 午後五時の影 ぽっちゃり、という日本語をなんとか英語で言うことは出来ないか、と考えた時期があった。いまから二十年… 読 む 今日この頃だから 今回の「東京を撮る」は、写真に撮ることを前提とした片岡義男の日常のエッセイになっています。ある意味、… 読 む すでにそうなってそこにある 一九四九年に製作された『黄色いリボン』というアメリカの西部劇が日本で公開されたのは一九五一年、昭和… 読 む 『ピーナッツ』の日めくりカレンダー 『ピーナッツ』の日めくりカレンダーをもう何年も使っている。いまこれを書いているワープロのある小さなデ… 読 む 英字表記による日本語 二〇一七年の五月だった、と思う。町田の東急百貨店の東側の建物の正面に回廊から入ると、そこはその建物… 読 む 日常的な日本語の語句の、きわめて勇敢な英訳 僕はうれしい。なぜかと言えば、じつに素晴らしいからだ。これを喜ばずにいることが出来るだろうか。慶事… 読 む WINTER SPECIAL SALE MAX 50%OFF 一九五六年の年末に近い時期に、板橋区にいまでもある大山銀座という商店街で撮影された一点の白黒の写真… 読 む パーマの帝国 「パ」と「マ」のふたつの片仮名に、音引きの縦棒「ー」を一本加えて作る「パーマ」という言葉は、まだ充分… 読 む 本を読む人 書評と言っても良いくらいしっかりと書かれた本に関するエッセイと、その本の写真による「本を読む人」の東… 読 む 読売新聞、金曜日夕刊 1 義 自分の名前にある義という字について。男のこが生まれたらヨシオにしよう、と父親は考えてい… 読 む 珈琲に呼ばれた 「珈琲に呼ばれた」 2008年の『珈琲が呼ぶ』は、発売後多くのメディアで取り上げられました。その中か… 読 む 白いプラスティックのフォーク ボール紙の箱の側面に「フォークス」と赤い英文字が内容を明記している。「フォーク」の複数だ。重苦しい… 読 む 昼寝のあとのポッキー いつも使っている私鉄の、普段は降りることのない駅で降りた僕は、きれいに晴れた気持ちの良い午後、駅前… 読 む 小説のなかの食事 永井荷風の『濹ぼく東とう綺き譚たん』には妙な導入部がある。導入部と言うか助走路と呼ぶべきか、小説の… 読 む 残りご飯のバター炒めと海苔の佃煮 一枚の写真が、なんらかのかたちあるいは意味で、物語のなかで重要な役を果たす短編小説をいくつか書き、… 読 む マンゴの似合う手 平日の夜十時前に、近くのスーパーマーケットでマンゴをひとつ買った。千三百円だった。完璧に熟した、た… 読 む ふたりの友人たちが撮った タイトル通り、二人の片岡義男の友人が撮った写真が6枚づつ、12枚の写真が並びます。友人とは、この連載… 読 む ジェロについて書くとは思わなかった ジェロを覆すものを僕はいまだに知らない。 ジェロについて書こうと思い、どんなふうに書いたらいい… 読 む ジェリー・ビーンズに紫色がない! ほんのちょっとした玩具のつもりで、ジェリー・ベリーというアメリカのジェリー・ビーンズを買ってみた。… 読 む 52 53 54 55