映画評「読む、映画」より10作品を公開(上)
『キネマ旬報』誌上にて2012年から2014年にかけて連載された映画評「読む、映画」より、10作品を本日公開いたしました。
1950年代の東京にまだ貸本屋がたくさんあった頃、そこの棚にぎっしり詰まっていた漫画の単行本のなかで、活劇漫画や探偵漫画と呼ばれ表紙にもそう明記した作品群が、子供たちを待っていた。その当時の活劇漫画や探偵漫画のストーリー展開に、『ライジング・サン~裏切りの代償~』はそっくりなのだ。友人たちと回し読みしたあと、ストーリーの出来ばえを巡って熱心に話し合うのは、作品を読むよりも楽しいことだった。当時の日本の活劇漫画や探偵漫画は、アメリカ映画から甚大な影響を受けていた。そこから影響を受けた日本の漫画に、2011年のアメリカ映画がそっくりなのだから、活劇娯楽映画の伝統はアメリカでは脈々とその命が維持されている。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ライジング・サン~裏切りの代償~』(2012年公開/90分/アメリカ、原題:House of the Rising Sun、監督:ブライアン・A・ミラー、出演:デビッド・バウティスタ)
(『キネマ旬報』2012年6月下旬号掲載)
法の裁きを逃れた犯罪者たちに正義の名のもとに制裁を加える秘密組織がニューオルリンズ市にある、という設定の上にこの映画の物語全体が支えられている。制裁とは、俺たちが代わりにぶっ殺してやるよ、ということだ。いろんな領域の多数の犯罪者に関する可能なかぎり正確な、しかも膨大な資料を持っていないと、このような秘密組織は成立しないし、活動も出来ない。そして、理性という最高に高度な人間性の発露の経路は正義の実行である、という理念にこの秘密組織は拠っている。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ハングリー・ラビット』((2012年6月公開/106分/アメリカ、原題:Seeking Justice、監督:ロジャー・ドナルドソン、出演:ニコラス・ケイジ)
(『キネマ旬報』2012年7月下旬号掲載)
この映画を観て、1993年にマイケル・ダグラスが出演した『フォーリング・ダウン』を僕は思い出した。俳優たちの演技が素晴らしかったし、映画としてよく出来てはいたけれど、結末に向けて主題が高まり、その頂点で観客がなんらかの感銘を受けて心に満足感を覚えるという、いい映画ではなく、映画ならでは、という種類の作品だった。観終わったあと、胸の底に残るあと味に、多少とも重いものがあれば、という真面目な期待はしないほうが正解だ。映画ならでは、という種類の作品なのだから、観客への問いかけはないに等しい。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ゴッド・ブレス・アメリカ』(2012年7月公開/104分/アメリカ、原題:God Bless America、監督:ボブキャット・ゴールドスウェイト、出演:ジョエル・マーレイ)
(『キネマ旬報』2012年8月下旬号掲載)
銀行や郵便局、税務署などから現金を強奪することを一生の仕事にする人たちが、社会的な階層として存在する、あるいは、かつては存在した、という事実を前提として承知していると、落ちついた気持ちでこの映画をより良く楽しむことが出来る。いまも存命の実在の人物の自叙伝に多少のフィクションを加えたのがこの映画の物語だ。彼らの若い頃と劇中の現在とを、映画の時間は何度も行き来する。鋭い展開ぶりにほどよい重さがあり、まさにフレンチ・ノワールとして全編を楽しむことが出来る。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『そして友よ、静かに死ね』(2012年9月公開/102分/フランス、原題:Les Lyonnais、監督:オリヴィエ・マルシャル、出演:ジェラール・ランヴァン、チェッキー・カリョ)
(『キネマ旬報』2012年9月下旬号掲載)
さまざまな悪人たちが、それぞれに好計をめぐらせては、いろんな悪事を働く。その動機はほとんどの場合、一攫千金だ。働かれた悪事を警察が捜査する。捜査すればするほど、悪事の核心に迫っていく。迫りきったとき、悪事の全貌は明らかとなり、首謀者たち悪人は逮捕される。基本的にはこのとおりだが、そうもいかないんだよ、ということにすると、この映画のような作品が成立することになる。この作品はたいそう好評であり、それゆえに、ハリウッドでさっそくリメイクされるということだ。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『スリープレス・ナイト』(2012年9月公開/102分/フランス・ルクセンブルク・ベルギー合作、原題:Nuit blanche、監督・脚本:フレデリック・ジャルダン、出演:トメル・シスレー)
