作品一覧 公開作品 1897 38 39 40 41 ハロー! 土星の環 『動く実験室』という名前の、子供むけの科学雑誌のページの片隅に、ところどころ、小さな四角い広告がのっ… 読 む ガリ版刷りの教科書というものが、あったんだ 「一冊の本」は、いたるところにある。敗戦の翌々年が小学校一年生になった年だから、ガリ版刷りの教科書な… 読 む 彼女が買ってきてくれたヨーグルトに、黄色い小さな花が差してあった日 ぼくが高校の二年のときだったかなあ。おなかがすいていた。学校のなかにパン屋さんがあり、そこでカレーパ… 読 む アメリカの安物食料品と、海の幸 当時のぼくが置かれていた多少とも特殊な状況のせいでもあるのだろうけれど、小学校のなかばころまで、アメ… 読 む 町の生活のなかに「個性」って、あるだろうか 情報化社会において「個性」を問題にするときにうかびあがってくるのは、いろんな商品があふれていて、しか… 読 む リンゴの樹の下で、マーモットが待っている 特別にかたちのよい樹ではない。だがやはり堂々としている。幹は大人でもひとかかえにはできない太さだ。ず… 読 む 陽ざしがもったいなくて、野原へいってみた 朝の八時ごろに起きた。陽ざしや青い空を見るなり、うわあ、もったいない! と思った。こんな日に家のなか… 読 む 秋まつりの音が風にのってくる 九月のはじめから終りにかけて、歩いていける範囲内で秋まつりが五つか六つ、おこなわれる。夜になってから… 読 む ボールポイント・フリークのようになってみたとき ペン、つまり万年筆を、ながいあいだつかっていた。あらゆる種類のペンをためして、結局、モンブランの22… 読 む 街角のなかのぼく 初夏のよく晴れた日の午後、お気に入りの服を着てぼくはいい気分で下北沢南口の商店街を駅にむかってのぼっ… 読 む テレビ・カメラが見るもの 白黒のテレビがかなり一般的なものとして家庭に入りはじめたのは一九五六年、五七年ころだった。ぼくは乳の… 読 む おふくろの味は早稲田にあるんだ ぼくが、おふくろの味という日本でごく一般的に通用しているものを、まるで信じていないのは、ぼくが気どっ… 読 む はぐれ鳥のプロローグは、エロール・フリンの海賊映画だ 「故郷」を失ったぼくは、大都会のまんなかに住んでいる。その大都会の一角をいま自分の「故郷」だと呼べる… 読 む メロドラマ 「乾杯」と、ぼくが言った。微笑して、彼女もグラスをかかげた。気のせいかもしれないが多少ともぎこちなく… 読 む 夕焼け小焼けの あたりは、とても静かだった。おそい秋の、よく晴れた一日の夕方だ。畑のなかの道路に、自動車は走っていな… 読 む 人生は流線型 現住所も家も家族も持たず、定職もなく、放浪の旅に必要なほんのわずかな身のまわりのものだけを持ち、ただ… 読 む USハイウエイのマリワナ美人 ハイウエイを西にむけて走っていた。ぼくから見て前方の、いちばん手前にいる自動車は、鮮やかなグリーンの… 読 む ロング・ライダーズは彼方へ走り去る ぼくは子供のころ、西部劇をたくさん観た。だから、西部劇、というとその当時に観た数多くの西部劇が、あい… 読 む 一九五〇年代、夢の工場 『一九五〇年代の映画スターたちのポートレート』は、いろんな意味で面白い。当時を知っている人たちは、ス… 読 む まるでカラー写真のように 現実の光景を、ただあるがままに描いただけなら、その絵はおそらく統一もなにもない、雑然とした、紙の上に… 読 む 風とドライ・マティニ 海のすぐそばに建っているリゾート・ホテルのプールサイド——ラスト・オーダーはぼくだけだった。ドライ・… 読 む 身のうえ話 その2 大学を卒業した年の四月一日から三か月間、ぼくは毎日、会社にかよった。月曜から金曜まで、毎朝おなじ場所… 読 む 映画、というもの カリフォルニアで観た一本のみじかい映画を、ぼくはいま思いだしている。主人公がおもむろにハイウエイのむ… 読 む Meadという四文字を見ると僕は反応する 片岡義男がノートブックに真面目に向き合った体験の一番最初は、作文用のコンポジション・ブックだという。… 読 む ボールペンの軸の色はどれにしますか 必要なときに取り出して使うようなボールペンは、役目や機能、インクの色などが普遍性を体現する部分として… 読 む 38 39 40 41