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寒い日は、炬燵と蜜柑と片岡義男。

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 2015年11月、片岡義男さんの新しい短編集『この冬の私はあの蜜柑(みかん)だ』が発売になりました。またこの度、片岡義男.comでは、これまで発売した160作品の中から、テーマ別に5編を選んだ3セットとお正月用に3編を選んだお年玉セット(BinBストア限定版)の計4種類を「片岡義男ボックス」と題して企画販売いたします。
 年末年始は、炬燵(こたつ)で蜜柑で、片岡義男三昧! というわけで、『この冬の私はあの蜜柑だ』担当編集者の須田美音さん、装丁を手がけた永利彩乃さんをお迎えして話をうかがいました。
講談社|文芸第二出版部:須田美音さん
編集ライター[『ケトル』編集部]|デザイナー:永利彩乃さん

聞き手 北條一浩(片岡義男.com編集人)

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―― はい、ICレコーダーのスイッチ入れました。って言うと緊張しますよね(笑)。

nataoshi03永利:します! いつもはインタビューする側なので……。

―― この本は、雑誌『In The City』(トーキョーカルチャートbyビームス)に発表した作品が中心になっています。

須田:『In The City』から7本、あと2本が書き下ろしです。片岡さんの最近の本は、だいたい7本で1冊にまとまることが多くて、片岡さんも私も「これで1冊になりますね」なんて言っていたら、どうもそれだとページ数が足りない。「フォカッチャは夕暮れに焼ける」など、かなり短いものが含まれているので薄い本になってしまうなと。そこで、「長めの1本か短いものを2本、書き足していただけませんか?」とお願いして合計9本になりました。

―― で、結果的にその書き足したほうの一編からタイトルを取った。

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須田:はい。11月後半に出す本なので、季節的にピッタリだと思いました。でも、発売時期が冬だから、というのは実は後付けの理由で、私は冒頭の「愛は真夏の砂浜」がすごく好きなんですね。恋愛とも言えない男女の話で、回想があいだに挟まっているのがすごくいい。これは文字通り夏の作品で、この作品から本をスタートしたい、というのは決めていました。そこで、夏から始まったのだから冬で終わることにしてほしい、季節は冬で、しかも男女の物語にしてくださいとお願いしました。

―― 最初の「愛は真夏の砂浜」が葡萄のアイスで、最後の表題作が蜜柑。葡萄から蜜柑へ、という流れですね。

須田:そこは片岡さんがどこまで意識されたかはわかりません。でも、結果的には果物も対になっていて面白いですよね。「この冬の私はあの蜜柑だ」というタイトルは、ひとつひとつの単語は普通だけど、それをこの並びにできるのは片岡さんしかいないんじゃないか、と思います。本当に独特で片岡さんらしい。やっぱりタイトルはこれです。

―― 例えば3編目の「銭湯ビール冷奴」だった場合と比べると……

須田:デザインも含めてまったく印象が違ったでしょうね(笑)。タイトルが決まる前から「装丁は永利さんに」と片岡さんもおっしゃっていて、それは『ミッキーは谷中で六時三十分』(講談社 こちらも須田さんが編集を担当)の時の装丁をすごく気に入ってらしたからです。「今回も永利さんにおまかせすれば安心だ」と。

 

永利:ありがたいですが、緊張します。私がラフを持っていった時も片岡さんはご覧にならなくて、「ぼくは見ません。須田さんと決めてください」って。

須田:本ができあがるまで、装丁は一切ご覧にならなかったです。見本の段階で初めて見ていただきました。

―― その時は、なんとおっしゃっていましたか?

須田:「いいですね、広がる感じがいい」とおっしゃって、とても気に入ってくださいました。


 炬燵のイメージと蜜柑含め、まるいモチーフ

―― 装丁はタイトルが決まってから考え始めるんですか?

