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片岡義男.com 全著作電子化計画

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片岡義男 オートバイ文学の世界へようこそ

片岡義男 オートバイ文学の世界へようこそ

2024年3月15日 00:00

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作家・片岡義男は1970年代中頃から1980年代後半にかけ、オートバイが登場する物語やエッセイを数多く執筆しました。それらの作品の多くは角川書店から文庫として刊行され、その魅力に取り憑かれた多くの若者を二輪の教習所に向かわせました。第一線で活躍しているオートバイ・ライダーや、オートバイに関係する仕事をされている方で50代以上の方なら、片岡義男作品にはきっとなんらかの影響を受けているはずです。この特集ページでは、片岡義男をご存じない方や、片岡作品を初めて読むという方向けに、片岡義男.comで公開されているオートバイの登場する代表的な作品をいくつかご紹介します。かつて読んだことのある方も、あらためてその魅力を再発見していただけることと思います。

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著者・片岡義男について

片岡義男写真

大学在学中より海外小説の翻訳、雑誌のコラム執筆などで活躍。1974年『白い波の荒野へ』で小説家として本格デビュー。1975年『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人賞を受賞、同作は直木賞候補にもなる。サーフィンやジャズ、ロックなど主にアメリカのサブカルチャーを取り入れた作品を多数執筆。特に'70年代から'80年代後半に多く書かれたオートバイについてのエッセイやオートバイに乗る主人公が登場する小説は、角川文庫のメディアミックス戦略とも相まって当時の多くの若者を魅了した。'90年代以降は、小説と並行して日本とアメリカの文化比較や言葉についての評論・エッセイも多数発表。また、写真家としての顔も持ち写真集も発表している。近年ではエッセイ集『珈琲が呼ぶ』が珈琲ブームの一翼を担った。2015年よりWebサイト「片岡義男.com」で全著作の電子化が進行中。

『オートバイはぼくの先生』(エッセイ)

オートバイは、ごまかしがきかないから、好きだ。ごまかしてたらいつかは必ずしっぺがえしがくるし、自分自身の精神的・肉体的な状態の良し悪しが、はっきりとオートバイをとおして自分にはねかえってくる。横着を許容してくれる範囲は、自動車にくらべたらオートバイのほうがはるかにすくないはずだ。全身のあらゆる感覚を、いつもバランスよく緊張させなくてはいけないし、ライディングにあたってはやはり全身が総動員させられる。そしてその全身は、いつだって空間の中にむきだしだ。

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『オン・ロード』

『オン・ロード』(エッセイ)

オートバイと路面との関係は、着実で厳格だ。前後ふたつのタイアは、路面を相手に保つべき一定の関係を、まともに走っているかぎりいついかなるときでも、律義に保ちつづけている。タコメーターの赤い針がいくらレッド・ゾーンに振れこんでいても、地軸に対するあなたのそのときの宇宙がどんなにリーンしていても、タイアは、文字どおり一寸きざみで路面をたぐりよせては、うしろへ押しやっている。ぼくやあなたのオートバイは、常に、路面を這うのだ。乗っているぼくは、そのオートバイの、忠実な従者だ。堅実なしもべだ。そしてこの従者には、特典がひとつだけあたえられている。魔法にかかる特典だ。

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『彼のオートバイ、彼女の島』

『彼のオートバイ、彼女の島』(小説)

夏と、島と、オートバイ。退屈を知らない日々のためには、まずその3つが必要だ。1度目は高原の道で。2度目は共同浴場で。偶然の出会いが2度あった「彼女」は、もう無関係な他人ではない。仕事や悩みが毎日の多くの時間を占めてしまったとしても、ひとたびオートバイに乗り、歓びを分かち合う人が隣にいて、風が、道が、光が、山々が、自分と一体になってしまえば、もはやそこに退屈の入り込む隙間はない。夏という時間、島の時間を生きる彼ら彼女らは限りなく自由だ。1986年に大林宣彦監督により映画化。

