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評論『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』より16作品を公開

評論『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』(NHK出版/2004年)より16作品を本日公開いたしました。

2003年3月、米軍を中心とした有志連合がイラクの大量破壊兵器保持を理由に攻撃に踏み切った。日本は支持を表明したが、それだけで済むとは、日本の首相も思ってはいなかったはずだ。ひとまずの終結を大統領が宣言したのが、同年5月だった。イラク復興支援特措法が日本で成立したのは7月だ。出さずに済ませることはまず不可能な自衛隊を出すための法整備までに、これだけの時間を要している。いつものことながら日本の動きはたいへんに遅い。早ければいいというものでもないのだが。自衛隊派遣までの一連の動きに、日本の自主的な判断や主体的な行動などの余地は、どこにもない。外圧という言葉も、もはや当てはまらない。そんなものは必要としないほどに、日本とアメリカはおたがいに組み込まれ合い、相互間の距離はほぼゼロになったからだ。

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2003年9月、ブッシュ大統領はイラク復興への資金的な援助に関して、日本に強く期待していることを述べた。夏から9月いっぱい、アメリカはいろんなかたちで日本政府へ何度も要請を働きかけた。そして首相は、「拠出額がいくらになるか、それは日本が主体的にきめることだ」と言った。アーミテージ国務副長官は、日本の駐米大使にアメリカで、「ビリオンズ」(数10億ドル)という額を、きわめてカジュアルなかたちで伝えた。これはアメリカが得意とするやりかたのひとつだ。日本といえども世界のなかに深く複雑に巻き込まれているし、アメリカとの関係の尋常ではない様子は、世界に類を見ない。日本の主体的な判断に対してアメリカの大統領が感謝するというような演出を、いま頃いったいどこの誰が信じるのか。

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2003年度上半期の輸出総額から輸入総額を引いた黒字は、5兆8千億円となった。前年比では減少だ。こうした数字を眺めていると、輸出はまさに日本だ、というような気持ちになってくる。輸出の増加は日本の国際競争力の大きさや強さではないか、と言われると確かにそれはそのとおりだ。しかし輸出額の大きさは、輸出に緊密に関連している大企業が、必死の努力と工夫を積み重ねた結果のものであり、日本ぜんたいの力ではない。そして日本からの輸出は、GDPの10パーセントを占めているだけだ。そしてこの10パーセントが、日本ぜんたいの景気回復の牽引役を引き受けさせられている。これからもこれでやっていくのだろうか。GDPのわずか10パーセントの上にいまの日本は立っているのか。ずいぶんといびつではないか。と言うよりも、明らかにそれは脆弱さではないのか。将来的に見てこれは日本の弱さではないか。

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GDPの10パーセントにあたる輸出産業を、為替市場への介入というかたちで税金を使って保護すると同時に、輸出という強い部分を保護することを通して間接的に、国内を市場としている残りの90パーセントを日本政府は守ろうとしている。円安は輸出にとって有利で、円高は輸入に対して有利に働く。この影響に対して、輸出関連企業がいまだに無防備であるわけがない。かつてとはくらべものにならないほどに、相場の動きに対して各企業は強くなっている。外国との商取引関係のなかでの黒字あるいは赤字を、自分というひとりの人の身の上にとってなにかを考えてみるといい。いくら足りなくても、いくらなくても、それだけでは赤字とは言わない。どこからか借り入れて初めて赤字となる。では黒字とはなにか。借りている反対の、貸している状態だ。儲かったおかねは手もとにはない。外国、つまりいまはアメリカに、ほとんど永久的に、貨してある。借金で手に入れた資産だから、こうでもする以外に使い道はないのだが。

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このへんの円安からこのあたりまでの円高という一定の範囲内に為替相場を固定しておくことが、日本とアメリカのどちらにとっても好都合であるかぎりにおいて、為替相場への介入は金融政策のひとつとして有効であったりもするのだろう。日本の円はゆるやかに円高へと向かい、アメリカン・ダラーはおなじくゆっくりとドル安へ向かうと、その均衡の一定の幅のなかに、しばしの平和が生まれる。日本政府が円を売ってドルを買う。ドルは買い支えられる。だから暴落はしない。円建てのドルとも言うべきこうした流入資金が、じつはアメリカの減税を可能にする。公共投資へとまわると、それは景気を回復へと刺激していく。そしてそれは日本へも波及していく。2003年4月から秋にかけての、株価の上昇や景気の回復基調は、このおかげだ。政府がいまも断固として行っているという構造改革などとは、いっさいなんの関係もない。

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イラクへの自衛隊派遣をいつにするにか……。短い時間のなかで状況は次々に変化していく。そしてそのような変化はすべて、日本にとっては、事態の深刻さを深める方向へと作用する。こうした状況に対応する日本政府、特に首相や官房長官から発せられる言葉は、明言や断言をしたくてもしようがないときの、曖昧に時間を引き延ばすだけというものの言いかたの、見本帳の様相を呈した。「情勢の変化を考え合わせて対応しなければならない。状況をよく見きわめて対応を決定していく」と官房長官は言い、おなじ日に首相は、自衛隊の年内派遣に関して「状況を見て判断する」と言うと同時に「イラク復興は国際社会全体の問題だ。テロリストに負けてはいけない」ともつけ加えた。

