【特集】9.11 あのときの日本と、いまのこの日本
世界の歴史を振り返ると、ある出来事をきっかけに世の中が変わっていった、そんな転換点あるいは分岐点ともいうべきものがいくつかあります。1990年の湾岸戦争、そして2001年9月11日にアメリカで起こった同時多発テロ事件は、まさにその転換点と言ってよいでしょう。作家・片岡義男は、当時の新聞やテレビの報道でアメリカや日本の動きを追いつつ、そこに現れた「言葉」を手掛かりにいくつかの論考を発表します。今回の特集ではその中から10編をピックアップしました。これらの作品に描かれた当時の日本の対応を振り返ると、戦後から続くアメリカとの関係が、9.11での対応まで地続きであることにはっとさせられると同時に、現在もそれがほとんど変わっていないことに愕然とするのではないでしょうか。
なお、今回の特集にあたり、9.11のテロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)をその建設時から撮影してきた写真家・佐藤秀明さんの写真集『REQUIEM World Trade Center』(印刷版)の特別販売も行います。この機会にぜひお買い求めください。
1)ウエイ・オヴ・ライフを守る
1991年1月、イラクによるクウェート侵攻に対し、アメリカは有志連合による多国籍軍を組み両国国境付近に進駐を開始しますが、当時アメリカのニュース番組では、ブッシュ大統領がスピーチの中で「私たちのウエイ・オヴ・ライフや自由を守る」という言葉を使っています。そこには、アメリカは必要ならいつでも戦争をするという決意と準備があり、我々は必ず勝利する、という意味があります。そのウエイ・オブ・ライフはフリーダムという、アメリカ建国以来の理念によって保証されています。
(『日本語の外へ』筑摩書房 1997年所収)
2)あのときの日本といまのこの日本
アメリカという国の持つ特質のひとつとして「観念」を科学性に当てはめ「現実」へと転換し、目標達成のため前進する、というものがあります。78年前の日米戦争での日本本土への空襲、原爆投下もその産物でした。戦後の日本の民主化改革、東西冷戦、そして2000年代初頭の湾岸戦争まで時間を下りながら、アメリカの「観念を現実に転換する」という科学的な態度について考察し、それに対するかつての日本、そして今の日本の状況について考えます。
(『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年所収)
3)「思いやり」予算の英訳
朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争……と、日本国内の米軍基地はアメリカが関係する戦いに大きな役割を果たしてきました。この米軍基地を日本の国内に引き止めているもののひとつが「思いやり予算」です。この言葉は本来、思いやられる側よりも、思いやる側が優位にあるはずですが、どうもこの言葉に限っては違うようです。そこに見えるのは戦後の日本の、米軍に対する捩れた感情の表れかもしれません。
(『影の外に出るー日本、アメリカ、戦後の分岐点』(2004)より)
4)「日本はアメリカとともにあります」と首相は言った
湾岸戦争を始めるにあたり、アメリカは国連安保理事会の決議を取り付け、「西側の先進文明国と、孤立する悪のイラクとの対決」という図式を作り出すことに成功します。このとき日本は早い段階で自国の立場を明言せず、財政支援のみを行い「小切手外交」と批判を浴びますが、本来はこの時点で「日本なりの貢献」を世界に発信する必要があったのではないでしょうか。
(『日本語の外へ』筑摩書房 1997年所収)
5)日本の主体的判断と国益
1990年の湾岸戦争で、日本は軍事支援ではなく135億ドル(約1兆7500億円)の財政支援を行いましたが、国際社会からは批判を浴びます。同時多発テロ後の2003年3月、米軍を中心とした有志連合がイラクの大量破壊兵器保持を口実に攻撃に踏み切った時、日本は支持を表明し自衛隊派遣を決めます。その際日本はアメリカから「日本の独自性、主体性、国益から判断されるべきことだ」といわれますが、本当に日本の「主体的判断」はあったのでしょうか。
(『影の外に出るー日本、アメリカ、戦後の分岐点』(2004)より)
6)セントラル・コマンドとコアリション・フォーセズ
USセントラル・コマンド(アメリカ中央軍)は、地域別統合軍の一つで、日本国内にある基地が重要な役割を担っていると言われています。ですからアメリカが日本を最も命令の下しやすい軍事同盟国であると見ていることは不思議でもなんでもありません。一方、コアリション・フォーセズの「コアリション」は連合、連立、提携を意味し、対等ではないけれど、命令される関係でもない、自分たちの得意分野を分担して動くという関係です。日本はアメリカとの関係を今後変えていくことができるのでしょうか。
(『影の外に出るー日本、アメリカ、戦後の分岐点』(2004)より)
7)慎重に見きわめる人の国
イラクへの自衛隊派遣をいつ行うのか……「状況を見きわめて判断する」と当時の首相は繰り返しました。次々に状況が変わる中、首相の発言は「なかなか難しい状況だ」と変わります。「見きわめる」場合の行為の主体は自分であり、見きわめるのは可能だと本気で思っていたのかもしれません。しかし「なかなか難しい状況だ」という言い方の中には、そのような主体はありません。言葉というものは実に正直に、それを使う人の内面を映し出すものなのです。
(『影の外に出るー日本、アメリカ、戦後の分岐点』(2004)より)
8)「国際社会への貢献」と言うけれど
「国際社会への貢献」という言葉は、何かにつけ政治家などから決まり文句のように出てくる言葉のひとつです。しかし日本は、アメリカの同盟国として組み込まれたこの半世紀以上、国際社会のあらゆるリアリズムから目を逸らしてきました。今の国際社会のリアルな姿にその言葉を重ねても、空疎さしか見えません。イラクへの自衛隊派遣は、日本がこのリアリズムを半世紀遅れで学び、真の貢献とは何かを知るスタート地点だと捉えることもできます。
(『影の外に出るー日本、アメリカ、戦後の分岐点』(2004)より)
9)戦後日本の転換点
さまざまな局面で「今は日本の転換点である」という言葉が繰り返し使われてきました。特に安全保障についていえば、戦後の日本はアメリカの傘の下に入り、経済にかまけて外交と防衛の問題をさぼってきました。結果としてアメリカとのつきあいかたも学べず、アメリカ以外の選択肢も持たないという事態になっています。2003年から2004年にかけての自衛隊派遣の問題はこの事実をくっきりと浮かび上がらせました。
(『影の外に出るー日本、アメリカ、戦後の分岐点』(2004)より)
10)教養としての世界地図
冷戦が終結しても、世界が抱える問題は何一つ解決しませんでした。さて、次はどうすればよいか。アメリカや日本だけでなく、中東、中国を中心にしたアジア全域、グローバルサウスといった、それぞれの地域や国が抱える問題を少しでも知った上で世界地図を眺めると、さまざまなことが見えてきます。そして世界やアメリカ、日本のとるべき道も……。
(『影の外に出るー日本、アメリカ、戦後の分岐点』(2004)より)
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あったものが無となる景色 どうして悲しくフォトジェニックなのか。
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