スクリーンショット 2015-12-24 16.03.31永利:基本はそうですが、ゲラをいただいて、作品を読んで、そこからヒントをもらうことをいつも考えます。私は装丁が本業ではないので、やり方が他の方とまったく違うかもしれませんが、まずはゲラを読み進めながら、なんとなくキーワードになりそうな言葉をピックアップしながらゲラを読み進めていきます。今回の本では、表題作の「(炬燵は)完全に均衡したきわめて小さな宇宙」というところがすごく印象的でした※。どうしてこんなことを思いつくんだろう、と深い感銘を受けて、それをテーマにしてみようかな、と考えはじめました。
また、読み進めていくうちに葡萄や蛇の目傘などまるいモチーフがいくつかあったので、そこからもイメージを膨らませました。炬燵のイメージと、まるいものを集合させたようなイメージと、その2つのパターンで行けるんじゃないか、という所にたどり着きました。


※「アメリカに留学してたとき知り合ったアメリカ人の男性が、仕事で日本へ来て三年ほど滞在してたとき、炬燵蜜柑を英語で説明したことがあったなあ」
と、景子は言った。
「炬燵に入って蜜柑をむき、ひと房ずつ食べても、得られるものは具体的にはなにもないけれど、そのかわりに失うものもなく、完全に均衡したきわめて小さな宇宙であり、それは誰にも邪魔されない自分だけのものである、なんて英語で言ったっけ」


DSC04815須田:
永利さんからアイデアをたくさんいただいたので、編集部のメンバーや他の部署の人たちに人気投票してもらいました。どんな内容の小説なのか知らない人にあくまでパッと見た印象で判断してもらったんです。だいたいこういう時はどれかに票が集中するものですが、今回はすごく意見が割れたんですね。「どれもいいなあ」という人もけっこういて、これは最終的に私が自分で決めるしかないかな、と思いました。
DSC09591 そこで、私は炬燵を思わせる四角形のイメージと、円がいくつも並んでいるテキスタイルっぽいイメージが気に入ったので、この2つのイメージでさらに何案か出していただくことになりました。

永利:編集部の皆さんの意見を須田さんがフィードバックしてくださって、それを元に何度か、ブラッシュアップしていきました。最終的に丸いモチーフの案に収斂していきましたが、でも、ギリギリまで迷っていましたよね。

須田:実は蜜柑のまるさを基本モチーフにしたテキスタイルの案に決まりかけていたんですが、どうも私の中で捨てきれない何かがあってずっとひっかかっていたら、その捨てきれないほうの炬燵の案のほうで永利さんがまたさらに別案を送ってくださって。それを見て、「こっちだ!」と。

永利:文字の位置などを調整した炬燵案も完全にダメもとで送ってみたんです。そうしたら、それを最終的に採用してくださった。最後まで粘ったのも、やはり私の中でも捨て切れない何かがあったからだと思います。だから、結果的にこのカバーになったのは、私としてもとてもうれしいんです。

須田:よかった!

―― 採用されたカバーのほうが2015年の小説という感じがします。蜜柑モチーフもとてもチャーミングですが、70年代あたりに出ていた女性のエッセイ集みたいな趣があります。大橋歩さんとか。落合恵子さんとか。あ、落合さんの場合は蜜柑じゃなくてレモンちゃん、でしたね(笑)。 

永利:片岡さんの装丁をやらせていただく時は、ノスタルジーに寄り過ぎないように、ちょっとソリッドな感じは入れたいなと、いつもそう思っています。

―― はい。そこがいいと思います。それにしてもこのあざやかなオレンジのカバーは、本屋さんでとてもいい感じに目立っていますね。

須田:このタイトルじゃなかったら、絶対この色にはなっていないですね。印刷所の方にも、オレンジは出すのがとても難しい色なんですよと言われました。

 


表紙や章扉にも巧みなアイデアが生きている

―― 装丁というとカバーの話にばかりなりがちですが、カバーを外すとまた表紙が見事なんですね。カバーも炬燵に小さな蜜柑がちょこんと乗ってますが、表紙はあざやかなまるい蜜柑モチーフが大きく使われています。

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須田:カバーにはなりませんでしたがこの大きな蜜柑モチーフもどこかに生かしたいと思い、表紙に使わせていただきました。カバーと両方、楽しんでいただきたいです。

―― ぼくはこれを拝見して、実家に帰省する時とか、駅の売店で買う冷凍蜜柑を思い出しました。今時、冷凍蜜柑買って電車で食べる人なんていないかなあ。

須田:あ、あのアミに入っている縦長のヤツですね。なるほど!

