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片岡義男.com 全著作電子化計画

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『木曜日を左に曲がる』7作品を公開!

『木曜日を左に曲がる』(左右社/2011年)所収の短編7作品を片岡義男.comで本日公開いたしました。
7編のうち5編は女性一人を主人公とし、1編には三人の女性が登場しますがそのうち一人は写真として登場。そして残る1編では男女の会話の中に、主人公であるはずの女性が登場します。一見男性が主人公と思われる作品もよく読めば実は女性の「同行者」であることがわかります。女性を主人公とすることについて片岡義男は、「フィクションにとってまず絶対に欠かすことの出来ないものは、間接性と他者性のふたつだ。フィクションとは間接性そして他者性のことだ。自分の考えによればもっとも重要なこのふたつのものを、女性を主人公にすることによって、僕はいっきに確保することが出来る。少なくとも自分ではそう確信している」と、本書のあとがきで書いています。

『アイスキャンディに西瓜そしてココア』は、回想がモノを契機に連鎖する物語です。10代の夏のアイスキャンディ、20代の初夏の西瓜、30代の今のココア。モノと記憶が結びつくことは誰にでもある経験で、だから、それは共感へと繋がります。しかし、そこは片岡義男、安易に分かりやすさに流れることはありません。アイスキャンディは主人公である佐知子のバンダナに差し込まれ、彼女はそのままキャンディを濡らさずに友人たちが待つ海の上の浮き台まで泳ぎます。西瓜は彼女の足を撮影するための背景として道路に叩きつけられます。その写真を撮ったカメラマン・河本からもらったココアを東京の新居で飲むだろうかと考える佐知子の目は未来へと向いていて、だからタイトルは、文中の登場順ではなく、過去から未来へと向かっているのでしょう。

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紙焼きの写真は、それだけでノスタルジックなムードを呼び起こしますが、同時に、そこに固定され保存されていた、かつての自分と向き合うことにもなります。その不思議なリアリティは、パソコンやスマホの画面、リバーサルフィルムのポジなどでは得られないもので、だから、今も尚、写真はプリントされ、引き伸ばされているのでしょう。この『追憶の紙焼き』という短編小説は、その紙焼きの写真から立ち上がる追憶の女性たちの現在を追うことで、未来を創造する物語です。思い出に浸るのではなく、そこにいる過去の自分に挑戦することが、今、写真を見ることの意味だし、写真を残すことの意義なのではないかと、そう思わせる物語。写真が撮りたくなります。

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この、一人の女性を言葉の力だけでこの世に出現させようとしているかのような、特異な短編小説は、小説という表現手段の本質を見せてくれるような物語であり、実験なのでしょう。圧巻は、具体的な言葉で描かれて、読者の頭の中にクッキリと存在してしまった佐野真紀子という存在の核を表すのに、片岡義男が言葉で音楽をも描写してしまうところでしょう。それは具体的な曲名を挙げることなく、しかし、真紀子を描写するのと同じような克明さで、音楽そのものを描く試みのようです。最初の曲は「Gのセレナーデ」で、アレグロ、アンダンテ、アレグレット、アレグロと進行すると書かれているので、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークでしょう。そういう風に、きちんと分かるように書かれていて、分からなくても、そこにある音楽を聴いたような気になります。言霊なんていうあやふやなものでは無い、文字通りの「文章の力」であり「小説の姿」なのです。

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大人の恋愛を丸ごとパッケージングしようとした試みが、この『万能のティースプーン』なのでしょう。そしてそれがティースプーンという言葉に見事に凝縮されているのが、この短編小説の読みどころだという気がするのです。ティースプーンというのは確かにあると便利で、でも注目されることは少なく、女性の傍にいる男性の表現として、とても上手いなあと思ったのです。思い出したのは、燕振興工業の「mA」というカトラリーのシリーズ。プロダクトデザイナーの秋田道夫氏がデザインした製品で、パッと見たところは、それほど主張のあるデザインではないのですが、手に取ってみると、それだけで違いがわかるくらい、手に馴染んで使いやすいという不思議なスプーン。多分『万能のティースプーン』とは、そういうものではないかと思うのです。

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人気の鯛焼き屋で、一匹ずつ鯛焼きを手焼きする(これを店では一丁焼きと呼びます)小倉美加子の頭の中で生まれようとしている短編小説について書かれた『鯛焼きの孤独』は、小説を生むための孤独についての物語であるにも関わらず、強烈に鯛焼きが食べたくなる物語でもあります。作中で、今の鯛焼きはもう食べられなくなるかも知れないというエピソードまで紹介されるのですから、一刻も早く、一丁焼き(これを天然物と呼ぶ店もありますね)の鯛焼きを買いに行かねばなりません。もちろん、鯛焼きは、買ったらすぐに齧りつかなければならず、一丁焼きですから一匹ずつしか買えず、必然、私はひとりで買いに行くのです。そういう意味でも、この物語は孤独について書かれているのです。

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優秀な人は何故優秀なのか、プロの仕事とはどういうスキルに支えられているのか、イメージはどういう思考と技術を経て作品へと結実するのか、この『赤いスカートの一昨日』という短編小説は、それらを青山美紀というひとりのプロのモデルでありプロの詩人でもある女性を通して物語に仕立てるという、かなり複雑な、それだけにとても面白い作品です。印象的なのは、彼女もマネージャーの三沢も、ミニ六穴のシステム手帳を横使いにしてメモを取ること。しかも彼女は1.0mmのボールペンを使っています。つまり太めの線で大きく文字を書いているということです。この事ひとつでも、彼女が次々と言葉を書き留めていること、それを見返しやすいように書いていることが分かります。これがプロのメモ術で、彼女はモデルを務めた一昨日、赤いスカートどころかスカートを穿いていなかったのです。それもまたプロの技術なのです。

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絵にしても、文章にしても、多分、かける人は気がつくとかけているのだと、片岡義男はその作品の中で繰り返し書いています。『木曜日を左に曲がる』の主人公、日比野裕子も、「幼い頃から絵を描くことが出来た」人で、二十八歳の現在、イラストレーターで画家です。翻訳家の水谷浩平も、翻訳という形で言葉を扱う術を持っていて、小説が書ける気がしています。ただし、絵がそうであるように、小説も書かなければ書くことができないし、書き上げなければ書いたことになりません。その点、水谷は裕子と出会ったことで、小説を書き始めるという最初の高いハードルを越えられるような気がします。この物語は、そういう役割を果たす能力について書かれているような気がするのです。

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2022年2月4日 00:00 | 電子化計画

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