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映画評「読む、映画」より10作品を公開(下)

『キネマ旬報』(キネマ旬報社)誌上にて2012年から2014年にかけて連載された映画評「読む、映画」より、10作品を本日公開いたしました。

アリゾナ州とメキシコとの国境、深く刻まれた渓谷の小さな田舎町の保安官をアーノルド・シュワルツェネガーが演じている。メキシコの麻薬王の三代目の息子だという男が厳重な警戒のもとに護送されようとするが、護送が始まった瞬間と言っていいタイミングで、大仕掛けな脱走を果たす。スワットを送り込むからすべては彼らにまかせろ、お前はいっさい手を出すな、と保安官はFBIに命令される。そうはいかない、という保安官の決断が、この映画の物語と展開のすべてを支えている。保安官が協力者たちを副保安官に任命する、デピュタイズの場面を、僕は久しぶりに観た。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ラストスタンド』(2013年4月公開/107分/アメリカ、原題:The Last Stand、監督:キム・ジウン、出演:アーノルド・シュワルツェネッガー)

(『キネマ旬報』2013年5月下旬号掲載)

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英語の原題は「頭に銃弾」という意味だ。この映画に則して解釈すると、眉間ないしはそれと同格の致命的な部分を一発の銃弾で射抜く、というような意味となる。シルヴェスター・スタローンが主人公のプロフェッショナルな殺し屋を演じている。「古典文学では英雄は死ぬときをまっている」という台詞を聞くことが出来る。英雄になることになんの価値があるのか、というほどの意味だろう。この台詞はいい。思わず笑ったが、笑いのあとに残るものがある。僕が楽しんだこの映画の面白さは、こうした台詞をたどっていく楽しさだったようだ。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『バレット』(2013年6月公開/92分/アメリカ、原題:Bullet to the Head、監督:ウォルター・ヒル、出演:シルベスター・スタローン)

(『キネマ旬報』2013年6月下旬号掲載)

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いまは警報装置の設置販売という堅気の仕事で日々を送る主人公、という適役をマーク・ウォールバーグが演じている。設置現場で仕事をする彼の描写が一度だけある。ブルーカラーとしての身のこなしの良さは、演技であるよりも地だろう。堅気になる以前の主人公は密輸の世界で名を馳せた男だ。義弟のおかしたヘマで家族全員が突然に陥った窮地を、「なんとかする」と彼は言う。この短い台詞ひとつが、この映画の物語全体を支えている。主人公の前歴は密輸の世界での凄腕という設定だから、いたるところにかつての仲間がいる。仲間がいれば敵も充分に存在する。そして裏切り者も。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ハード・ラッシュ』(2013年6月公開/109分/アメリカ、原題:Contraband、監督:バルタザール・コルマウクル、出演:マーク・ウォールバーグ)

(『キネマ旬報』2013年7月下旬号掲載)

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ついさきほど見終わった。かなりのところまで呆然としているが、その理由は明確だ。極めて映画的な体験をしたからだ。しかも、思いがけない作品で。これが映画だ、と僕はいま思っている。予備的な知識はいっさいなにもなしに、僕はこの作品を見た。初めのうち人物たちや彼らの置かれている状況が、正確には掌握出来ない。しかし、映画は進んでいく。展開していく。だから明確にはつかめないまま、展開を追いつつ、同時に、自分のなかに蓄積されていく理解を、修正しなくてはいけなかった。そしてこれもまた、じつに映画的な体験なのだ、という発見をした。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ベルリンファイル』(2013年7月公開/120分/韓国、原題:Bereurlin、監督:リュ・スンワン、出演:ハ・ジョンウ、ハン・ソッキュ、チョン・ジヒョン)

(『キネマ旬報』2013年8月下旬号掲載)

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死はさまざまなかたちと内容で主題になり得る。この映画の場合は、死がかならず持つ、どうにもならなさ、という側面だ。モルドヴァからパリへ移住して不法就労していたまだ若い男性が、深夜に不注意な運転をしていたベンツにはねられる。この男に関する、その後の展開が丁寧に描かれている。目撃した若い女性・ジュリエットの関与、救急隊員による搬送、病院での医師の説明など、予測される彼の死は、この段階でもはやどうにもならない。ジュリエットが、その後の展開のなかでかなりのところまで関与するのだが、その関与は、死のどうにもならなさに、まともに突き当たる。関係するすべての人たちひとりひとりに、どうにもならない、というかたちで内面から覆いかぶさる。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『黒いスーツを着た男』(2013年8月公開/101分/フランス・モルドバ合作、原題:Trois mondes、監督・脚本:カトリーヌ・コルシニ、出演:ラファエル・ペルソナ、クロティルド・エスム)

(『キネマ旬報』2013年9月下旬号掲載)