―― カバーってみんな、意外と外さないでしょう? 読み終わってからふと思い立って開けてみると、あ、こんなことになっていたのか、ということがよくある。ぼくはすぐに開けて見るほうなので、あれはもったいないなあ、と思います。

永利:私もすぐ開けて表紙を見るタイプなので、もし最後まで気がついてもらえないとしたらちょっと悲しいですね(笑)。

―― そしてカバー、表紙だけではなく、章扉にも工夫があって、ここもぜひ見ていただきたいですよね。

永利:そうなんです。『ミッキー……』の装丁の時に試みたんですが、「これがあると、それぞれの短編が始まる位置がわかって、とてもいい」と言ってくださった方がいらして、今回も採用することにしました。


扉―― このインタビューを読んでくださる方で、まだ本を手にしていない方のため
に説明しておくと、本に収録されている9つの短編にはそれぞれ章扉がついています。扉の真ん中にはもちろんタイトルの文字が大きく入っていますが、それ以外に、ページの左端のほう、本の小口に近い部分に、それぞれ丸いモチーフの模様がスミで描いてあるんです。その丸いモチーフは、葡萄に見えたり、かじったフォカッチャやティラミスに見えたり、蛇の目傘に見えたり、各作品のモチーフを反映していてとても楽しいんですが、それだけじゃないんです。
モチーフがページの左端でちょっと切れるように描かれているので、本を小口のほうから見ると、ちょうどインデックスみたいになっていて、あ、ここが章扉だな、ここから短編が始まるんだな、というのが一目でわかるようになっています。しかも、最初の章扉から最後の章扉まで、右上から左下へ斜めにインデックスの目印が配置されていて、ちょっと辞書みたいな感じもあります。これは画期的なアイデアだなあ、と思います。

須田:
その、ちゃんと全部斜めになっているのがすごい、ということを、きょう永利さんに言わなきゃ、と思ってここに来ました。

―― まさかきょう気がついたとか(笑)?

須田:違います(笑)! 気がついていましたが、そのことについてちゃんと永利さんにお礼を伝えていなかったな、と思って。でも、実は気がついたのは製本してから、なんですけど……。

―― それからこの本、仮フランス装にされていますね。

永利:『ミッキー……』の時も仮フランスでしたが、やはりいいですね。

須田:片岡さんの小説は、やはり本という物そのものが好きな方が読むんじゃないかと思って、仮フランスで行きたいと思いました。

―― 仮フランス装だと、やはり費用もかかるんですか?

須田:表紙を折り込む分、製本に時間がかかるので、営業から最初は反対されました。コストも仮製よりは高くなりますね。

―― 帯のこともお聞きしていいですか? 岡村靖幸さん、窪美澄さんの推薦コメントが入っています。

須田:ここは完全に編集側の意向によるものです。『ミッキーは谷中で六時三十分』が刊行された直後、「窪美澄さんという作家がぼくの作品を昔から読んでくれているらしいです」と片岡さんがおっしゃったんですね。たまたま窪さんとお会いした時に直接、言われたようです。そのあと、窪さんが東京新聞のコラムで『ミッキー……』のことをお書き下さっているのを読んで、片岡さんの作品が本当にお好きなんだなぁと感激したんです。今回、帯コメントをお願いしましたら、ご快諾いただきました。

―― 岡村靖幸さんというのも意外性があるような、いや、ピッタリのような……。

須田:『ミッキー……』の時に小西康陽さんにお願いしたように、今回も文学の世界とは違う分野で活躍なさっている方にお願いしたかったんです。で、完全に私の勘で、岡村さんは片岡さんの作品をお好きなんじゃないかな、と。

―― ええっ。勘ですか? どこかで岡村さんが片岡作品について語ってらした、とかではなく?

須田:そうじゃないんです(笑)。マネジメントをなさっている方にご連絡をとることができて、伺ってみたら、「岡村は、以前から片岡さんの作品を読んでいますよ」って。嬉しかったですね。それでゲラをお送りしたら読んでくださって、とてもステキな、歌詞のようなコメントをいただきました。

―― なかなかすごい話ですね。怖ろしい勘です(笑)。売る立場としては、やはりこういう帯は必要ですか?

須田:
片岡さんを以前から好きな方はきっと読んでくださると思うんですが、新しい読者にもぜひ読んでもらいたかったんです。岡村さんの音楽を好きな方が、「岡村さんが昔から読んでいる片岡さんってどんな作家だろう?」と思ってこの本を読んでくれたら良いなと思いました。Twitterで岡村さんのファンの皆さんが、本の発売前からつぶやいて下さっていて、とても嬉しかったです。


まったく存在を知らなかった作家と続けて仕事をするということ

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―― このあたりで、お二人と片岡さんとの最初の出会いについてうかがいたいと思います。ぼくは『洋食屋から歩いて5分』(東京書籍)というエッセイ集が出た時に「サンデー毎日」で片岡さんにインタビューさせてもらった時が初対面なんです。本屋であの本を見て、「今までの片岡さんの本の装丁とぜんぜん違う」と思ったのを鮮明に覚えています。

永利:それが最初にやらせていただいたお仕事です。

―― そもそも片岡さんとの接点はどこで?

