エッセイ『CDを積み上げる』より12作品を公開
岩波書店の雑誌『図書』にて2020年から2022年まで3年にわたって連載された『CDを積み上げる』からの12作品を本日公開しました。
いま僕が個人的に所有しているCDが2600枚はあるだろう。数年前に専用の棚を用意したら、そのときあったCDがちょうど、その棚に納まった。それ以後に買ったCDは、おなじ場所に積み上げてある。40年ほどの期間で3000枚いかないのだから、たいしたことではない、と自分に言っている。CDはおなじ透明なプラスティックの容器に入っている。再生するための手順はまったくおなじだ。スピーカーから音が出た瞬間から以後は、1枚ずつまるで異なる。あまりにも異なるから聴かざるを得ない。だから僕はCDを次々に、聴くために、買う。棚がなければ積み上げればいいだけだ。
(『図書』岩波書店/2020年1月号掲載)
ある日、町田のタワーレコードで棚を見ていたら、カレン・ダルトンのCDがボブ・ディランの仕切りのなかにあった。ディランがただひとり高く評価した女性歌手がダルトンだ。自宅に帰り、すぐそのCDを聴いてみた。どれも彼女はゆっくり歌っている。この声でこれだけゆっくり歌えば、すべてはブルースになる。フィービ・スノウの『サンフランシスコ・ベイ・ブルース』を聴きたくなった。2曲目の『ハーポのブルース』が僕の好みだということを、久しぶりに聴いて思い出した。
・カレン・ダルトン「Something on Your Mind」(アルバム『In My Own Time』/1971より)
・フィービ・スノウ「Harpo's Blues By Phoebe Snow」(1974)
(『図書』岩波書店/2020年2月号掲載)
ヤエル・ナイムの3作目のCD “Older” を店舗で購入した。ヤエルは1978年の2月にパリで生まれた。両親はチュニジアからフランスへ移住したユダヤ人だ。四歳のときに彼女はイスラエルに移住した体験を持つ。作り出される音楽は彼女の「人生のサウンドトラック」だという言葉が、日本語のライナーにある。
ソフィー・セルマーニというスエーデンの女性歌手のCD5枚を2019年の夏の初めに手に入れた。1995年の第1作から5作目の2008年まで、この5枚のなかに13年という時間がある。同じ様式の歌いかたが、13年のなかで進化する様子は、5枚を時間順に聴いて初めてわかる。
・ヤエル・ナイム『Order』(アルバム/2015)
・ソフィー・セルマーニ「Always You」(1995)
(『図書』岩波書店/2020年3月号掲載)
山口蘭子さんのCDを友人に頼んで6枚入手した。その中のベスト盤の3枚を聴いて、断片的に知っているものがたくさんあることを知った。1991年に『雨に咲く花』という歌謡曲が山口さんによってヒットした。同じ年に“Come See the Paradise”(邦題『愛と哀しみの旅路』)というアメリカ映画が日本で公開され、この中で『雨に咲く花』の関種子によるオリジナルが、監督や主演俳優などのクレディットの背景その他何箇所かに使用された。これは昭和10(1935)年の日本で公開された『突破無電』という映画の主題歌だった。
・山口蘭子「雨に咲く花」(1991)
・關(関)種子「雨に咲く花」(1935)
(『図書』岩波書店/2020年4月号掲載)
パッツィ・クラインのCDを3種類、購入した。彼女のバイオグラフィーをたどっていくと興味はつきない。1922年に西ヴァージニアに生まれ、1963年に軽飛行機の事故で他界した。4スター・レコーズと契約したのが1954年だ。この頃のヒットに“Walkin' After Midnight”という歌がある。1961年の“I Fall to Pieces”をへて、忘れがたい“Crazy”が1961年にヒットとなった。カントリーなど軽く越えて、普遍性の高みである歌へと、なんの苦労もなしに到達していたパッツィ・クラインの歌声は、何度も繰り返して受けとめる価値がある。
・パッツィ・クライン「Walkin' After Midnight」(1957)
・パッツィ・クライン「Crazy」(1961)
(『図書』岩波書店/2020年5月号掲載)
「美空ひばりを歌う」という題名のキム・ヨンジャのCDを通信販売で購入したのは3年ほど前のことだ。『港町十三番地』と『花笠道中』のふたつだけをキム・ヨンジャで聴きたくて、僕はこの3枚組のCDを購入した。『港町十三番地』は1957年の作品で、ひばりはこの年に20歳だった。僕は世田谷の一角で高校生だった。その頃の僕は美空ひばりに対して関心も興味もなかった。『港町十三番地』で美空ひばりはその頂点に達している。そして『花笠道中』は、そこまでの日本すべてに対する、お別れの歌だ。何年もあとになって聴いた僕がそう感じただけだが、今でもその感じはそのまま残っている。
・キム・ヨンジャ「港町十三番地」
・美空ひばり「港町十三番地」(1957)
・美空ひばり「花笠道中」(1958)
(『図書』岩波書店/2020年6月号掲載)