(『キネマ旬報』2012年10月下旬号掲載)
犯罪を犯して生きる悪人たちがいる。その悪人たちをなんとか退治する仕事で生きていく警察の刑事たち、つまり現場での捜査官たちがいる。このふたとおりの人たちさえいれば、面白い映画はたちまち作れる。悪人たちの生きかたである犯罪は、この映画では、セルビアでNATO軍から盗み出す銃や爆薬などだ。だが、この映画では悪人たちはほとんど描かれない。そのかわりに物語の中心になっているのは、密輸武器の捜査主任とその娘との、愛憎なかばするとしか言いようのない、相剋だ。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『虚空の鎮魂歌(レクイエム)』(2012年10月公開/95分/フランス、原題:Mains armees、監督:ピエール・ジョリヴェ、出演:ロシュディ・ゼム)
(『キネマ旬報』2012年11月下旬号掲載)
子供の頃から現在まで、銀行強盗が主題となったアメリカ映画を、いったい何本見たことだろう。西部劇を含めるとかなりの数になるはずだ。西部劇の時代ならバンダナで覆面をして銀行に入り、行員に拳銃をつきつけて「手を上げろ」と命じ、袋を投げ渡し、「それに現金を詰めろ。早くしろ」と言っていればよかったが、現代ではそうもいかない。何重にも張り巡らされたセンサーや警報装置をかいくぐり、さまざまな機材を駆使して金庫までたどり着いたら、厳重な扉を解錠しなくてはいけない。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ゲットバック』(2012年10月公開/95分/アメリカ、原題:Stolen、監督:サイモン・ウェスト、出演:ニコラス・ケイジ)
(『キネマ旬報』2012年12月下旬号掲載)
場所はいまのニューヨークだ。麻薬への需要はいくらでもある。麻薬は売れる。売れればその代金が入ってくる。売人がストリートで妊婦や子供に麻薬を売る様子を、要領のいい短い描写で見ることが出来る。売人は麻薬を売って小銭を稼ぐ。売人がたくさんいるなら、小銭とは言っても、積もればたいへんな額の現金になる。ニューヨークでこうして塵も積もって毎日のように山となるこの現金が、ピラミッド型のヒエラルキーを形成する。麻薬を売りさばく悪人の側に、当然のこととしてヒエラルキーが出来る。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『フリーランサー NY捜査線』(2013年1月公開/95分/アメリカ、原題:Freelancers、監督:ジェシー・テレロ、出演:カーティス・“50セント”・ジャクソン、ロバート・デ・ニーロ、フォレスト・ウィテカー)
(『キネマ旬報』2013年1月下旬号掲載)
この映画の終わりに近い部分に、主人公パーカーの台詞として、“It’s not about money.”という言葉を聞くことが出来る。「カネの話じゃないんだ」というような意味だ。つまり、カネならたかがでかたづくけれど、そうはいかないものについての話とは、なになのか。カネの話ではなければ、信義をめぐる話だ。パーカーの場合はそうなる。では信義とは、なにか。1960年代なかばにパーカー・シリーズの最初の二、三作を読んだときに感じた古風さが、そのままこの映画のなかにいまもある事実が僕には妙にうれしい。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『PARKER/パーカー』(2013年2月公開/118分/アメリカ、原題:Parker、監督:テイラー・ハックフォード、出演:ジェイソン・ステイサム、ジェニファー・ロペス)
(『キネマ旬報』2013年3月下旬号掲載)
戦争の最前線の白兵戦で体を張る兵士とは、なになのか。命を落とせば戦死した兵士として墓に入る。いくつもの激戦を生きのびれば、現役を退くまでは優秀な兵士だ。眼前の敵兵はそのつど倒した。だから自分はいまも生きている。ごくおおまかに言って、彼によって倒された敵兵は、彼の側の正義の犠牲者だ。その彼はアフガニスタンでの戦闘で負傷して完全に失明した。しかし戦闘能力は兵士のときのままだ。そして正義の観念も。暗闇のなかでその正義は殺し屋に転身した彼を支える。
〈この映画評で取り上げた映画〉
『ブラインドマン その調律は暗殺の調べ』(2013年3月公開/94分/フランス、原題:A l'aveugle、監督:ザビエ・パリュ、出演:ジャック・ガンブラン)
(『キネマ旬報』2013年4月下旬号掲載)
2024年1月19日 00:00 | 電子化計画
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