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1ドルが360円に固定されていた期間が30年近く続いたという、いまから見ると驚くべき過去を日本は持っている。このなかで日本は輸出国となり、輸出力で全体が牽引される経済構造を作り上げた。固定相場制の時代が終わってから現在にいたるまで、輸出主導の経済構造がそのままに維持された。日本経済の構造を転換すべきだという論はまったく正しいが、その正しさを現実のなかで実現させていくことにまつわる途方もない困難さの上に、為替介入で日本政府がドルで買って支えているアメリカの国債が五千億ドルにもなるという、どうにも手のつけようのない途方もなさが乗っている。日本とアメリカの経済的な相互依存の関係は異常な次元に到達している。世界の金融市場に大変動をもたらす可能性も充分にある。いったいどうすればいいのか。各方面が本気で協調して、あらゆる要素を精密に制御しながらなんとか軟着陸の方向へ持っていく以外に方法はないのだが、そんなことがどうやれば可能なのか、誰にもわからない。

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2003年11月25日の衆議院予算委員会で、イラクへの自衛隊派遣について論議が行われた。この答弁の中で、安全面に充分な配慮をした地域は安全な場所であり、したがってそここそ非戦闘地帯である、という理屈を首相は編み出した。イラクを戦闘地域と非戦闘地域とに分けることが出来る、と考えることそのものが理屈でしかないのだが、すでにその理屈は成立しなくなった。しかし自衛隊の派遣先は安全な場所でなくてはならない。特措法の第九条にそう明記してある。安全面に充分な配慮をした地域は安全なのだからそこは非戦闘地帯なのだ、という理屈のなかに首相の一貫性を見ることが出来る。この問題をめぐる首相の発言は迷走の一途だと民主党に言われて、「私は一貫している。状況をよく見きわめて判断する」と、首相は答えている。「状況」がいつまでたっても「状況」でしかないことに支えられて、理屈の一貫性は維持されている。

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国際社会、という気楽なひと言が、首相と言わず誰と言わず、いまの日本の人たちの口からきわめて軽く、しかも当然の前提のように、いたるところで出てくるようだ。いまのイラクへ軍隊を派遣するかしないかの問題に関して、日本よ、自分の軍隊をイラクへ出せ、と「国際社会」から日本が言われたことは一度もない。日本の責任と、これも気楽に言うけれど、国家が戦場の他国へ軍隊を出すことにともなう責任について、首相は思考をめぐらせたことがあるのだろうか。戦場へとおもむこうとする自国の軍隊に向けて、「安全には配慮する」などと言う国家を、僕は聞いたことがない。さらに二、三か月さかのぼれば、「(戦場の)どこが安全でどこが危険かなんて、私に訊かれたってわかりませんよ」などとも言ったのだから、国家として体をなしていない。

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日本の自衛隊がまだ戦場だと言っていいイラクへと派遣される理由は、そもそもの出発点までさかのぼると、YESというひと言しかないのだと僕は思う。アメリカの大統領から資金と兵員の支援を要請された日本の首相が、YESと答えたからだ。イラクに対するアメリカの戦争行為の支持を伝えるため、日本の首相がアメリカで大統領に会ったとき、この要請を首相は受けたのだろう。このとき、日本の首相がなにを思ったか、これも想像するのは簡単だ。これは断れない、と首相は思ったのだ。湾岸戦争の記憶が脳裏というところをよぎっただろう。今回は資金だけではすまない。自衛隊も送ろう。復興の支援なのだから、派遣に根本的な支障はない。時限立法にすればなんとかなる。だから大統領に対する返答としては、YESしかない。ほとんど命令と言っていい要請を下す大統領と、その要請を受諾する首相。ふたりの国家元首の間にこうして維持される関係を日本から見ると、それが日米関係にほかならない。

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東西冷戦という枠組みが消えた世界で、局地紛争が始まった。どれひとつとして解決されないまま、現在にいたっている。その事実のなによりの証拠が、2001年9月11日にアメリカに対しておこなわれた局地紛争だ。この9・11の次の日、9月12日に、大統領による正式な宣言として「これは戦争だ」とブッシュ大統領は語った。日本の首相はその後の対応すべてを含めて、アメリカへの追従に過ぎる、という批判を受けた。そこにはアーミテージ国務副長官による、ショー・ザ・フラッグやブーツ・オン・ザ・グラウンド、気前のいい支援資金の提供を期待している、などの発言がある。なぜ日本はアメリカからこんなことまで言われなくてはいけないのか。それは、ハワイからアラビア半島までの直線を中心軸のようにして、その上下どちらの方向にも、必要とあらばどのようにも広がることの可能な地域全体に、アメリカの軍事力をどのように配置して動かし、どのような目的のためにどう機能させるかを、文字どおりコマンドするための組織とその施設、USセントラル・コマンドに日本が深く巻き込まれているからだ。