“THE GIRL GROUPS OF THE 60s”という標題のCDを購入した。3枚組で、1枚につき20曲だった。60曲で10年間。なんとかカヴァー出来るかな、と僕は思った。ザ・クリスタルズ。ジ・エキサイターズ。ザ・シュープリームズ。ジ・オーロンズ。……かつて活躍したガール・グループの名称を片仮名で列記していくと、奇妙な感銘を受ける。全60曲を聴きとおした僕が、これはいい、と思ったのは、ザ・パリス・シスターズというグループが歌った、“Let Me Be The One”の1曲だけだった。60曲を聴いて、気に入ったのはひとつだけなのだから、こういうこともあるのか、と思うほかないようだ。
・『THE GIRL GROUPS OF THE 60s』(アルバム/2013)
(『図書』岩波書店/2020年7月号掲載)
李成愛(イ・ソンエ)の2枚組CDを買った。あらゆる文字が韓国語のハングル文字だ。なにもわからない。しかし、韓国で広く親しまれた歌が48曲、収録してあるのだろう、というくらいなら推測することが出来た。彼女は日本語でも歌う。そしてその歌を僕は好いている。買いやすい李成愛のCDを僕は探していた。買いやすいCDとは、日本の歌謡曲のなかで、昭和の名歌と言われているものを、日本語で歌った40曲ほどを、2枚組のCDにまとめたものだ。きっとあるだろう、と判断して気楽に探してみたがなかった。どこをどう探してもないのだ。「ニュー・ベストナウ」というシリーズのなかの1枚だけが、とりあえずは手に入る、という状況だった。だから僕はそのCDを購入した。
・李成愛『ニュー・ベストナウ』(1987)
(『図書』岩波書店/2020年8月号掲載)
『ここに幸あり』は大津美子が歌った昭和31(1956)年の歌謡曲だ。1962年に、ハワイのテディ・タナカという歌手が英語詩やレシテーションを加えてレコードにし、日系の人たちを中心に広く支持された。英語の題名は“Here Is Happiness”という。英語の歌詞を友人に調べてもらったとき、友人は『ここに幸あり』を演奏したり英語で歌ったりしている歌手たちの動画を、ユーチューブの中からいくつか送ってくれた。そのひとつで、僕はブリットニー・パイヴァを初めて知った。天賦の才を具現したらこうなる、という姿の彼女は、ストラップで首から吊ったテナー・ウクレレで、『ここに幸あり』を演奏した。そのときの音がまた、天賦の才によるものとしか言いようのないものだった。
・ブリットニー・パイヴァ「ここに幸あり」(2012)
(『図書』岩波書店/2020年9月号掲載)
昭和に特別な思いはない。これは歌謡曲だ、と思って歌謡曲を聴くこともない。しかしカヴァーは好きだ。この歌をこの歌手で聴いてみたい、という願望が芽生える以前に、この歌手はこんな歌も歌っていたのか、という驚きとうれしさとを、おそらく子供の頃、何度となく体験したのだろう。二葉百合子の全97曲で5枚組のCDを僕は買った。「珠玉のカバーソング集」とうたってある。彼女がまだ現役だった頃の歌声を、子供の僕は聴いているはずだ。高い声を出す女性歌手の記憶は、彼女についてのものだろう。カヴァーを聴くたびに歌詞は薄れ、旋律だけを聴けるように、僕はなっているようだ。
・二葉百合子『二葉百合子 昭和歌謡を歌う』(アルバム/2011)
(『図書』岩波書店/2020年10月号掲載)
エリアーヌ・エリアスのCDを4枚持っている。その中で最も新しい“Dance Of Time”を聴いてみた。誰のCDでもそうだが、録音されている演奏なり歌なりが再生されると、その瞬間、いきなり聴く人が僕なら僕の日常のなかへ、まったく質の異なった、しかも完成品としての音楽が、スピーカーから聴こえ始める。「これがこの人のいまの、個人的な感概なのだろうな、と思いながらそのCDを僕は聴いていった。エリアーヌ・エリアスのおそらく5枚目のCDである、“I Thought About You”はチェット・ベイカーへのトリビュートだという。1曲目が再生される瞬間を受け止めるときの、あの真剣さに満ちた戦慄を体験したい、という第1の理由があるから、僕はCDを買い続けるのだろう。
・エリアーヌ・エリアス『Dance Of Time』(アルバム/2017)
(『図書』岩波書店/2020年11月号掲載)
エリアーヌ・エリアスのチェット・ベイカーへのトリビュート・アルバムを聴いてみた。“Thought About You”という題名は一番最初の曲名だ。トリビュート、と言ったその瞬間から、作中で発揮されるはずの才能は、確実に小さくなる。いいジャズ、というものはどの曲のなかにもある。これがこのまま続けばいいのに、と思いながら聴いていると、それは終わってしまう。次の曲が始まる。このCDに則して言うなら、14回の始まりと、同じ回数の終わりとがある。その途中に、いいジャズがいくつもある。いいジャズを、そのまま続けることは出来ないものか、と僕は考える。いくつかの曲をならべて、それらを順に演奏していく、という様式が、いいジャズを邪魔していないか。
・エリアーヌ・エリアス「I Thought About You」(アルバム『A Tribute To Chet Baker』/2013より)
(『図書』岩波書店/2020年12月号掲載)
2024年6月21日 00:00 | 電子化計画