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エッセイ『片岡義男のアメリカノロジー』より13作品を公開

1976年9月から1986年9月まで雑誌『POPEYE(ポパイ)』に長期連載されたエッセイ『片岡義男のアメリカノロジー』より、書籍等に未収録の13作品を公開いたしました。
※今日からみれば不適切と思われる言葉や表現がありますが、作品が書かれた時代背景と作品的意義を考慮し、原文のまま公開しました。
※説明上必要と思われる部分には画像が挿入されています。これらはすべて掲載当時の雑誌からの引用のため、画質が粗いものもあります。

『アウトサイド』は1977年に創刊された雑誌だ。アウトドアへの関心を一般的に広くとらえながらもちゃんとした内容を保っているという、日本にはないタイプの雑誌なので、ぼくは愛読している。1980年の9月号には、ニューヨークの自由の女神にのぼった2人の男性の話が出ていた。女神像を実際に見た人は思い出して頂ければわかるだろうけれど、あの巨大な、切り立った台座の上にのぼるのは、結構むずかしい。クライマーとして、かなりの腕を必要とするのではないだろうか。この記事でぼくは初めて知ったのだが、女神像は鉄骨の骨組の上に、まるで紙のように薄い銅板をリヴェットで張りつけてできているのだ。銅板は、じつに30万本ものリヴェットによって鉄骨にとりつけてあるのだそうだ。2人のクライマーはこの薄い銅板にピトンを打ちこみ、リヴェットを取り去ったりもした。あとになって発表された損害総額は、8万ドルにのぼったという。

(『POPEYE』平凡出版/1980年11月10日号掲載)

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 かつてアメリカに『ルック』という名前の雑誌があった(1970年代に廃刊)。1970年1月13日発行のスペシャル・イシューは70年代の特集だった。この70年代という10年間を一体どのように考え、どんなふうに生きたら自分たちは本当に幸せになれるのだろうかといった、楽観的な問題提起風のまじめな内容だ。この70年代特集に目を通していって感じるのは、70年代もまた、アメリカは深い混迷のうちにやりすごしてしまったな、ということだ。特集の最後でジョージ・B・レナードという人は、テクノロジーの力によって外にむかって世界を広げていこうとする力(トリップ・アウト)と、地球という生態系が持っている生存のメカニズムの、複雑にして微妙な働きに目を向け直す(トリップ・イン)こととの相関性を説いている。このトリップ・インをもっと極めていくところに、70年代という10年間を生きるうえでの最大の希望があるのではないのか、というのがこの『ルック』スペシャル・イシューのメイン・テーマだ。

(『POPEYE』平凡出版/1980年12月10日号掲載)

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 アメリカのニュース週刊誌『タイム』2月9日号のカバー・ストーリーは「エイティーズ・ルック」という記事だった。この場合の〝ルック〟という言葉は、いわゆるファッション用語としての〝ルック〟ではなく、もう少し意味は広い。ここでは80年代という時代の流れを象徴するような美人モデルたちの顔つきや雰囲気の感じ、といったような意味になるだろう。中身は例によって『タイム』調で、何を言いたいのかよくわからない文体と、詰め込まれているインフォメーション量の意外に少ない、何となくもったいぶったような書き方なのだ。だが、読んでいるうちはそれなりに楽しめる。取り上げてある何人かの美人モデルたちの顔つきを見ていると、その時代にふさわしい美しさのイメージみたいなものの中心的な傾向が、なんとなくわかってくる。一流中の一流のモデルと、やはり一流のカメラマンやメークアップ・アーティストたちが一緒になって創り出す写真は、その時代の最先端をいくアートであり、このアートを創り出すにあたって、ヨーロッパの力を抜きにすることは不可能なのだ。
『TIME』February 9, 1981 | Vol. 117 No. 6

(『POPEYE』平凡出版/1981年4月10日号掲載)

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 アン・ランダース(1918〜2002)という女性が書いた、『アン・ランダースがティーン・エージャーたちにSEXについて語る』というペーパーバックは、1965年にまず最初に世に出た本だ。そして、1982年の今になって、どういう理由によってか再びペーパーバックで出てきたのだ。1ドル95セントもするこのペーパーバックを買ってしまった理由は、懐かしい再会であると同時に、デザイン的な興味もあったからだ。そしてもうひとつ、ぼくはアン・ランダースという名前に弱いのだ。彼女の名前入りの本はすぐに買うし、アメリカの新聞に彼女のコラムがのっていれば、必ず読む。アメリカでもっとも有名と言っても差し支えない新聞コラムニストである彼女とその姉が行う人生相談は、明るく合理的、健康で賢明なユーモアにみちた向日性のようなものを土台としてしっかり持っていて、そのへんが非常にアメリカ的で面白い。たとえばこの『ティーン・エージャーたちにSEXについて語る』も、英語のテキストに使ったら、昔のイギリスの小説の断片を読むよりはるかに役に立って面白いだろう。

(『POPEYE』平凡出版/1982年3月25日号掲載)

