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エッセイ『町からはじめて、旅へ』より15作品を公開

エッセイ『町からはじめて、旅へ』(晶文社/1976年)より15作品を本日公開いたしました。なお、底本には2015年の改版を使用しています。

「故郷」を失ったぼくは、大都会のまんなかに住んでいる。その大都会の一角をいま自分の「故郷」だと呼べるほどに、愛着を持っている。では、住めば都であるその都の一角が、ほんとうに自分にとってしっくりきているかというと、そんなことは断じてないのは、面白いことだと思う。

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ぼくがおふくろの味という、日本でごく一般的に通用しているものを、まるで信じていないのは、ぼくが気どっているからでも、ポーズをつくっているからでもなんでもない。ぼくが、ただ一介の都会のヒトだから、そういうことになるのだ。たまたま田舎にいても、基本的には、ぼくは都会人だった。

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白黒のテレビがかなり一般的なものとして家庭に入りはじめたのは一九五六年、五七年ころだった。ぼくは乳飲み児の域を脱した少年になっていたが、テレビにはなんの興味もなかった。だけど、肌で、つまり全身でなにを感じていたかについて、要点だけ書いておこう。

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初夏の、よく晴れた日の午後、洗いたてのお気に入りの服を着て、ぼくはいい気分で下北沢南口の商店街を駅にむかってのぼっていった。下北沢にも銀行がふえたなあ。キョロキョロと馬鹿づらして歩いているぼくは、より多くのオカネを循環させるための巨大な円環装置の、小さな小さなひとつの歯車的なパーツのようだ。

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ペン、つまり万年筆を、長い間つかっていた。あらゆる種類のペンをためして、結局、モンブランの22番という、今ではもう生産されてないものが、いちばん良かった。鉛筆もさまざまにためした結果、ステドラー社の4Bと5Bがベスト。いまは、ボールポイント、つまりボールペンのフリークになっている——。

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九月のはじめから終りにかけて、歩いていける範囲内で秋まつりが五つか六つ、おこなわれる。夜になってから、シーズンはじまって最初のやつに、大好きな馬鹿づらをして出かけてみた。どの店もみんな見てまわった。自分ならどの商売をやるだろうかと思いつつながめていたら……。

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朝の八時ごろに起きた。陽ざしや青い空を見るなり、うわあ、もったいない! と思った。こんな日に家のなかにいるわけにはいかない。町のなかへ出るのもいやだ。野原へいこう。ミソ汁にゴハンに焼きノリ、そして、青空の青さに調和させる意味もあり、目玉焼きをひとつ、つくって食べた。そして、野原へ出かけていった。

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特別にかたちのよい樹ではない。だがやはり堂々としている。幹は大人でもひとかかえにはできない太さだ。ずんぐりと太く、すこし傾いでいるその幹から五本の枝が分かれている。夏の陽が頭上にあるときには、地面に大きな影ができる。樹齢七十二年になる、リンゴの樹だ。

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情報化社会において「個性」を問題にするときにうかびあがってくるのは、いろんな商品があふれていて、しかもそれらの商品にかかわるコマーシャル・メッセージが多種多様に飛びかっている社会だ。「個性」などとうていありえない社会だからこそ、かつてなかったほどの重要度をたずさえて、「個性」は問題にされている。

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当時のぼくが置かれていた、多少とも特殊な状況のせいでもあるのだろうけれど、小学校のなかばころまで、アメリカの安物の食料品が圧倒的な印象として、今でも心のなかに残っている。そのあと、不思議なことに、当時はまだ美しかった瀬戸内海の「海の幸」の体験がつづく。

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ぼくが高校の二年のときだったか、放課後でおなかはすいていた。学校のなかにパン屋さんがあり、そこでカレーパンとコーヒー牛乳ないしはヨーグルトを買って食べようと、ぼくは思った。「あら、パン屋さん、もう、やっていないわよ」と、クラスメイトの女の子が言った。

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「一冊の本」は、いたるところにある。敗戦の翌々年が小学校一年生になった年だから、ガリ版刷りの教科書などもぼくにとっては「一冊の本」のうちだ。兵隊さんの話を墨で消して使った古風な色刷りの教科書もそうだ。毎日、当番をきめては、放課後に硯で墨をすり、先生が黒板に書き出す部分に、墨を筆で塗っていくのだ。

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その昔、『動く実験室』という名前の子供向け科学雑誌のページの片隅に、ところどころ、小さな四角い広告がのっていた。ほとんど毎号、まったくおなじ絵柄と文案でその広告は掲載されていた。ぼくの記憶にとどまっているもっともすぐれて効果的だった文案は、「土星の環が見えます」だった。

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アメリカのペーパーバックは、「本」というよりもパッケージだ。表紙絵、文字の巧みなレイアウト、宣伝コピー、背をのぞいた三方に塗ってある赤や黄や緑の色、手に取ったときの雰囲気や質感、ニュース・スタンドに並べられている様子など、いろんな要素が、ペーパーバックをひとつのパッケージにしている。その感覚はまさに大衆文化だった。

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映画を観にいくのは、特別なことだった。幼い少年がひとりで映画館に入ってはいけない、と大人たちに言われていたし、世の中の誰もが、少年が映画を観るのは特別なことなのだと信じていた。映画というものに対して、初めから構えが出来ていた。そして、現実に映画館のなかで映画を観て、映画はシカケなのだ、と思った。

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2022年5月31日 00:00 | 電子化計画