永利:4年ほど前、夜学でデザインの専門学校に通いながら、私がある編集部にインターンに行っていたのですが、そこの編集者の方が、片岡さんが講師をなさっているクリエイティブライティング講座を受けていたんです。その方が写真とインタビューを集めた片岡さんについてのミニコミ誌を作るというタイミングで、「永利さん、よかったら表紙デザインと本文組み、やってもらえませんか?」と誘っていただいたんですね。それで作ったものを片岡さんが気に入ってくださって、そこから東京書籍の編集者さんを紹介していただきました。『洋食屋から歩いて5分』から始まって、『ミッキーは谷中で六時三十分』『翻訳問答』(鴻巣友季子さんとの共著、左右社)『去年の夏、ぼくが学んだこと』(東京書籍)と続いて、『この冬の私はあの蜜柑だ』で5冊目です。2月に出す本の装丁もやらせていただいているので、それで6冊になります。

―― 続いてますね。すごい凝縮度。須田さんは「群像」編集部にいらした時が最初ですか?

須田:
そうですね。お恥ずかしい話なのですが、私は数年前まで片岡さんの作品をまったく読んだことがないどころか、片岡義男という作家の存在すら知りませんでした。私は岸本佐知子さんの翻訳作品が学生時代から大好きで、幸運なことに「群像」では担当もさせていただいていたのですが、岸本さんが「yom yom」という雑誌のエッセイで片岡さんのことを書いてらしたんです。「すごいよ!! ヨシオさん」というタイトルで(笑)。それを読んで「この片岡義男という人は何者だろう」と興味が湧きました。岸本さんはそのエッセイの中でハヤカワ文庫の片岡義男セレクションの一つ『花模様が怖い』に入っている「狙撃者がいる」という短編のことを書いていて、ある女性がひたすら銃で人を撃ち続ける話だと。それがすごく読みたくなって、ハヤカワのセレクションで初めて片岡さんの作品を読みました。

―― 最初に読んだ片岡作品が「狙撃者がいる」というのもすごいですね。「すごいよ、ヨシオさん!」というのは、そのまま『真夜中のセロリの茎』(左右社)の帯に使われていますね。で、すぐに原稿依頼になったのですか?

須田:ちょうどその頃、「文學界」で片岡さんが短編を発表されていました。後に『恋愛は小説か』(文藝春秋)にまとまる短編ですね。それを見て、「あ、これ、あの方だな」と。ぜんぜん作風は違うけど、こちらもすごくおもしろい。それで、「文學界」の当時の担当者がたまたま高校の先輩だったこともあり、仲介をお願いしてまずはお目にかかれることになりました。

―― 片岡さんは文芸誌には長く書いていなかった作家ですが、片岡さんに依頼したい、という提案は、「群像」編集部ではすんなり通るものですか?

須田:編集長が世代的にも片岡さんを以前から読んでいて、「文學界」を見て、「うちでも書いてもらえないかなと思っていた」ということだったので、むしろ背中を押してもらった感じですね。ただ、私みたいな最近まで片岡さんのことを知らなかった若輩者が会いに行ってだいじょうぶかな? とは思いました。

――お会いして短編の依頼を?

須田:ぜひ小説を書いていただきたいと思っていましたが、まず「群像」に書いていただけますか? というところからですね。片岡さんは「「群像」に書くのは初めてなので、デビューになりますね」と、おっしゃいました。私はそれまで片岡さんが一度も「群像」にお書きになったことがないとは思っていなかったので、びっくりしました。片岡さんも、「「群像」は難しい顔をしたおじさんばかりでやっているイメージだったけど、あなたみたいな若い女性もいるんですね」と(笑)。古い文芸誌のイメージがいい意味でなくなったようです。それで最初に書いていただいたのが「タリーズで座っていよう」(『ミッキーは谷中で六時三十分』に収録)です。

―― 最初にお会いした時の片岡さんの印象は?

