連載エッセイ「先見日記」より9作品を公開
「先見日記」(「先見日記 Insight Diaries」)は、株式会社NTTデータのWebサイトにて2002年10月から2008年9月までの6年間にわたり、延べ16人の執筆者によって連載された日記形式のエッセイです。片岡義男は創刊時から2005年4月までの約2年半、毎週火曜日を担当しました。片岡義男.comでは連載時の記事から、他の書籍には転載されていないものをピックアップして順次公開していきます。
楽観のなかにすわりこんでいるよりも、悲観のただなかをさまよい歩いたほうが、少なくとも思考は進むようだ。生を支えるのは楽観のほかにないかもしれないが、生を支えて進化させたり、思いもかけなかった新たな地平を切り開いたりするのは、昔からずっと、そしていまも、悲観なのではないか。悲観は諦めとは違う。
(『先見日記』NTTデータ/2002年10月8日掲載)
北朝鮮での首脳会談から帰国した小泉首相は、共同宣言に署名してきた理由を記者たちに語った。私があそこで署名せず席を蹴って帰ったらどんなことになったか、と首相は言った。まだ現実にはなっていないことを推測して言っているのだから、普通なら現在形を用い、どんなことになるか、と言うだろう。この普通の言いかたを強調するために、過去形になったのではないか。表面にあらわれている言葉づかいの問題としては、ただそれだけのことだが、その表面のすぐ下にあるものについて考えると、興味深いものがある。
(『先見日記』NTTデータ/2002年10月15日掲載)
契約、という漢字ふたつによる言葉を見て、人はなにを連想するのだろうか。ごく平凡な、現実のどこにでもある、どちらかと言うなら退屈そうな言葉だ。自覚するしないにかかわらず、人々は日本という国に十重二十重に守られて、毎日を生きている。国家は人々を守る。それが国家だ。守り守られる契約。日本人であることは、この契約の片方の当事者になることだ。
(『先見日記』NTTデータ/2002年10月22日掲載)
9月4日の午後、日本海のナホトカ沖に不審船があらわれた。高速で航行しているように見えるその船に、人の姿はない。漁具が積んであるがこれは偽装だろうという。新聞の写真を観察する僕の頭のなかで、それらはいまから10年ほども前に外国のTVニュースで見た、ある映像の記憶と結びつく。遠目には確かに船なのだ。いかにも船らしいかたちをした、やや小ぶりの船だ。だがよく見ると、その船は異様だった。
(『先見日記』NTTデータ/2002年10月29日掲載)
2003年に卒業する日本の高校生に対して、求人の数は半分しかなく、数にすると12万人ほどの高校生が、卒業と同時に無職となることが厚生労働省の調査でわかった。また、資本金30億円以上で1年決算の法人三千数百社の所得申告の今年度の総額は、前年度にくらべて20パーセントも減っているという。新聞記事にあった所得申告の上位20社のリストを見ると、TVゲームと携帯電話を別にすれば、新しい産業は育っていない。
(『先見日記』NTTデータ/2002年11月5日掲載)
これまで、というものがすべて終わっていく時代が、すでに始まっている。これまでを支えてきたものが、かたっぱしから終わっていくのだ。すでに消えたものも少なくない。新しいものの時代は来ると仮定すれば、これまでとはあらゆる意味で根源的に性質を異にするものが、これまでのものに取って代わる。基本原理が根源的に異なるのだから、古いものが終わって新しくなるのではなく、まったく違った世界へと、すべては作り直される。
(『先見日記』NTTデータ/2002年11月12日掲載)
これまでの社会を支えていたあらゆるシステムが、片っ端から終わっていく時代に入った。新しいシステムに支えられる社会が整うまでの長い過渡期のスタート部分を、いま誰もが生きている。ある日を境にして旧態が終わりを告げ、それに代わる根源的に質の異なるシステムに向けての助走が次の日から始まったという、そうめったにはないことだと僕が思う劇的な見本は、日本が始めたばかりの、北朝鮮との国交正常化に向けての外交交渉だ。
(『先見日記』NTTデータ/2002年11月19日掲載)
太平洋の戦場で日本に勝った頃のアメリカの戦争のしかたは、周到な科学性に支えられた圧倒的な物量という、いまから見れば過渡期の発展途上とも言うべき段階にあった。もうひとつ、最新鋭の爆撃機による上空からの爆撃、という戦争のしかたも当時のアメリカは持っていた。東京空襲から始まり、やがて日本全土へと拡大された爆撃は、それを受けるほうから見れば無差別の殺戮だった。
(『先見日記』NTTデータ/2002年11月26日掲載)
一連の企業不祥事、という言いかたで、いまでもまだ意味が伝わるかどうか。忘れ去られるのは早い。社会から多少は得ていたはずの信用を自ら失った、利益のために企業が犯した重大な犯罪は、資本主義の終わりを見せてくれている。自分たちの会社の利益のためにはそんなことまでするのか。現場の判断だったというのは言い逃れだ……。この件についてのどの反応や意見もそれぞれに正しい。しかし、ことの核心は衝いていない。
(『先見日記』NTTデータ/2002年12月3日掲載)
2025年2月21日 00:00 | 電子化計画