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 1975年のギャリー・ワイノグランド(1928〜1984)の写真集『女たちは美しい』は、これ以上には日常的でありえないほどに日常的な状況や光景の断片の中で、平凡なアメリカ女性たちの普通の姿をスナップ写真のような撮り方で捉えたものだ。写真の中の女性たちに、特別な人はひとりもいない。アメリカの街を歩いていていつもすれ違ったり見かけたりするような女性たちばかりだ。題名は『女たちは美しい』だが、ワイノグランドが写真に撮った女性たちの中には、普通の意味では美しいとは言いがたいような女性たちが数多く含まれている。しかし、たまたま被写体となった女性たちそれぞれが持っているポジティヴなパワーのようなものを、写真の中から感じる。このパワーあるいはエネルギーに対して、写真家のギャリー・ワイノグランドが、肯定的に反応できたとき、彼は写真家が写真を撮る態度として、普通の女性たちを美しいものとして、写真に撮っていったのだろう。

(『POPEYE』平凡出版/1983年3月25日号掲載)

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 ホノルルのブックストアで『バック・トゥ・ベイシックス』(基本にかえる)という本を見つけたとき、これはたいへんにアメリカ的な本だと、ぼくは思った。この本は自分で家を建て、食べ物を自給し、生活を豊かにするためのクラフトやスキルが紹介されている。著者は、自給自足の生活が本物のシンプル・ライフであり、それがアメリカ人の精神構造に深く根ざしていると述べている。『バック・トゥ・ベイシックス』では、自然と一体となった家を建てることから始まり、生活者自身が少しずつシンプル・ライフを完成させるプロセスが描かれている。そしてこの本を読むことで、自分の現在の生活がいかにそれからかけ離れているかを実感させられる。序文にも書いてあるとおり、シンプル・ライフのためのほとんどのスキルは、ごく普通の人たちにもこなせるものなのだ。ぼくは自給自足のスキルやクラフトに魅力を感じ、特にウッドワークや石けんづくり、キャンピングやフィッシングなどが現実的にできそうだと感じている。これらの活動は、実用的でありながらもアートの要素を持ち、楽しさを提供してくれる。

(『POPEYE』平凡出版/1983年8月10日号掲載)

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 アメリカは、世界各国からの移民たちを合衆国憲法でまとめている人工の国家であり、人種の〝るつぼ〟だということはいろんなところで言われている。この、人種の〝るつぼ〟的な要素を、アメリカ内部のどこか1か所で効果的に体験したければ、ニューヨークのマンハッタンではなく、橋をこえてブルックリンまで出向くといい。ニューヨークのマンハッタンが、〝ザ・シティ〟と呼ばれる21世紀的な独立国風のところだとすると、ブルックリンは19世紀的なヨーロッパだ。かつてぼくが知り合った、ブルックリン生まれでブルックリン育ちのイタリー系アメリカ人青年は、自分の故郷であるブルックリンを、「アメリカン・ドリーム発生の地だよ」と呼んでイタリー的に大らかに陽気に笑っていた。これは少しだけ誇張して言うと、ブルックリンにずっと居つづけることはアメリカ人としていつまでも一人前にならないということを意味している。とりあえず居ついて、下積みのスタートを切るところがブルックリンであり、ブルックリンを後にしてどこかへ向けて出ていくことが、アメリカン・ドリームなのだ。

(『POPEYE』平凡出版/1984年3月25日号掲載)

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 普通の映画館で公開される娯楽映画は、非常に不思議な商品である。企画立案時から商品だが、実際に上映されて初めて商品として完成する。観客は上映前に既に入場料を支払い、映画を購入している。映画を商品として考えると、この点は非常に面白く不思議だ。映画の宣伝も難しい。この映画を見たら、きっと面白いに違いない、という期待感を、作り手は潜在的な観客に売りつけなくてはいけない。アメリカでは雑誌広告が一般的で、限られたスペースで効果的な宣伝を行うことが求められる。『ムーヴィ・アド・ブック』には、昔から最近の映画までの雑誌広告が収録されているが、これらの広告は非常に単純でわかりやすい。また映画の内容とは異なる広告も多く、一般大衆の興味を引くためにポイントを1つに絞っていることがわかる。これらを見てぼくが感じるのは、観客である普通の人々がなにかたいへんに大きなものを畏敬の念に満ちた気持で見上げ、すごいなあ、と感嘆しているような気持だ。ハリウッド映画は、観客の日常の小さな現実とは対極の位置にある巨大な幻を創り出しているのである。

(『POPEYE』平凡出版/1984年5月25日号掲載)