須田:『ミッキー……』のあとがきに、初めてお会いした時のことを、私にはもったいないくらいとてもステキに書いてくださったのですが、片岡さんがギンガムチェックの長袖のシャツを着ていらっしゃったのがすごく印象的だったんです。片岡さんのプロフィールを拝見すればこれくらいの年齢というのはわかりますが、そこから想像していた方よりずっとお若くて驚きました。

―― 最初の印象は永利さんにもお聞きしたい。

永利:あの独特の間が最初、わからなくて……

―― わかります(笑)!

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永利:あ、もしかして怒らせてしまったのかな…… と思ったこともありました。須田さんと同じで私もぜんぜん片岡さんを存じ上げなくて、かろうじて『ハロー・グッドバイ』『スローなブキにしてくれ』など、タイトルをいくつか聞いたことがある程度でした。最初にお会いした時は確かすごい片岡さんファンの方と一緒に行って、その方は緊張でガチガチだったんですが、私は無知なのでごく普通に接してしまい(笑)、あとからすごい人だと知って、ちょっと失敗したかなと。次にお会いした時にあまりにも会話の間が長いので「やっぱり先日の私の態度は失礼だったのかな?」と反省したりもしました。でも、そうでないことがだんだんわかってきましたよ。

 

―― 年齢もだいぶ離れているし、それまで会ったことのないタイプだったのでは?

永利:そうですね。なんというか…… 紳士だけど遊び心を忘れていない方。片岡さんのような方が、本当にカッコイイ人というのだろうと。片岡さんのようになりたいと、人生のお手本にしている人がたくさんいるんだろうな、と思います。

 


ニュアンスに逃げない 影のない日向の世界

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―― 世代にこだわるわけではないですが、片岡さんは1974年に「白い波の荒野へ」で小説デビューして、「スローなブギにしてくれ」が代表作とよく言われます。あれが81年に映画化され、角川文庫がたくさん出ました。80年代ですね。それが90年代になると文庫の多くが絶版になってしまう。お二人のように20代、30代の方はどうなんでしょう、周りの友達とか知り合いとか、読んでいますか?

永利:私と同世代だと音楽、特に洋楽ですね――ビートルズとかが好きな男性がいて、いま27歳ですけど、彼はよく「片岡さんは神!」と言ってます。

―― 須田さんはその後、片岡さんの旧作を読んでみたりとかは?

須田:
なにせすごい数なので全部はとても読めていません。小説ではないですが『日本語の外へ』(角川文庫・品切れ/筑摩書房・kindle版)は衝撃的な本だと思います。最近はああいうものはあまり書かれていない気がしますが、海外のニュースを見ながら湾岸戦争について考えたことを、言葉を手がかりにしながらとても論理的に、かつ真摯にお書きになっていて、こういう本も書いていたんだな、と驚きました。

―― あの本が出て少し風向きが変わった、というのはあると思います。片岡さんをなんとなく「オートバイとサーフィンの小説をいっぱい書いてた人」とばかり思っていた人には驚きだったし、今までと違う読者がついた本でもあると思います。そこで文芸批評家や編集者が急いで読み始めた、ということがあったと思います。片岡さんにとってはぜんぜん関係なく、その時々でやりたいことをやっていた、ということだと思いますが。
で、2000年代に入ってからまた小説を量産されていますよね。書きたいことがいっぱいある、ということだと思います。

須田:『日本語の外へ』を読んでびっくりはしましたが、同時に片岡さん自身はきっとずっと変わっていなくて、それがすごいなと感じました。アウトプットの仕方は小説、エッセイ、評論と形を変えていますが、片岡さんが周りを見る目は一貫していると思います。周りがどんどん変わっているだけで、常に同じ距離感で周りを見つめてそれを文章にしてきた。土台がしっかりしていて時代に流されないところが素晴らしい。だから私たちやもっと下の世代の人が読んでもすごく面白いと感じると思います。私もなぜ片岡作品にもっと早く出会わなかったんだろう、と思います。

―― 読みやすくはないですからね。「感動しました」「泣ける」というものではないし、読んで突き放される小説も多いし。

永利:どこがどういいか、なかなか具体的に説明するのが難しいですね。言葉にしにくいけど、でも「良いんだよ!」と全力でおすすめしたくなる。不思議な世界観ですよね。

―― そう考えると、かつてあれだけ文庫で出ていて読まれていたのもすごいことで、角川の赤背が読みやすいかといったら、それもけっしてそうじゃないと思うんです。そこはよく考えるとやっぱり不思議なんです。
と、感慨にふけっていてもしょうがないですが。『この冬の私はあの蜜柑だ』の中ではどの作品がお好きですか?

