先見日記 ご挨拶 『悲観』のなかで考える
楽観のなかにすわりこんでいるよりも、悲観のただなかをさまよい歩いたほうが、少なくとも思考は進むようだ。生を支えるのは楽観のほかにないかもしれないが、生を支えて進化させたり、思いもかけなかった新たな地平を切り開いたりするのは、昔からずっと、そしていまも、悲観なのではないか。悲観は諦めとは違う。いったいどうしたらいいのだろうか、と考え続けるのが悲観だから、考えれば考えるほど、代案の数は増えていく。重なり合う多くの代案の迷路のなかに、もっとも好ましい経路を、いかに見つけたり生み出したりするか。いま試みてもっとも面白いのは、歩むべき道を悲観…
『先見日記』二〇〇二年十月八日
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