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連載エッセイ「先見日記」より11作品を公開

『先見日記』(「先見日記 Insight Diaries」)は、株式会社NTTデータのWebサイトにて2002年10月から2008年9月までの6年間にわたり、延べ16人の執筆者によって連載された日記形式のエッセイです。片岡義男は創刊時から2005年4月までの約2年半、毎週火曜日を担当しました。今回は2004年10月から2005年1月にかけて掲載された11作品を公開します。いずれも単行本などには未収録の作品ばかりです。

「渋谷の横町の石井さんのところ」とは、植草さんの日記によく出てくる、渋谷の古書店のことだ。石井さんという人が経営していた。当時の渋谷には横町はたくさんあった。だから、渋谷の横町、とだけ書いたのではどこのことだかわからないのだが、植草さんにとって渋谷の横町とは、石井さんの古書店のあるところだけだったのだろう。植草さんが横町と書いたのは、恋文横町の省略された形だったのかもしれない。だとすれば、横町という言いかたは、たいそう正確だ。『植草甚一スクラップ・ブック』の復刻版に僕は解説を書き、その中でこの「横町」のあった場所を百軒店と書いているが、これは間違いだ。

(『先見日記』NTTデータ/2004年10月19日掲載)

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 JR御茶ノ水駅の聖橋口から御茶ノ水橋口にかけて、線路そしてプラットフォームに沿って、そこよりもずっと高い位置に道があり、線路側の歩道に店舗が軒を連ねて並んでいる。そのなかに穂高という喫茶店がある。僕がフリーランスのライターをしていた20代の前半から後半にかけ、この一帯は仕事場と遊び場、それに半ば住処をも兼ねていた。穂高はその頃すでに存在していた。この店の窓ぎわの席で僕は幾度とも知れず原稿を書いた。昨年の夏はじつに久しぶりに、何度かここで打ち合わせをした。今年の春先に店の前を通ったら、取り壊しの最中だった。

(『先見日記』NTTデータ/2004年11月2日掲載)

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 2代目のブッシュ現大統領の2期目をめざした選挙キャンペーンの最中、世論調査でケリー候補がやや優勢だと判断された。このことについて感想を求められた当時の日本の首相は、「ブッシュ大統領とは親しいから、頑張って頂きたいね」と答え、強く批判された。しかしどの批判も核心をはずしている。まずは最初に徹底的に批判されるべきなのは、「親しいから」というひと言だ。「親しい」とはどのような事実の裏付けを持つものなのか。首相が大統領に対して確かなものとして感じているらしい親しさは、単なる思い込みであり、主観とすら言えない脆弱なものだ。どこまでも個人的な私人の、そのときどきの気持ちだけですべてのことにあたっている様子こそ、批判されなくてはいけない

(『先見日記』NTTデータ/2004年11月9日掲載)

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 今年(2004年)の日本のプロ野球は、パシフィック・リーグでプレー・オフと称する試みが行われた。シーズンを首位で終えたホークス、4.5ゲームの差をつけられた2位のライオンズ、そこからさらに差の開いたファイターズの3つのチームを「上位3チーム」という言葉でひとくくりにして同列とし、その3つのチームが優勝を賭けたプレー・オフを戦い、ライオンズが「優勝」した。このプレー・オフに入場者は多く集まり、収益は上がってファンは盛り上がり、ファンが喜んだこの試みは成功した、とNPBは言った。ファンとはなにか。「上位3チーム」という何ともいいがたく欺瞞的な言葉に、彼らはいちころで引っかかった。

(『先見日記』NTTデータ/2004年11月16日掲載)

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 精神分析医のオフィスへ分析を受けに来た人は、寝椅子に体を横たえる。体を楽にすれば心も開かれる、ということか。そのかたわらで椅子にすわった分析医が、メモを片手にいろんな質問をする。分析を受けに来た人は、自分の意識下に眠っていたとされるトラウマを捏造して、それを自分すら知らなかった本当の自分として発見する。こうしたトラウマの発見とその治療は、僕が子供だった1950年代の初めには、アメリカではすでにジョークの種になっていた。精神分析で探り当てたり捏造したりする凡人たちのトラウマは、広く行き渡ったごく日常的な出来事だったのだ。発見したトラウマを、彼らはどうしていたのだろう。