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現実を素材として、この世ならざる夢の世界を作ってみせたもの、それがこの映画だ。上映されている間は目の前に現出するが、上映が終わるとあとかたもなく消えてしまう。それは、この世にはない、と言い切っていい存在だから、この世ならざる、という言い方は、その意味において正しい。終わってクレディットがロール・アップしていく画面の所要時間にぴったり合わせて、それまでのストーリーとは独立した、しかし全体を見事にひと言で要約しているようなシークェンスがある。これが素晴らしい。ここを見逃してはいけない。ここにすべてがある。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ストラッター』(2013年9月公開/87分/アメリカ、原題:Strutter、監督:カート・ヴォス、アリソン・アンダース、出演:フラナリー・ランスフォード、エリーズ・ホランダー)

(『キネマ旬報』2013年10月下旬号掲載)

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登場する女性たちがみな素晴らしいから、彼女たちを鑑賞して楽しみつつ、そこになんらかの感銘を見つけるだけでも、この映画は観るに値する、と僕は言う。その素晴らしい女性たちのうちのひとり、確か私娼館の女主人だったと思うが、「自分がいかなる状況に置かれても、そこで最善を尽くせ」と母親から教わり、そのとおりにいまも生きている、とドク(クリストファー・ウォーケン)に語る。まったくなんの実感もわかない、という表情で彼はその言葉を受けとめる。このあたりがこの映画の核心だろう。そして、男性と女性の対比が、なかば隠されたもうひとつの主題となっている。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ミッドナイト・ガイズ』(2013年11月公開/95分/アメリカ、原題:Stand Up Guys、監督:フィッシャー・スティーヴンス、出演:アル・パチーノ、クリストファー・ウォーケン、アラン・アーキン)

(『キネマ旬報』2013年11月下旬号掲載)

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久しぶりにいい映画を観た、と僕は書く。こう書くことが出来るのはうれしい。いい映画はめったにない。監督は妹と共同作業で脚本を完成させたという。この映画のための面白い素材は、ふたりが実際に体験した範囲内でも、ありすぎて困るほどに豊富にあったはずだ。素材に関しては心配なかった。問題は、その素材を、いかに一本の映画にするか、ということだ。映画にするとは、観客に見せることだ。見せるとは、まずとにかく、楽しませることだ。楽しむ、という営みのなかに、共感が生まれる。よくここまで出来たものだ、とひとりの観客である僕は驚嘆する。その驚嘆のかげに、いい映画を久しぶりに観た、という感銘がある。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『おじいちゃんの里帰り』(2013年11月公開/101分/ドイツ、原題:Almanya - Willkommen in Deutschland、監督・脚本:ヤセミン・サムデレリ、出演:ヴェダット・エリンチン、ラファエル・コスーリス)

(『キネマ旬報』2013年12月下旬号掲載)

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原題は直訳して「北への道」という。コンサート・ピアニストとして成功している30代の終わりに近い年齢の息子のところへ、35年も行方不明だった父親が、突然にあらわれる。ふたりで北へ向かおう、と父親は息子を誘う。北へと向かうにしたがって、見ず知らずの他人と言っていい父親の背景が、すこしずつはっきりしていく。父親の背景とは、息子にとっては自分の出発点のことでもある。よく出来ている。楽しめる。退屈しない。フィンランディア・ホテルという、実際にチェーンで存在するホテルがあり、このホテルのラウンジのようなところで、父親は歌を、息子は伴奏を披露する。この場面は実に素晴らしい。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『旅人は夢を奏でる』(2014年1月公開/113分/フィンランド、原題:Tie pohjoiseen、監督・脚本:ミカ・カウリスマキ、出演:ベサ=マッティ・ロイリ、サムリ・エデルマン)

(『キネマ旬報』2014年1月下旬号掲載)

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リンダ・ラヴレイスが女優として主演した映画『ディープ・スロート』がアメリカで公開されたのは、1972年のことだったという。この映画はポルノ映画と呼ばれた。一般の映画館で公開された、物語のあるポルノ映画の、最初のものだったと言われている。男と女の性差が明確にしかも強固にあり、それが社会的な規範として男女の役割も厳しく区別し規定する、という社会にとって、ポルノは威嚇だっただろうか。ポルノは抵抗や解放だったのか。リンダ・ラヴレイスの物語は、両親と姉のいる家庭から、いまは妻として母親として営む家庭へと、たどりつくまでの物語だ。出発点と、ひとまずはたどりついたところの、どちらもが家庭だという事実からは、なにごとかを真剣に学ばなくてはいけないようだ、と僕は思う。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ラヴレース』(2014年3月公開/93分/アメリカ、原題:Lovelace、監督:ロブ・エプスタイン、ジェフリー・フリードマン、出演:アマンダ・セイフライド、ピーター・サースガード)

(『キネマ旬報』2014年3月下旬号掲載)

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2024年1月26日 00:00 | 電子化計画

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