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片岡義男.com 全著作電子化計画

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評論・エッセイ

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作品一覧

公開作品 2012

体に悪い日本語

体に悪い日本語

 体に悪い食べ物、というものは確かにあるようだ。ごく普通の食べ物だと思われていて、多くの人が日常的に…

自殺するマヨネーズ

自殺するマヨネーズ

 日本の企業が作って売り出したヴィニールのチューブ入りのマヨネーズ、というものを初めて手にしたのはい…

マヨネーズ、という一語で終わる本

マヨネーズ、という一語で終わる本

 リチャード・ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』は、デル・ブックスというペーパーバック叢書のローレ…

日本におけるマヨネーズ階層

日本におけるマヨネーズ階層

 英文字で正しく綴られたマヨネーズという言葉を、マヨンナイセと読んでそのとおりに音声にした人を、いま…

いつ頃の三軒茶屋ですか

いつ頃の三軒茶屋ですか

2008年の三軒茶屋を、片岡義男は主にズームレンズの望遠側を用いて撮影した、その記録です。望遠側で撮…

リアル・マヨネーズの473ミリ・リットル

リアル・マヨネーズの473ミリ・リットル

 ベストフーズのマヨネーズを久しぶりに買った。ガラスの瓶に入っている。瓶の胴体に紙のラベルが巻いてあ…

焼き餃子とタンメンの発見

焼き餃子とタンメンの発見

 焼き餃子とタンメンは、東京・大田区の町工場地帯が発祥の地だと、ごく最近、人から聞いた。その人は戦後…

白い皿の朝食

白い皿の朝食

 僕は目を覚ます。ベッドのなかだ。窓のない寝室はほの暗い。ほの暗い寝室というものは、時間の推移に沿う…

祟りとハンカチとマスタード

祟りとハンカチとマスタード

 二〇〇四年十月二十日のアメリカン・リーグ優勝決定戦で、ニューヨーク・ヤンキーズはボストン・レッドソ…

まっ赤なトマトの陽焼けした肩

まっ赤なトマトの陽焼けした肩

 トマトは何色ですか、といま人に訊けば、その色は赤です、という答えが返ってくるだろう。年齢が下がるほ…

サンドイッチとアメリカの理念

サンドイッチとアメリカの理念

『ディア・ハンター』というアメリカ映画のなかに、いまでも忘れていない、きわめて興味深い場面がひとつあ…

ナポリへの旅

ナポリへの旅

 スパゲッティ・ナポリタン、という呼び名の料理が、かつて日本にあった。あるいは、いまでもまだある、と…

父親に間違えられた僕

父親に間違えられた僕

 いまから三十年以上前、僕は僕の父親に間違えられたことがある。僕を僕の父親だと思った人がいたのだ。 …

トンカツと生卵の小説

トンカツと生卵の小説

 一九七五年あるいは七六年。場所は銀座の文壇バーのひとつ。そのバーの名前も場所も、僕は記憶していない…

スープはどうなさいますか

スープはどうなさいますか

 いまの日本のどこへいっても、そこにはスーパーがある。片仮名書きされたスーパーという言葉はもうとっく…

玩具として買うには面白い

玩具として買うには面白い

 ハーシーの板チョコ、というものがいまでもある。あるどころではない、それこそ日本全国津々浦々のスーパ…

トリス・バー。バヤリース・オレンジ。バッテンボー

トリス・バー。バヤリース・オレンジ。バッテンボー

 バッテンボー、という言葉は死語だろうか。老いも若きも、日本じゅうどこへいっても、誰もがこの言葉を口…

砂糖は悲しいものだった

砂糖は悲しいものだった

「三歳、四歳、五歳の頃は、家のなかでしょっちゅう迷子になってたのよ。でも、小学校に上がってからは、そ…

「四角い食事」とは、なにか

「四角い食事」とは、なにか

 スクエア・ミールという英語の言葉を日本語に直訳すると、四角い食事、ともなるだろう。一般に市販されて…

それはいまもこの黄色なのか

それはいまもこの黄色なのか

 二十代の前半から後半にかけての数年間、キャンベルの缶詰スープをしばしば食べた、という記憶がかすかに…

東京のハードな日々

東京のハードな日々

 残暑はとっくに終わっている季節の、しかしひどく暑い晴天の日、水曜日の午後三時すぎ。東京・内神田のた…

豆腐屋はいまもまだある

豆腐屋はいまもまだある

 子供の頃から三十年近くにわたって住んだ世田谷のその一角には、いつも利用する私鉄の駅を中心にして商店…

あほくさ、と母親は言った

あほくさ、と母親は言った

 僕には母親がひとりいる。日常的な日本語では、産みの母、と言われている。英語ではバイオロジカル・マザ…

義男の青春と別離

義男の青春と別離

 十一月十五日、快晴の平日、午後三時から四時のあいだ、僕は京都の三月書房にいた。友人たちふたりがいっ…

南日本新聞のあれやこれや

南日本新聞のあれやこれや

僕におけるもっともらしさ  かつて南米のペルーから日本へ数多くの男性たちが仕事をしに来ていた。彼ら…