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連載短編『撮られた人の行方』より6作品を公開!

雑誌『MEN'S EX』(世界文化社)に1994年5月号から連載の短編『撮られた人の行方』より6作品(第13回〜最終回)を本日公開いたしました。

私たちは、取材や調べもの、勉強や研究を進めていくと、つい、そこで得た面白いことを全て、何らかの形で発表したり、発言したくなります。でも、そもそも、それらの取材や調査には目的があり、また、自分が表現できることにも範囲と限界があります。この『俯瞰するひとときのコピ・バリ』でのノンフィクション作家・高倉健二は、これまでの取材を振り返りながら、冷静に、自分が書くべきこと、書くべきではないことを振り分けていきます。この作業は本を書く場合のとても重要なプロセスであり、その作業の中で高倉は、雑誌になら書くのもアリという判断も別に行います。これが出来るのがプロの物書きであり、それを第1回からの総集編のような形で連載の中に挿入する片岡義男のテクニックは見事です。そして物語は、かつての同級生から送られてきた写真へと繋がっていきます。
ちなみに「コピ・バリ」の「コピ」はインドネシア語でコーヒーのこと。つまりバリ島のコーヒーという意味です。粉末になるくらい細かく挽いた豆をお湯に溶かして上澄みを飲みます。デミダスカップに入れて飲むというのは、もしかすると片岡義男の趣味なのかも知れません。

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男性である高倉健二が「性的な文脈で撮影される様々な写真」について考えるきっかけになったのは、友人の「同世代的共感」に基づいた古いヌード雑誌の写真でした。その次は女性の後ろ姿を撮り続ける人の話で、続いて美人秘書のボディビルダーと続きますが、第8回『彼女の人生の分岐点』から、正にそれが物語の分岐点であるかのように、そこで扱われる「性的な文脈」が広がり滲み始めます。この物語が書かれたのは1994年から1995年にかけてで、まだ性的な視線は、ほぼ一方的に男性から女性に向けられるものでした。その時代に、男性向け雑誌の中で、この展開を書いた片岡義男の先見性と、それをとても自然なものとして読ませるために、雑誌業界の内幕モノのような設定で見せる技術には感動します。物語は、この先、更に過激になっていきます。

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次々と思いもよらぬ方向へ展開するこの「撮られた人の行方」という物語。前回に引き続き、高校の同級生・田端桜子から送られてきた写真にまつわる話はさらに深いところへと進んでいきます。この中で語られる、写真はノンフィクションに添えられた場合と、小説に添えられた場合とでは読者の受け止めが異なる、ということや、本を作っても文章を置き去りにして最後まで命を保つのは写真である、といった高倉の言葉は「過去を伝える記録は充分に存在していてほしい」と願う片岡義男の言葉にも重なります。この物語もいよいよ、終わりが近づいています。コーヒーで一服して、続きをどうぞ。

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主人公が「性的な文脈で撮影される様々な写真」について取材し、考察していく様子を描いてきた長編小説「撮られた人の行方」は、徐々に「性的」であるということについての探求の物語へと向かっていきます。この『裸婦のいる室内』は『美人秘書とボディ・ビルディング』『彼女の人生の分岐点』に登場した作家の村崎久美子とその親友である恵子の物語ですが、ここで描かれるのは、もはや男性女性という境界を侵食しあうような、美しさであり、猥雑さであり、下品さであり、神聖さです。直接的な性行為は一切書かれていない中で、それ以上に猥雑な行為が行われ、しかし、その猥雑さは、久美子と恵子という二人の女性の努力と技術とアイディアで生み出されたものなのです。更に、それを片岡義男は小説という表現形態の中で、私たちに見せてくれます。物語は既に他人事ではなく、私たちもまた、久美子同様、自分の性に対する認識を揺るがされます。

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この不思議な物語は、男性の欲望の対象についての写真から始まって、徐々に性の枠組みを超えたその先の性について、それを実現する方法のひとつとしての「写真」が描かれることになりました。そこで撮影される写真は、女性と男性の垣根を、男性側から越える尚美や、女性側から越える恵子で、その欲望の対象は男性女性を問わず、その双方にエロティックな感情を想起させます。その全体を言葉を使ってひとつの物語として書くという、その試みの壮大さに、私たちはついていくのがやっとと思ってしまうほど、物語は凄い速さで、性別を超えた性へとたどり着きます。そして、正に脱兎の如き最終回へと続きます。1995年にこのような物語を生んだ片岡義男の小説家としての実験性が、雑誌掲載から27年を経て読めるということは、とても嬉しいことだと思いませんか?

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長編小説「撮られた人の行方」は、この『撮られた人は撮った人のもの』で最終回を迎えます。ここに置かれた二つのストーリーは、どちらも「撮られた人」と「撮る人」の関係を描いていて、それは、この物語がたどった旅の実践編とも言えます。その意味では「撮られた人の行方」という物語は、見事に完結しているのですが、一方で、村崎久美子の写真の行き着く先や、浅野晴彦に写真を送り続ける女性のこと、高倉健二は高村ルミ子にまつわる物語をどういう形で世に出すのか、田端桜子と矢崎直子の物語はどうなっていくのか……などなど気になるストーリーが沢山あります。もしかすると、何かの事情で中断しているのかも知れず、しかし、この二つのストーリーが仮に村崎久美子と浅野晴彦による作品だとするなら、見事に「撮られた人の行方」について決着が着いた、とても片岡義男らしい作品とも言えます。いずれにしても、この小説が片岡義男の大きな達成のひとつなのは確かであり、単行本になっていないことはとても残念です。

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2022年4月15日 00:00 | 電子化計画

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