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書評『球場の書店に寄る』より12作品を公開

『ミステリマガジン』(早川書房/2004年1月〜12月号)掲載の書評『球場の書店に寄る』12作品を本日公開いたしました。

リング・ラードナー著『おれは駆け出し投手』(1916)は「サタデー・イブニング・ポスト」に連載された作品。ジャック・キーフという名の投手が、故郷にいるアルという親友に宛て、ほぼ完璧な口語で書いた何通もの手紙ですべてが語られていくという構成は、なんとも言えず素晴らしい正解ぶりだ。しかも手紙はジャックからの往信だけで、アルからの返信は一切ない。この工夫も興味深い。手紙はすべて文字によって綴られているが、口語で語っていくことが生み出す効果は、文字が読者の頭の中でたちまち音声に変換されていくという、ちょっとした魔法なのだ。

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MLBについて英語で書かれた数多くの本で、ダニエル・オクレントの『9回まで』(1985)は、群を抜いた傑作だ。1982年6月に行われたブリューワーズとオリオールズの試合を、その始まりから回を追ってディテールのエピソードも含め描いている。シーズン中のゲームは、どのひとつであっても、等しく所定の長さの時間の中で次々に展開しては連続していく出来事として、完璧に純粋なものだ。積み重なる無数のディテールの真実が作り出すワン・ゲームの純粋さのなかに、読者は完全に解放されていく。

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野球について書く人は日本にも多い。しかしトーマス・ボスウェルの『人生は如何にワールド・シリーズに似ていくか』(1982)を読まないままに一生を過ごす書き手は多いだろう。彼の文章は鋭く正しい洞察に満ち、ユーモアを交えた文章は読み始めたらやめられない。すぐれた書き手が良き題材を相手に、本領を発揮した文章を読む幸せを痛感する。「アメリカでは野球は国民的娯楽」ともよく言われるが、その深層について的確に語れる人も少ない。ボスウェルのこの本は、その核心についても的確に語っている。

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マイケル・シーデルの『ストリーク ジョー・ディマジオと1941年の夏』(1988)は、アメリカ、そしてその野球に興味のある人にとっては必読を越えた必須の一冊だ。1941年5月15日からの2ヶ月間、ヤンキーズは56試合をこなし、4番打者ジョー・ディマジオは全試合で安打を放った。この年の夏はアメリカにとって一大転換点となった時期とも重なる。ディマジオの56試合安打を時間順に追いながら、この時期のアメリカ全体をも記念叙述のように物語ろうという試みが、この作品だ。この時代を知らないまま、そこからのアメリカを人は如何にして知ればいいのか。

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トリヴィアは「無駄知識とか豆知識」と訳されるが、『それが野球というもの』(1990)の著者、リューク・ソールズベリーによれば、野球の真理をめぐるトリヴィアとは「過去、現在、そして想像力」だという。過去とはすでにプレーされたすべての試合、膨大な記録と記憶のことであり、最終的には数字あるいは言葉に帰結するようだ。他のスポーツと比べると野球の記憶には想像力による再生が伴い、それが他のスポーツとは明確に一線を画するところだと著者は説く。複雑さという豊かさ。それが野球の真理なのではないか。

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オール・スター戦18回出場、首位打者の座に6回、本塁打王が4回、三冠王が2回。生涯打率は三割四分四厘。テッド・ウィリアムズがメジャー・リーグで残した記録はまさに「ミラクル」である。「アメリカの少年たちにとって野球は、自分がすぐれた存在になるための機会だ」と語ったテッドにとって、野球を通して自分の能力を可能な限り高める領域は打撃だった。そんな彼をめぐる、さまざまな書き手による三十一編のエッセイを集めた『The Ted Williams Reader』(1991)は、編者が言う通り、ウィリアムズのクロノロジカルなパノラマだ。

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野球に材を取った小説は日本には少ないのではないだろうか。フィクションを組み立てる材料として、野球ほど面白いものはないのに。一方アメリカでは野球小説は一つのジャンルとして確立している。『野球、そして人生のゲーム』(1990)には15の短編が収録されているが、例えば「マスタードが足りない」のようにヤンキー・スタジアムの売店で買って食べるホット・ドッグのマスタードから、ひとつの短篇が成立していく様子のなかに、リング・ラードナー以来のアメリカ口語一人称による野球物語が堪能できる。

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1964年のワールド・シリーズ、ヤンキーズ対カーディナルズ戦は4勝3敗でカーディナルズが制した。不動の強さを誇ってきたヤンキーズの凋落は、変わりつつあったアメリカ社会を象徴する出来事でもあり、メジャー・リーグもこれを機として大きく変わっていく。ピューリッツァー賞受賞のジャーナリスト、デイヴィッド・ハルバスタムによる『さらばヤンキーズ』(原題:『October 1964』/1996)を読むと、その1964年のワールド・シリーズを、当時のアメリカという国の変化も含め俯瞰的な位置から体験し直すことができる。

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1988年のワールド・シリーズでドジャーズはアスレティックスを4勝1敗で下した。この時のドジャースの投手、オレル・ハーシュハイザーのシーズン成績は二十三勝八敗という驚くべきものだった。彼の著書『アウト・オブ・ブルー』(1989)を読むと、彼にとって投球とは常にその一球であり、その一球とは、いままさに現在となろうとしている、投げる直前の、その意味ではまだ未来のものである一球であることがわかる。どの試合の、どんな状況であっても投げるのは常の次の1球なのだ。ここに彼の投球に関する哲学のすべてがある。

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レナード・コペットの『頭を使うファンのための新たな野球案内』(1991)は、野球のインナー・メカニズムを巧みに語った本だ。著者は野球ルールの進化の歴史の核心にあるのはスピードだという。スピードがあればゲームの展開は速くてエキサイティングになり、必要とされる運動能力の発揮と維持を行うプロの選手が出現し、専用の球場ができ観客が集まる。それはビジネスであり、マネーやエコノミックスとしてのベースボールが成立していく。そして攻守双方が彼らを支配するルールの中で完璧に均衡しなければいけない、という点に最も注意が払われたという。

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1840年代のアメリカには、各地にアマチュアたちの野球チームがたくさんあった。アメリカの歴史の進展と重なってそこに起きた最も大きな変化は、プロの選手たちによる商業野球の登場とその急速な拡大、そして国を挙げての熱狂とも言うべき支持だった。ベンジャミン・レイダー『ベースボール アメリカのゲームの歴史』(2002)は、歴史という核心や神髄へと、読む人を誘い込んで離さない。アメリカとその野球について、重要なことはすべてこの一冊で隅々まで理解出来る素晴らしい出来ばえだ。

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野球の原理は極めて単純で、ルールは明快で誰にでもわかるという観客の側の野球に対して、高度な次元で野球のゲームを遂行するのはたいそう難しいという、プロのプレーヤーたちの野球が存在する。フィールドで展開されるゲームの美しさに対して、巨額の金銭とその世界の支配力をめぐる策謀という闇が深く存在する。ジョン・へリヤー『その王国の首長たち』(1995)は、アメリカン・ベースボールの金銭とその支配をめぐる領域を主題にしており、アメリカの野球の内部を発見しては驚くという楽しみを、この一冊の本が可能にしてくれる。

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2022年4月19日 00:00 | 電子化計画

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