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 少年の頃、長い間毎週のように観ていた、主としてBクラスの西部劇映画の公開本数が少なくなって来た時期から、ペーパーバックで西部劇小説を読み始めたような気がする。小説で読み、頭の内部のスクリーンで映画体験をしていたに違いない。こうしたペーパーバック・ウェスタンのもうひとつの楽しみは、表紙の絵であり、よく出来た作品には、腕の立つアーティストが起用してあった。時々、これはコマーシャル・アートではなくてアートだ、と言いきれるような出来ばえの表紙絵が見つかり、どれもみな同じ画家の筆によるものだということがわかった。タッチが同一なのだ。何年か後に、ぼくはその画家の画集を手に入れた。1974年に出版された『フランク・マッカーシーのウェスタン・ペインティング』というタイトルの画集だ。ぼくが最も気に入っている表紙絵画家であるフランク・マッカーシー(1924〜2002)は、大変ちゃんとした画家であるということが、この画集を手に入れてわかった。彼が最も好きなのは、西部の岩山や岩なのだそうだ。岩山や岩にさまざまな光が当たるときの、無限と言っていいヴァラエティに画家として最も強くひかれているという。

(『POPEYE』平凡出版/1984年11月25日号掲載)

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 1971年7月21日の『ニューヨーク・タイムズ』に、「TAKI183」の記事があった。ギリシャ系の17歳の少年の愛称「TAKI183」が、ニューヨークの地下鉄車両や建物の壁など所構わず落書きされていることに人々が気がつき始めたからだ。これが注目を浴び、数多くの模倣者が生まれた。こうしたグラフィティは、ティーンエージャーたちによる自己表現のひとつでもあった。ディミトリアス少年(TAKI183)がこの行為を始めたのは、アイスクリーム会社のトラックへの落書きからで、それ以来、彼のアイデンティティはニューヨーク中に広まった。また、グラフィティの発展は、より目立たせようとする欲求からスプレー式の缶入りペイントの使用に繋がり、ニューヨークの地下鉄車両は個々のアーティストによる大胆な作品で溢れた。これらのグラフィティは貴重なフォーク・アートの一環として見なされ、写真家のマーサ・クーパー(1943〜)とヘンリー・チャルファント(1940〜)によって収集され、『サブウェイ・アート』として出版された。

(『POPEYE』平凡出版/1984年12月25日号掲載)

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 ブリガム・ヤング大学のハワイ・キャンパスに寄ったあと、ぼくたちはカメハメハ・ハイウェイまで戻っていった。ハレ・ラア・ブールヴァード、と道路の名前が出ている小さな標識を見た友人は「ハレ・ラアとは、聖なる家、という意味だよ」と言って、笑った。そのくらいは、ぼくでも知っている。その後、ハレ・ラアとハレ・レアの違いや、日本人の絡んだジョーク、ハワイの音楽へと話題は変わっていく。古い曲ばかりをオリジナル・ヒット、オリジナル・アーティストでかけることで広く知られているKORL局からの音楽を聴きながら、1930年代に営業をはじめ、40年代、50年代と盛業を続け、60年代なかばに店を畳んだホノルルのダウンタウンのレコード店の、マニア向けの大量のレコードの在庫が、カリヒの倉庫の一室に80年代のはじめに発見された話などに、ぼくたちは興じた。

(『POPEYE』平凡出版/1985年1月25日号掲載)

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 個人的な趣味として、アメリカの実用書の中から『男性とともに住むには』というタイトルのペーパーバックを選び、読んでみた。《女性が心得ておくべきこと全般》と、サブタイトルがついている。男性とともに住むことは、結婚とはまるで違っているし、結婚のリハーサルでもない、と著者は始めに断わっている。まったく赤の他人であるひとりの男性とひとつ屋根の下に住んでいると、その他人と自分との違いというものが、いろんな場面で見えてくる。このとき、相手のほうを自分に合わせて変えようとせず、自分の方で変化してしまいなさい、と著者は説く。犠牲的に、受身で妥協していきなさい、という風に誤解されるかもしれないが、決してそうではなく、相手と自分との間にある違い、そしてその違いが生み出す対立的状況をうまく処理してそれを乗り越えていける能力を持った新しい自分へと変化していきなさい、と極めて肯定的に説いているのだ。アメリカの実用書の最もアメリカ的なところ、つまり最も面白いところはまずこのような考え方にある。

(『POPEYE』平凡出版/1985年2月10日号掲載)

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 ジョークは日常を飛びこえる。日常性というものをひとつにまとめている秩序のようなものに、ジョークはぽんとひと蹴りくれて、その反動によって自らは高く飛びあがって日常を遠く離れ、軽やかにどこかへいってしまう。だからこそ、ジョークというものは、人を笑わせる力を持つのだ。ジョークをいくつも集め、そのまま羅列したりあるいは適当に区分けしたりして一冊の本として出してしまうジョーク・ブックの伝統は、昔からアメリカにある。ジョークは、それを読んだり人から聞いたりした人がおおいに笑い、さらに次の人に語り伝えてまた別の人を笑わせる、という機能を発揮してはじめてジョークとしての意味を持つのだから、ジョークを羅列しただけのジョーク・ブックは、ジョークの基本的な性格とよく釣り合っている。ジョークの世界に、タブーはない。タブーから自由であるジョークが、すなわち、下品なジョークであったり、わいせつなジョークであったり、趣味の悪いジョークであったりするわけだ。

(『POPEYE』平凡出版/1985年6月10日号掲載)

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2024年5月31日 00:00 | 電子化計画

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