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『廃墟の明くる日』『カラニアナオーレ』など小説11作品、エッセイ1作品を公開

雑誌『Coyote』(スイッチ・パブリッシング)に2005年〜2006年に連載された小説『廃墟の明くる日』など8作品、雑誌『Switch』(同)掲載の小説『映画の夜 アントニオの壁ぎわの席』など3作品、ポストカードエッセイ『Coffee Table Reading』(発行:Rainy Day Bookstore & Cafe)の計12作品を本日公開いたしました。

学校を出て商事会社に就職したものの3か月で退職し、先輩を頼って娯楽雑誌の編集部でライターとしての仕事を始めた「僕」。1年がたとうとする頃、編集長から同じ部内で働く同年代の女性を紹介され、共に食事をすることになる。次の週、彼女と待ち合わせて乗った電車の中で、彼は編集長から少なくとも1960年代が終わるまでには、ちゃんとした本を1冊出すよう言われていることを彼女に話す。
「小説を書きたいの?」
「それしかないでしょう」僕の返答に彼女は笑った。そして、
「どんな小説になるの?」と訊いた。
「わかりません」と、僕は答えた。
「まったくわかりません」
どんな小説になるのか、まるで見当がつかないという彼の言葉を受けとめた瞬間、彼女の端正な顔立ちが真剣な表情に変わった。

(『Coyote』No.7[2005年9月]掲載)

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下高井戸にある店で夕食を共にする彼と彼女。話題の中心は彼がこれから書こうとする小説についてだ。やがて自分が書くであろう小説のために、どんなことがどんなふうに役に立ったり材料になったりするものなのか、いまはまだまったく見当もつかないという彼。そんな彼に彼女は「まるで見当もつかないところが、私の人生と同じだわ」と言う。
「いまの私は、短編小説にもならないのよ」
「主人公にはなりそうですけどね」
「どんなふうに?」
「顔立ち。体つき。立ち姿。歩く様子。ぜんたいの雰囲気。さらには、喋りかたや声。表情。論理の道筋。もののとらえかた。あるいは、判断のしかた」
「でもストーリーは、どこにもないわね」
「それは、僕が作ればいいのです。ストーリーのなかに登場して、役柄を引き受けて、ストーリーを運んでいく人として、いくらでも使えそうな気はします」

(『Coyote』No.8[2005年11月]掲載)

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彼が2歳上の彼女と知り合ってから半年が経過していた。昨年の秋、彼が年長の知り合いに連れていかれたバーで、彼女は若い店主を務めていた。秋が深まりきって冬へとつながりつつある日、彼ひとりで彼女のバーへいった。客と店主としての会話がごく普通にしばらくつながったあと、
「肩のかたちがじつに良く出来てますね」と、彼は言った。
「この肩?」そう訊き返して、彼女は胸の前で腕を交差させ、両手の指先をそれぞれ肩に置いた。
「肩幅とそこから下へと広がる広さや、肩そのものの厚み。鎖骨の出来ばえ。さらには、両肩から腕へのつながり。腕のかたち。ひと言で言うなら、グッド・デザインです」
彼女は笑った。
「グッド・デザインとしての彼女ね」
「こうして見てると、飽きません」
「あら、よかったわ。いつまでも見てて」
見てて、というひと言は彼女の口癖なのだが、この頃の彼はまだそのことに気づいてはいなかった。

(『Coyote』No.9[2006年1月]掲載)

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彼が美代子の店へ初めていったのは、月刊雑誌の編集長の森下と一緒だった。その美代子と彼はいま、旅荘の部屋へ来ている。下着姿で椅子にすわっている美代子の、造形物としての体の魅力と、その彼女が語る内容との、美しく均衡した様子を受けとめるとき、それに自分は明らかに押されている事実を、彼は認めないわけにはいかなかった。
「男と女の小説になるのなら、それはたとえばあなたと私かしら」
「それもあり得ますね」
「でも女は、この私では小説にはならないのよ」
「どういう意味ですか」
「この私から、私という個別の具体性を削り落として、あとに残った核のようなものを、あなたはひとりで純化しなくてはいけないのよ。……結晶は普遍だから、それはいろんな物語のなかに当てはめて、使うことが出来るわね」