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『スローなブギにしてくれ』

『スローなブギにしてくれ』(小説)

捨てる男あれば拾う男あり。走ることばかりでなく、留まることも、この先の2人は……。オートバイで走ることだけにリアリティを感じている少年と、高2で家出して以来、家に居つかなくなった少女。2人は不意に、夕暮れの第三京浜で出会う。次々に生まれてはもらわれていき、捨てられる猫のようによるべない時間の中を漂い、生活を積み上げることのできない2人。しかし、決裂と思われた瞬間を超えて、彼女は戻ってきた。これから、今までとちがう何かが始まるのだろうか。ゆっくりと、くりかえしながら、歌いながら。スローなブギのように。「野生時代」新人賞受賞作にしてのちに映画化された代表作。1981年に藤田敏八監督により映画化。主演は浅野温子さん。

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『4サイクル・ツイン』

『4サイクル・ツイン』(エッセイ)

大好きな夏のなかを気ままに自動車で走り、田舎の景色や人情に触れては、単純に感激していた。もう何年も昔のことだが、あのときの空や風を、まだぼくの体は忘れてはいない。翌年、同じことを試みたが、何かが微妙に異なっていることに気づきはじめる。ホテルの駐車場に入ってきた二台のオートバイを見て、ぼくは、忘れていたことを思い出した。そうだ、この世の中にはオートバイというものがあったのだ!

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『風に恋した』

『風に恋した』(エッセイ)

「最高だった!」と、彼女は、言っていた。瞳が、輝いていた。瞳が輝くその瞬間、彼女の全身が、生き生きしていた。なにがそんなに最高だったのか、ときくと、彼女は、次のようにこたえた。「うーん、ひとことで言うとね、そう、風なの。風」「風?」「そうよ。自分の全身に、風が来るの。風があんなに素敵なものだとは、それまで一度も感じたことはなかったし、思ってもみなかったことだから」

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『幸せは白いTシャツ』

『幸せは白いTシャツ』(小説)

「私の手もとには、現在だけがあるのです」。20歳の夏。彼女は1人でオートバイに乗って日本中を旅する。ひと夏の経験ではなく、少なくとも1年、できれば2年かけて日本の隅々まで経験したいのだ。そして彼女の両親もまた、それぞれの道を歩もうとしている。家族でありながら、誰もがまぎれもない1人の個人として離れて行き、祝福しあい、時々は連絡を取り合う。その状態を彼女は「幸せ」と呼ぶ。故大谷勲氏撮影の文庫版オリジナル写真の一部と未公開写真の約40枚を追加・掲載した電子版だけの改訂版。

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『長距離ライダーの憂鬱』

『長距離ライダーの憂鬱』(小説)

孤独が孤独であるためには、孤独同士は交わらないに限る。まるでアフォリズムのように短い断章が並び、しかしアフォリズムとは違い、かすかにストーリーと呼べそうな出来事が続いていく第1章。自らの発想ではなく、しかし仕事としてのオートバイによる長距離輸送を選び取ることがすなわち、彼女にはふさわしい。1人であること。長距離を走ること。それはすなわち、孤独であることに他ならない。第2章の主役は男だ。ここではしきりと「結婚」という言葉が口にされる。そして最後、第3章が来る。さあ、そこで彼女と彼はどうなる?

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『ロードライダー』

『ロードライダー』(エッセイ)

全身で風を切り裂いて走りつつ、これからの行程を彼は考えた。目的地までのルートなら、頭のなかにすでに叩きこんで記憶してあった。その記憶をたどりなおすと、オートバイにまたがった彼は、軽い目まいのようなものを覚えた。行く手に横たわっているのは、巨大な空間だ。ハイウエイの路面とこのオートバイだけを頼りに、その空間と自分とが、存分に対決しなくてはならない。二本のタイアは、忠実に路面をたぐりつづける。エンジンの内部では混合気の燃焼がつづき、ピストンはクランク・シャフトをまわしつづける。そして、ライダーの体は、オートバイと一体だ。ライダーの肉体はオートバイを離れることはできない。状況に応じた適切な操縦を、ライダーとオートバイは、おたがいに要求しあう。

