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エッセイ『僕はバラッドに徹しよう』7作品を公開

エッセイ『僕はバラッドに徹しよう』(KKベストセラーズ『一個人』/2001年6月〜2001年12月連載)全7作品を本日公開いたしました。

二十代の十年間、いまで言うフリーランスのライターだった僕にとって、仕事そして遊びを含めた日常生活のほとんどすべてをおこなう場所が、神保町だった。数多くの書店、そして散歩道、喫茶店。当時の東京にはいたるところに喫茶店があり、神保町にはことのほか多かった。神保町の路地のなかほど、間口は入口のドアひとつぶんしかないような、席の数はせいぜい二十、奥に向けて細長いスペースだった喫茶店の名前を、僕はとっくに忘れている。初老の店主とひとりだけウエイトレスがいて、この女性がたいそう好ましい存在だった。

『一個人』2001年6月号掲載

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JRがまだ国鉄だったある年、賃貸契約を半年残してアパートを引き払い、田舎の実家に戻った女性から、残る半年分を僕が買い取った。そして五月一日から十月三十一日まで、ひとりでその部屋を使った。自宅の都内に一軒家があったが、このアパートは自宅とは完全に反対の方向にあった。僕が半年分を買い取った唯一の理由は、そこにあった。週の半分ほど、いつもと反対方向へ帰るのは、気分が変わって楽しいことだった。

『一個人』2001年7月号掲載

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酒や食べ物の店がびっしりと軒をつらねている区域のまんなかに、細い道が交差して十字路を作っていた。その十字路の角にある建物の、角に面したまさに角の部分に、人がひとりやっと通れるほどの幅で、二階へ階段がのびていた。ほとんど垂直と言っていい、傾斜の急な階段だった。階段を上がりきると小さなバーのドアがあった。ある日の夜、年上の知人が、このバーへ僕を連れていってくれた。面白い店がある、とその人が言っていたのを、いまも僕は覚えている。面白いとは、どういう意味だったのか。なにが面白かったのか。この謎はいまでも半分くらいまでは、謎のままだ。

『一個人』2001年8月号掲載

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私鉄の郊外駅を出ると、目の前には商店街の道があった。駅と踏切とを中心にした、ごく小規模な商店街なのだが、日常の買い物はすべてそこで充分に間に合った。ある日の午後おそく、電車で帰ってきた僕は、改札口を抜けて駅の外へ出た。電話をかける用事があったのだが、電話ボックスはふさがっていた。待ちながら僕は、道の向かい側にならんでいる商店を、見るともなく見ていた。いつものとおりの八百屋の店先に、女性のうしろ姿が見えた。彼女は葡萄を買っていた。その年の初物だったのではないか。

『一個人』2001年9月号掲載

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その年の夏、九月に入ってすぐに、東京がひときわ暑かった日があった。その日、僕は正午から夕方まで、写真を撮り歩いた。あまりの暑さに予定を一時間早めた僕は、私鉄の駅に向けて引き返していった。商店街に入る手前の、ちょっとはずれた場所に、喫茶店があった。やや昔風の、店構えそれ自体がタイム・スリップであるような、しかし小綺麗に整えた、地元の喫茶店だ。僕はその店に入った。「いらっしゃいませ」と言った中年の女性はカウンターの中にいた。おや、と僕は思った。美人なのだ。単なる美人ではなく、なかなかの美人で、姿が良かった。「ひょっとして、カタオカくん?」と、彼女は言った。

『一個人』2001年10月号掲載

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商店街のはずれで喫茶店の前をとおりかかった僕は、その喫茶店に入った。そしてそこで、高校三年のときにおなじクラスだった美しい女性と、偶然の再会をした。高校を卒業して以来であり、彼女は僕をひと目見てわかったというが、僕はただきれいな店主だと思っただけだった。その彼女を高校生の僕は写真に撮ったという。いっさい何の記憶もない僕に、アルバムを店へ持ってきておくから、ぜひ見にきてほしい、と彼女は言った。それからひと月あと、きれいに晴れた秋の日の午後、僕はその喫茶店へいった。高校生の僕があの女性を被写体にして、いったいどのような写真を撮ったのか。最大の興味はそこにあった。

『一個人』2001年11月号掲載

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昨年の夏、たまたま入った喫茶店の美人の店主は高校の同級生だった。高校生の頃の僕が撮った彼女の写真が、彼女の写真帳に今も貼ってある、と彼女は言った。昔の自分が彼女を被写体にしてどんな写真を撮ったのか、僕は好奇心にかられた。翌月、喫茶店を再訪した日は、喫茶店を今日で閉店するという最後の日の午後だった。高校を卒業した彼女は、バスケット・ボールのチームのある企業に就職し、選手として活躍したという。「バスケット・ボールのコートを、正確に縮小して、フロアに白いペンキで描いたのよ」そう言って彼女は、フロアの全体を片手で示した。彼女の言うとおり、僕たちは小さなバスケット・ボールのコートの中に立っていた。

『一個人』2001年12月号掲載

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2023年5月16日 00:00 | 電子化計画

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