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エッセイ『自分を語るアメリカ──片岡義男エッセイ・コレクション』より11作品を公開

エッセイ『自分を語るアメリカ──片岡義男エッセイ・コレクション』(太田出版/1995年)より11作品を本日公開いたしました。

アメリカの有名ブランド商品のなかでなにが欲しいときかれたら、まずなにはおいても、エアストリームが欲しい。エアストリームは、モーター・ホームないしはトラヴェル・トレイラーのことだ。本来は私企業のブランド名であり、固有名詞なのだが、アメリカ国内では一般名詞の位置に到達していると言っていい。ただ単にひとつの光景としてきわめてアメリカ的であるだけではなく、アメリカが非常に大切にしているいくつかの理念のうちのひとつを見事に具現しているからこそ、うわっ、ここにアメリカがある、と思う。

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昔、ロケット88という面白い名前の自動車が、アメリカにあった。オールズモービルが1952年にマーケットに出したものだ。そのフード・オーナメントの形は、ストリームライン・モダン(現代流線型)の、もうすこし洗練されたものだった。ストリームライン・モダンという呼び名は、自動車なら、1930年代や40年代のものに、ほぼあてはまる。1950年代のアメリカの自動車が、なぜロケット的であり、宇宙探検的であったのか、その謎を解こうと思うなら、ストリームライン・モダンのはじまりまでさかのぼるといい。

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アメリカのいろんな出版社から、カタログが届く。見ていると、けっこう楽しい。せっかくだから、利用しない手はない。欲しい本のリストをタイプで打ち、定価を合計して、送料を加え、グランド・トータルを出す。外国為替の係がいる銀行へ行き、インタナショナル・マニー・オーダーをこしらえてもらい、注文書の手紙と本のリストにそえて、航空便で送る。本というものは、その国が持っている文化を、たとえば針の先のような形で体現しているものだ、とぼくは思う。1960年代なかば以来、アメリカもかなりいかれてきて鈍くなっているのだが、余裕という広がりのなかに点在する、鋭く知的で面白い刺激をひろいあつめることは、まだ充分に可能だ。

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ダイム・ストア。あるいは10セント・ストア。ファイヴ・アンド・テン、ともいう。値段の安い日用品を広いジャンルにわたってとりそろえて売っている店の総称だ。1940年代の十年間は、ダイム・ストアの最盛期だった。当時ハリウッド映画は、共通の夢で国民をひとつにまとめる大役を果たし、人気女優たちは、戦意高揚からダイム・ストアに並んでいる日用雑貨のマーチャンダイジングやパッケージングにいたるまで、まるで夢の素のように徹底的に活用された。ハリウッドという最大にして唯一の中心が、全国の映画館とダイム・ストアに、華やかで明るい夢のイメージを供給していた。

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シアトルのアーリー・ウィンターズ社に注文しておいた品物が届いた。アウトドア活動の愛好者たちのために、それ用の衣類や用品を提供している会社および店だ。今回のショッピング最大のヒットは、『ザ・グレート・サンダイアル・カットアウト・ブック』というタイトルの、紙で作る日時計の本だ。日時計は、本当に面白い。機械じかけの時計がきざんでいる時間はじつは架空の噓の時間であり、本物の時間は、太陽があたえてくれる太陽時間だ。それを日時計は、影として写し取って見せてくれる。自分がいま存在している地球上の場所と太陽との関係をじつにみごとにドラマチックに見せてくれるのが日時計だ。

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1950年代および1960年代のアメリカの自動車には、マニアの存在を支えるに足る独特な世界がある。完璧にレストアしたご自慢のお車を前にして、自分とおなじ趣味ないしは病気の人を相手に、細かなディテールに満ちたやりとりを、飽くことなく彼らはとりかわす。自動車という具体的なかたちを中核にして、1950年代や1960年代は彼らのなかで現在でも生きている。『アメリカの愚行 一九五〇年代と六〇年代のアメリカの自動車』という本は、この時期のアメリカの自動車の数々を、これ以外にない唯一無二の正解という感じで、写真に撮って載せている。

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鉄道が最も盛んだったころのアメリカの鉄道がそのまま発展して続いていけば、アメリカはきっと世界最大の鉄道国になっていたはずだが、自動車がアメリカのすべてを変えてしまった。自動車がその初期からいきなり大量に普及すると、それと呼応して全国的に広まっていかなくてはならなかったものがいくつも出てきた。もっとも基本的でありながら研究の対象にこれまで一番なりにくかったのは、ガス・ステーションだ。コロンビア大学で歴史的建造物の保存プログラム研究の一環として発行されたという『満タン!』という本は、その歴史を追った、信頼するに足るアプローチと内容の参考書だ。

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現代のアメリカの街を歩いていて目に映じてくる広告看板や案内標示の数々は、それを全体にひとまとめにしてとらえると、確かにアメリカの言葉であり文化であると言える。いまのアメリカにとって全国的に通用する標準語みたいなものを、すぐ目に見えるかたちでとらえるなら、看板や標示、つまりサインの英語なのだ。その突出のしかたは、アメリカの場合、たいへんに具体的であり、そこに突出している文化の一端にまるで手を触れることができるほどに、輪郭が鮮明だ。

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『ボウル・オ・ラーマ』という本によると、ボウリングのはじまりは、紀元前5200年のエジプトまでたどることが出来るという。単純なゲームだから、そのはじまりはエジプトだけでなく、いろんなところにあってもおかしくない。3世紀頃のドイツでは、現在のボウリングの原形とおぼしきものが、宗教上の行為として、行われていたという。戦後になって、ボウリングは一種の革命を経験した。自動のピン・セッターが登場したからだ。

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よく出来たホット・ドッグは、そのひとつひとつが、共和国なのだ、夢のユートピアなのだ。とにかく、上出来のホット・ドッグの香りに胸をときめかせながら、そのほどよく熱いホット・ドッグを手に持ち、がぶりとひと口、嚙みとって口に入れた瞬間、メモリーの呼び出しとスクロールがはじまる。あのときのあの光景が、秘伝のソースの味と香りの彼方に、懐かしくもくっきりと浮かび上がる。いま自分が食べているこのホット・ドッグの味は、あのときのあのホット・ドッグの味と同じだと思うと、胸がいっぱいになる。このような感激は、かならずや、愛国心につながる。

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どうしても読まなければいけない本が3冊あった。読むほかなく、そのためには読むことだけのための場所と時間を作ってしまうのが、1番いい。だから僕はその3冊の本を持ち、新幹線に乗って西へむかった。京都へ着くまでに、3冊のうちの1冊を読んでしまった。翌日、神戸で7冊の絵本を買うことが出来た。どれもみな素晴らしい出来ばえの、外国の絵本だ。ふと入った書店で外国の絵本を何冊か買うという、僕にとってたいへんうれしい出来事を可能にしてくれる店が、東京には3、4軒しかないのは、残念なことだろうか、それとも3、4軒もあればそれで充分だろうか。

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2022年7月19日 00:00 | 電子化計画

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