(『Coyote』No.10[2006年3月]掲載)

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今日のお昼すぎ、彼は雑誌の編集長に呼び出され、街の喫茶店で会った。そして来年の1月号からの連載を引き受けるように、という依頼、ないしは命令を受けた。
「毎回、ひとりの魅力的な女性が、登場する。その彼女の、もっとも魅力的な側面を、短編として書けばいい。ふとした、なにげない短編」
「それを僕が書くのですか」
「引き受けろ」
「書きますよ」
「ここを出たら、原稿用紙を買いにいこう。四百字詰めで四百枚あれば、それは長編だと言っていい。だから新品の原稿用紙を四百枚、買いたまえ」
いま彼の目の前にある四百枚の原稿用紙を、彼はそのようにして買った。ここにこうして置いておけば、確かにいつも自分の目に触れる。目にふれるそのたびに、小説を書くための覚悟のようなものが、少しずつ自分の内部のどこかに蓄積されていくのだろうか。
自宅に戻った彼は、自分の部屋へと歩いて来る百合子の姿を見た。幼い頃から彼は彼女を知っている。中学と高校が同じで、高校のときには同じクラスだったこともある。歩いて来る姿の美しさや微笑の端正さには、いつ見ても惹かれるものが強くあるのを、何度目とも知れずに彼は自覚していた。

(『Coyote』No.12[2006年7月]掲載)

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自宅がお互いにすぐ近くで、彼と同じ年齢の直子は、近所に住む器量良しのしっかり者として、彼の母親に好評だった。経堂の駅から3分と歩かない場所にある寿司屋で、彼と直子は夕食をとった。
「依頼されてではなく、自発的に書く、ということはないの?」
「あるとすれば、それは小説でしょう」
「やがて小説を書くのね」
「このままいけば、いずれは書くしかないですね」
「いずれとは、いつのことなの?」
「30歳までが、ひとつの区切りになると思います」
食事を終え、店の外で直子はキャラメルを取り出し彼に1つ渡した。キャラメルを指先につまんで口に入れた彼女は、彼に片手をのばし、彼の手を取り、引き寄せた。そして体を押しつけると同時に、彼の顔を引き寄せた。
「キャラメルを交換しましょう」

(『Coyote』No.13[2006年9月]掲載)

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1週間前に僕はこの家に着いた。家は無人だった。アメリカ陸軍を除隊したあと、父親がヒロに建てた家だ。ここを生活の拠点にして、5年前、父は小さな放送局を作った。陸軍に呼び戻された父親が局の仕事を離れた直後に、史上最高の強力な台風がハワイを襲った。このときこの放送局は大活躍をし、以降地元にとってなくてはならないものとなった。この家を自分は引き払った、という手紙が母親から東京の僕に届いたあと、父親からも電話で連絡があった。自分もこれっきり帰ることはないと思うあの家で、一日か二日なら落ち合って過ごすことが出来る、という内容だった。父親からの電話のあと、姉からも電話があった。父親の最初の妻とのあいだに生まれた娘で、今はハリウッドで女優をしている。僕から見れば異母姉だ。……1968年、ハワイ島のヒロを舞台に語られる、僕の一家の物語。

(『Coyote』No.4[2005年3月]掲載)