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テロは世界の敵だ。そしてテロは世界に広がる。世界ぜんたいが舞台になり、世界ぜんたいが不安定化される。アメリカだけではとうてい手に負えるものではないから、同盟国と並列して、そして状況によってはそれを越えるものとして、コアリションというリアリズムが生まれていく。アメリカが主導してあらましの道をつけ、その周辺すべてを多様な側面からコアリションが分担する。その目的はなにか。世界を安定させ、その状態を維持していくことだ。しかしテロとの戦いという新しい戦争は、終わることのない戦争だ。国際社会とは、いまはこのような世界だ。その国際社会への貢献と我が首相は言うけれど、国際社会のもっともリアルな姿にその言葉を重ねてみると、首相の言葉に実体の裏づけはほとんどなく、すでにおなじみの空疎なものばかりだという印象を強くする。

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イラクに派遣された自衛隊にそこでなにが出来るのか。首相から聞くことの出来た言葉は、イラク復興の人道支援、そして国際社会への貢献の、このふたつだけだった。派遣する部隊の員数やその機能は、派遣先であるイラクの現場の状況を底辺にして、そこから立ち上がっていくものだ。現場の状況の正確な認識は、ごく当然の、したがって絶対に守られなければならない要件だが、実際にはまったく逆のことがおこなわれた。このくらいなら出したことになるだろうというような、なんの根拠もなしにただ一方的に見当をつけた、まさに象徴としての少人数が、官邸によってきめられた。なにのための象徴なのか。国際社会への貢献とイラク復興の人道支援、ということの象徴にはならないだろう。アメリカとの同盟の象徴であり、アメリカがイラクに対しておこなったすべてのことを支持する日本の象徴だ。このふたつのあいだから、イラクそのものは抜け落ちている。

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ドルがドル安を続けている。ドルは基軸通貨だから世界がドルと密接に関係している。いろんな関係があるけれど、いちばんの基本は信頼の関係ではないか。ドルが安くなり続ける事実とは、ドルつまりアメリカに対する世界の信頼が、少しずつ低下し続けている事実なのだ。アメリカがなぜ世界の信頼を失っていくのか。ごく簡単に言うと、世界を相手にするときのアメリカの方針が、危機的と言っていいほどに時代遅れだからだ。世界各国は相互依存の時代にとっくに入っている。依存と協力の関係を何重にも重ね合い、その関係の均衡や変化を、おたがいの真剣な努力によってなんとか維持しつつ、ぜんたいの安定と発展につなげていこうという時代だ。そしてアメリカの保守的な自由主義者たちは、こういう関係をもっとも嫌う。ドルを買って円高を抑制しなければならない日本にも、深刻な病状がある。一年間で百四十兆円分の病状だ。

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冷戦はアメリカが長期公演した大芝居だったと理解すると、それからあとのことがわかりやすくなる。旧ソ連はこの芝居に相手役として乗せられてしまった。それがソ連の犯したそもそもの失敗だった。冷戦は終わった。しかし、世界が抱えていた問題は、なにひとつ解決はされなかった。さて、次はどうすればいいか、とアメリカは考えた。次はどうするかとは、初代のブッシュ大統領が唱えたニュー・ワールド・オーダー、つまり新たな世界秩序であり、それは各国の勢力が均衡することによる安定だったが、軍事的な最硬派にとっては、今度はどこに核の威嚇や恐怖を設定し、それを支えにして世界をどのように人質に取るか、ということだった。核兵器の威嚇や恐怖だけでは、自由世界である文明国を人質に取ることは、もはや不可能だ。しかし核はまだ相当なところまで有効であり、それよりもさらに有効なのは、文明国にとってどうしても必要なもの、たとえば石油のような資源だ。

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建国以来ずっと長いあいだ、アメリカはリベラルな国だった。第二次大戦、わけても太平洋における日本との戦いの勝利は、アメリカン・リベラリズムの頂点をかたち作る出来事であり、戦後の日本の民主化と復興とは、そのリベラリズムが現実のなかにもたらした大成功例だ。アメリカの保守とリベラルを、多少とも誇張しながら区分けすると面白い。たとえば9・11のような出来事を目の当たりにして、驚愕と悲しみ、そして反省の底で静かにしているのがリベラルで、怒りの拳を突き上げて報復を誓うのが保守だ。リベラルは多くのものをやや理想主義的に信頼している。保守には信頼していないものがたくさんある。保守は、要するに、やっちまえ、の世界観だ。やっちまうのに必要なのはパワーであり、パワーでもっとも端的なのは軍事力だ。そしてこのやっちまえの根底には神があるから、敵との戦いは宗教戦争だと言われたりもすることになる。

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(以上16作品『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版/2004年より)

2023年8月1日 00:00 | 電子化計画

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