(『先見日記』NTTデータ/2004年11月30日掲載)

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 ペーパーバックは出会いのものだ、と僕は思っている。ネットで注文したりせず、書店その他の場所で現物に出会い、これはと思ったら手に取り、素早く品定めをして、買おうと思ったらとにかくその場で買っておく。出会いとはこういうことだ。買い過ぎ、という状態におちいるのを防ぐための護身術でもある。買い過ぎないためには、出会いを減らせばそれでいい。ペーパーバックのありそうなところへ、近よらなければいいのだ。

(『先見日記』NTTデータ/2004年12月7日掲載)

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 パトリシア・ハイスミスの本をすべて買おうと僕が最初に思ったのは、20代半ばのことだ。理由はよくわからない。彼女の最初の長編は『汽車に乗り合わせた人たち』というような意味のタイトルで、小説として高く評価され、アルフレッド・ヒッチコック監督の手で映画にもなった。しかしそこからハイスミスがアメリカでベストセラー作家になっていく、というようなことはなかった。だから彼女のペーパーバックは、ここで1冊、あそこでまた1冊というような散発的な刊行しかされておらず、すべて買うとは言っても、なかなかきれいには揃わなかった。

(『先見日記』NTTデータ/2004年12月14日掲載)

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 子供の頃に大人たちから聞かされた偽札作りの方法にはふたとおりあった。模写と切り貼りだ。どちらの方法によっても、ほんの2、3枚の偽札しか作れないけれど、戦後の混乱期には特に、困窮した人々によってしばしば採用された。せっぱ詰まったあげくの、最後の決断としての偽札作り、という重い雰囲気は、子供心にも感じることはなかった。作る苦労は当人の自由だとしても、実際に使ったならたいへんな犯罪なのだが、苦笑を誘う愉快さがどちらの方法にもある。そしてこのような偽札は、作るのも大変なら使うにあたってはさらに、別次元の困難がともなったはずだ。

(『先見日記』NTTデータ/2004年12月21日掲載)

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 三高、という言葉があった。独身の女性たちが結婚の条件として提示した、3つの高い条件で、ひとつは結婚相手の身長、ふたつめは相手男性の収入、そして3つめの条件は、高学歴だった。高学歴とは一流大学卒のことであり、そうであれば大企業での安定した昇進とそれにともなう給与の、定年までの保証を意味したのだが、これはすでに崩壊した。以上が三高だが、三高とは言わずに条件を3つならべた言いかたに、「婆抜き、家持ち、カーつき」というのがあった。自動車はいまやどうでもいい。住む場所もなんとかなる。そうなると問題は「婆」つまり夫の母親だ。

(『先見日記』NTTデータ/2005年1月11日掲載)

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「金子みすゞ展」で、彼女の3冊の手帳を僕は見た。この3冊の手帳に、金子みすゞは512篇の詩を書いた。それが彼女の書いた詩のすべてだということだ。遺稿という言葉が、展示ケースのなかの説明書きには使ってあった。横が95ミリに縦が140ミリというような、手帳としてごく標準的なサイズのものだ。3冊とも革表紙で、みすゞの手もとにあった頃すでに、何度も手にしてすっかり傷んでいたのではなかったか。彼女はこの3冊の手帳のどれをも、存分に使ったのだ。そしてどれもみな、たいそう大事にしたのだ、ということは充分に僕にも伝わった。

(『先見日記』NTTデータ/2005年1月18日掲載)

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 昨年(2004年)のアメリカ大統領選挙のとき、投票が始まってから開票結果にいたるまでの、アメリカにおけるTV報道には興味深いものがあった。壁のアメリカの地図は州境線で区分けされ、共和党が勝てばその州は赤、民主党が取ればその州の色は青となった。開票がすべて終わると、アメリカはものの見事に赤と青とに色分けされていた。アメリカをふたつに分断し、両者を敵対させて選挙を争うという共和党の戦術が、おそらくは最大限に効果を発揮した結果だ。なにごとにせよ国論は二分されるのがアメリカの基本的な性格だ。そこへ選挙の戦術として、共和党はさらに二分を重ねた。自分たちと奴ら、という昔からおなじみの構図を、国内での大統領選挙に応用したのだ。

(『先見日記』NTTデータ/2005年1月25日掲載)

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2025年5月16日 00:00 | 電子化計画

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