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下北沢の喫茶店の中二階で、彼は彼女と向き合ってすわっていた。彼女は彼が幼児だった頃から、彼を知っている。彼女は写真を見ていた。8月の初めに彼がこの下北沢、そして三軒茶屋で彼女を撮影した白黒の写真を、彼が自宅で現像しプリントしたものだ。彼は大学の写真学部を卒業して新聞社に就職し、3年後のこの4月、退社してフリーランスとなった。彼はその退社の記念にライカを買った。何を撮るべきか。あるひとつの被写体をかなりの期間にわたって、集中してあのライカで撮りたい。そう考えていたところに現れたのが彼女だった。
「これは自分だということを出来る限り思わないで見ていくと、この女の人はなになのかしら、という思いが次第に強くなっていくのね。この私は撮るに値するのかしら」
「値します」
「なぜ?」
「いま自分で言ったじゃないですか。この女性は一体なになのか、とその写真を見る人はかならず思うのです。謎とは物語です。どんなふうにでも想像することの可能な、奥行きの深い物語です」

(『Coyote』No.8[2005年11月]掲載)

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アメリカ中西部を舞台とした、3つのショート・ストーリー。
かつての西部の拳銃使いと同じ名前であったことが災いし、命を落としたあるバンドのリーダー。彼の所属していたバンドが、その夜の公演で演奏した追憶の曲に観客たちは……。
30年前に解散したサーカス団。そのサーカス団は、カントリー・アンド・ウエスタンのバンドも所属していた。そのバンドのタレントのマネジメントをしていた女性が、人生最大の失策と今も語る、ある出来事とは……。
招かれるままに各地を渡り歩き、ショーを見せるロディオ・カウボーイ。とある町のバーのバーテンダーと、この世でもっともいい商売について、自由について語り合う。

タイトルの『LAST OF A BREED』はMartin H. Schreiberによる1988年の写真集から取られたもの。

(『Switch』Vol.4 No.1[1985年10月]掲載)

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時間は夜の9時をすぎている。部屋のなかでは、準備が整いつつある。映画の撮影のための準備だ。女性がひとり、部屋に入って来た。主演女優だ。彼女が演じるのは、湘南で生まれ育ち、1965年に18歳だったひとりの女性だ。監督の「アクション」のひと言で、16ミリ・カラー・フィルムによる撮影がはじまった。ドキュメントとフィクションの、微妙な中間のような作り方の映画だ。主演女優が画面外にいると想定されているひとりの男性に対して彼女が語っていく、というスタイルでストーリーは進行する。ディレクターは、ごくあたりまえの冷静な表情で彼女の演技を見守っていた。3台のカメラが撮り分けたフィルムをどのようにつなぐか、ディレクターは頭のなかにあるエディティング・マシーンを介して、想像していた。

(『Switch』Vol.4 No.2[1985年12月]掲載)

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今から20年以上前、20代の初めだった「僕」は、井の頭線・下北沢駅のホームの売店の裏あたりを彼女との待ち合わせ場所にしていた。彼女をめぐって彼が今も持っている記憶のなかの、最も核になる部分にあるのは、美人だなあ、という感銘のようなものだ。そしてその核のすぐ外にあったのは「こんな美人がなぜ僕に優しく微笑し、僕に向けて歩いて来るのか」といった不思議な気持ちだった。4歳近く年上の彼女を、彼は子供の頃から知っている。そして僕が23歳から26歳までの間、2人は男と女の関係だった。当時の僕は、あちこちの雑誌に文章を書くのをなかば仕事のようにしていた……。『青年の完璧な幸福』に収められた『美しき他者』の雑誌連載時のオリジナル版。

(『Switch』Vol.23 No.5[2005年5月]掲載)

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片岡義男自身が撮った20枚の写真と、その写真からインスピレーションを得て書かれた20篇の短いエッセイ集。取り上げられた写真は、これまで飲んだ中で最高のコーヒー。17歳の時に初めて読んだシャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ・オハイオ』の初版本。ミルク・キャラメルの空き箱。かつて片岡義男がパーソナリティーを務めた『きまぐれ飛行船』のスタジオの写真など。なお、実物はポストカードサイズで制作されている。

(発行:Rainy Day Bookstore & Cafe/2006年11月22日)

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2024年3月8日 00:00 | 電子化計画

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