DSC04973永利:
私は表題作がいちばん好きですね。あと最初の「愛は真夏の砂浜」も好き。私は『去年の夏、ぼくが学んだこと』の中にすごく好きなセリフがあって、「材料が日常の中に無限にある」という所(※)。普通の人なら見逃してしまう事実に気づくことができるのがすごい。それが今回の本だと、さっきの「炬燵は小宇宙」という所につながります。日常のほんとうになにげない所から、思いもつかない展開まで話を広げてしまうのが、片岡さんワールドだと感じます。


※「小説の中の材料が自分のなかにあるのだと思うと、面白くはならないよ。小説に書く物語はすべて自分の外にある。その人とこんな内容の議論を重ねたんだよ。
材料はすべて自分の外にあるんだから、無限だよ。したがって面白さもきりがない」

須田:私も冒頭で申し上げたように、表題作と「愛は真夏の砂浜」が特に好きです。あと「銭湯ビール冷奴」のラストに、主人公が靖国通りの交差点を渡ることを想像する場面があるのですが、「渡りきったとき、その自分は次の時代のなかにいる」というフレーズが大好きで。こういう文をさりげなく潜ませているところが本当にすごいなと。片岡さんの小説に書かれている世界は、なんとなく自分たちと地続きなようでいて、でも、現実の身の回りのことをただ書いても、こうはならない不思議さがある気がします。私が最初に片岡さんの作品を読んだ時の印象が、影のない日向、なんです。太陽が真上にあって影がぜんぜんできない世界。こういう文章を書く方はいそうでいないなと思いました。影のニュアンスとか、日差しのかげり具合とかで読ませる書き手が多いなかで、片岡さんの文章は独特の魅力がある。

―― そろそろお腹も空いてきたので、締めくくりに行きましょうか。片岡義男.comも幸い、若い人のアクセスも伸びていてとてもありがたいんですが、なにしろ小説がいっぱいあるので、どれから読んでいいかわからない、という人も多いと思います。今回の本に限らず、まずはこれがオススメ、という作品を挙げていただけないでしょうか?

須田:私は最初に読んだ「狙撃者がいる」がとにかく衝撃でした。オートバイや恋愛が苦手な人でも、ああいう乾いたものは好き、という人はいると思います。あれはちょっと極端な例かもしれませんが。そういえばきょう出たDSC04939ばかりの「週刊現代」のインタビューで、いちばん好きな映画として片岡さんは『拳銃魔』(ジョセフ・H・ルイス監督、1950年)を挙げています。私は未見ですが、女性が銃でひたすら撃つ映画だとお聞きしました。そんなところに片岡さんの原点があるのかなとも思いました。ちょっと過激な作品を挙げてしまいましたか(笑)?

―― いや、70年代から80年代に書かれた短編で、女性に銃を持たせた結果、ひどいことになる、という小説は他にもいくつかありますから、だいじょうぶです(笑)。
永利さんは?

永利:私は『去年の夏、ぼくが学んだこと』がいいかなと思います。こう言うと失礼かもしれませんが、ラブコメ漫画やアニメの定番である逆ハーレムもののようなイメージも感じるんです。ただ、片岡さんがそれを書くとこんなに洗練された世界になるんだ、という驚きがありました。これは、アニメ好き・ラノベ好きにも読んでいただきたいです。

―― 1970年代を舞台にした話ですが、今読んでもとても深く刺さってくる青春小説ですね。なるほど、あそこから入るのはいいですね。
きょうのお礼に、お二人には、片岡義男.comがリリースしている電子書籍を全部読めるキーを差し上げます。現在160作品ありますが、番号順に読むと書かれた年代の古いものから読めますから、よかったら試してみてください。

須田 永利:すごい!

須田:夢のようなキーですね。

永利:それこそ年末年始は完全に片岡ワールドにハマれますね。

―― きょうは長い時間、ありがとうございました。まだまだお二人で新しい片岡さんの本を作れそうですね。永利さんは今後、片岡さんの装丁を全部やるくらいの勢いでやってください。
 さあ、カレー食べに行きましょう。


『この冬の私はあの蜜柑だ』片岡義男(講談社)
2015年11月17日刊行



“この正月の読書は片岡義男だ”
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DSC049882015年12月14日
株式会社ボイジャーにて
インタビュー・構成/北條一浩
協力/八巻美恵

 


2015年12月25日 09:00