連載エッセイ「先見日記」より10作品を公開
「先見日記」(「先見日記 Insight Diaries」)は、株式会社NTTデータのWebサイトにて2002年10月から2008年9月までの6年間にわたり、延べ16人の執筆者によって連載された日記形式のエッセイです。片岡義男は創刊時から2005年4月までの約2年半、毎週火曜日を担当しました。片岡義男.comでは連載時の記事から、他の書籍には転載されていない作品をピックアップして公開していきます。
現在の不況やデフレを、過去に向けて時間軸をたどっていくと、それらの発生源となった経済至上主義にいきつく。戦後の日本を支えて推進させてきた、供給者側の都合や論理という、日本的主義そのものだ。供給者たちにとって理想的な状況は、供給量を増やし続けてそれがすべて売れていく、という状況だ。戦後の日本とは、実はこれだった。異様に膨らみつつ右肩上がりを続けていく経済の中に、供給の凄まじい過剰、つまりウソが、呑み込まれて見えない状態が続いた。
(『先見日記』NTTデータ/2002年12月10日掲載)
拡大と上昇の時代のなかで、企業は社会を根こそぎにして自分の内部にかかえ込み、社会とは企業でありその外に何もない、という世界を作り出した。そしてその時代が終焉に向かうと、抱え込んだ社会を今度は解雇という形でほうり出していく。一度は破壊しつくした社会を、もう一度、企業は破壊する。そしてこのことにまったく気づかない。しかし誰もがまったく気づいていない、ということはあり得ない。
(『先見日記』NTTデータ/2002年12月17日掲載)
土地はいまのところまだ資産だ。土地の価格が低下すると資産デフレが起きる。土地価格が下がれば下がるほど不良債権も増えていく。そしてそのことが金融システムを侵食していく。土地が価値であることは間違いない。さまざまに利用することによって、価値はさらに高まる。しかしその価値は、ただちに数字へと転換して利潤なら利潤として企業の帳簿に計上することの出来る性質のものだろうか。
(『先見日記』NTTデータ/2002年12月24日掲載)
全国のスーパーの総店舗面積が、1988年以来初めて、減少に転じたという。食品や衣料品その他、品物がいかにたくさん陳列されていても、買いたくなければ人は買わない。ほんの少しでいいから、もう少しましなものを求めているのに、それがない。食品にせよ他のなににせよ、いまの日本で物が売れない最大の理由はここにある。もう少しましなもの、という言葉がカヴァーする範囲はたいそう広い。
(『先見日記』NTTデータ/2003年1月14日掲載)
戦後の日本は、均一に揃った勤勉な労働力によって、性能の高い規格品を安く大量生産し、それを売って経済を築いた。こうしたこれまでのすべてが、片っ端から終わっていく。その最も大きな理由は、人々の気持ちの中にある。均一な規格品に囲まれた生活に、人々は興味や熱意を失ってしまった。均一な労働力としてしか期待されていない自分とその将来に、人々はうんざりしている。充分にうんざりしたまま、前方にはまだ何ひとつ、確かなものは見えていない。
(『先見日記』NTTデータ/2003年1月21日掲載)
デフレという言葉とともに用いられる言葉として、もっとも目につくのは克服だろうか。デフレ克服、というように。おなじ文脈で、解消、対策、解決策といった言葉も使われる。脱却というのもある。デフレ脱却最優先、などと使用される。デフレとは、退治されるべきものであるようだ。文明国のすべてをつなぐ、グローバルが当然の前提であるような世界的な規模のなかで、これがいまも続いている。このような事態から日本だけが脱却出来るわけがない。
(『先見日記』NTTデータ/2003年1月28日掲載)
窓口という機能は日常生活の場のあちこちにあるけれど、昔の標準的な窓口の構造は、かなり特殊なところ以外では、もう見かけることはない。過去の窓口では、窓口の外側と内側とが、厳しく区別されていた。その両者間の序列は明らかに縦の序列であり、お上が下々の世話をしてやる、ありがたく思え、今日はなんの用だ、といった関係だった。今このような窓口を維持したなら、そこは人々からたいへんな不評と批判を集めるだろう。
(『先見日記』NTTデータ/2003年2月4日掲載)
男性ふたりに女性がふたり。4人で4種類のピッツァに悦楽しながら、今の日本、これからどうする、自分、仕事、といった話が展開した。女性は20代と30代だ。仕事に関しては、自分たちはそれをせざるを得ないのだ、と女性たちは言う。自分を仕事で売るのだから、出来るだけ高く売るには能力が必要であり、自分にとってそのような能力の発揮が快適であるなら、仕事をして支える人生というものがそこに成立する、と彼女たちは言った。
(『先見日記』NTTデータ/2003年2月11日掲載)
物が売れないから景気が悪い、と誰もが言っている。なぜ売れないのか。日常の物はひとまず間に合っているし、あまり高い物は買えない、それにぜひとも買いたいと思うほどに魅力的な物は、どこにも見当たらない。こんな状態が日本を覆っているのではないか。物作りの日本と言われたこの日本は、物をいまも盛んに作っているように見えて、じつは作っていないのではないか。
(『先見日記』NTTデータ/2003年2月25日掲載)
10年ほど前に、かつてよく歩いた駅から大学までの通学路を、そして大学の周りを歩いたとき、その変わりように僕は驚いた。変われば変わるものだという感想は、2年前に同じ道を歩いて、変わったのではない、さびれたのでもない、これはすべてがいったんは終わった様子なのだ、という結論につながった。すべてとは、なにか。それが終わったとは、どういうことか。
(『先見日記』NTTデータ/2003年3月4日掲載)
2025年3月7日 00:00 | 電子化計画