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『ときには星の下で眠る』

『ときには星の下で眠る』(小説)

誰もが例外なく、移ろいゆくものたち。天空の星座のように。夏のイメージが強い片岡義男の小説にあって、この物語は明確に秋を舞台としている。「時には星の下で眠る」という短編が先行してあり、それが北米大陸を舞台としていたのに対し、こちらは明確に、日本の、高原の秋だ。オートバイを愛する者同士の4年ぶりの再会を介して、人が4年という時間を生きることのいくつもの模様が描かれる。そこにはいくつも死があり、不在がある。生きている者たちも紅葉の色の変化のように確実に変わってゆく。そして時には友とともに、星の下で眠る。

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『ボビーに首ったけ』

『ボビーに首ったけ』(小説)

18歳の夏。まだ触れていないものはすぐそこにあり、それはいつまでもまぶしく、ただそのまま残される。この小説は、「ボビーに首ったけ」と「ボビーが首ったけ」でできている。前者は、なぜかボビーと呼ばれている高校3年の男子に会ったこともないのに手紙をよこし、数回のやりとりのあと喜びを膨らませている同い年の少女。後者は、ボビーがストレートな情熱を傾けているもの、つまりサーフィンだ。18歳の夏、手紙から一歩、踏み出す計画を立てる2人。そしてボビーは、そろそろ自分のサーフボードを手に入れる頃合いだ。邪なところは少しもない青春の欲求を、さて運命は、どのように取り扱うのか——。1985年に平田敏夫監督によりアニメーション映画化。漫画家の吉田秋生氏がキャラクターデザインを担当した。

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『湾岸道路』

『湾岸道路』(小説)

1組の夫婦がいる。2人は「肉体」派だ。片岡義男の小説がいつもそうあるように、2人の関係の齟齬をそれぞれが所持して1人でわだかまる、というようなことは一切ない。男は妻を何十回も「美人だ」とほめちぎる。女にも悩みはない。いささかの浪費癖があるが、だらしなさではない。ところがある時、道が2本になった。1人に1本になった。その唐突さの前に女が感じるのは「くやしさ」だ。すぐれた肉体の持ち主である彼女は悲しむ前にエクササイズを自らに課し、そして新たに再出発する。1984年に東陽一監督により映画化。主演は草刈正雄さんと樋口可南子さん。

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『トリップ・カウンター・ブルースだってよ』

『トリップ・カウンター・ブルースだってよ』(エッセイ)

エンジンをかけるため、路面が硬くて平坦なところへ、バイクを押し出していく。サイドスタンドをあげたとたんに、バイクの重さを全身に感じる。すさまじい重さだ。まわりはじめたエンジンは、バイクのあらゆる部分に、命を吹きこむ。メカニズムのいろんな部分が、心の中で見えてくる。クランク・シャフトにいまこの瞬間かかっているすさまじい力を想像すると、なぜだか厳粛な気持にすらなる。しかしいったん走り出せば、想像を絶して豊かなイメージの奔流を、真正面から受けとめる。そのイメージの河に、風や振動、それに路面のフィードバックが、からみあう。

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『メイン・テーマ1』

『メイン・テーマ1』(小説)

テーマを決めて、生きることを選ぶとは。自分という人間はこれからどう生きるのか。そのことを、片岡義男は「あとがき」で「時間の使い方」と説明している。時間をどう使うのかが、その人のメイン・テーマ、というわけだ。1984年公開の森田芳光監督、薬師丸ひろ子主演の同名映画の原作として書かれたが、「映画ではなぞりたくてもなぞれないような構造を原作に持たせることにした」と作者はあとがきで書いている。なお、小説では『幸せは白いTシャツ』の主人公も登場する。

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