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エッセイ『あすへの話題』より12作品を公開

エッセイ『あすへの話題』(日本経済新聞夕刊/2013年)より12作品を本日公開いたしました。

編集者が教えてくれた建築家のフランク・ロイド・ライトが使っていた鉛筆が文房具店にあった。黒と銀灰色のふたとおりを、一本ずつ購入してみた。銀灰色の軸には、「筆圧半分、速度二倍」と、英語のフレーズが印字してある。「鉛筆を指に持つと、より良い考えが、自分の頭から出てくる」という名言は誰のものだったか。この名言を僕は全面的に支持する。一本の鉛筆から人間の文明のすべては始まった、と言うではないか。

日本経済新聞 2013年1月5日掲載)

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八代亜紀さんの新しいCD『夜のアルバム』のライナーノートに二〇〇〇字の物語を書いた。曲目を解説しても意味はない、ここには物語しかない、と僕は思った。だから物語にした。一九七三年からのヒット歌謡となった八代さんの『なみだ恋』は、僕にとっては最後の歌謡曲だ。当時は『なみだ恋』の時代だったと言ってもいい。夜の新宿のあちこちの店で、編集者とホステスたちとの会話の背景に、『なみだ恋』は夜毎のきまりごとのように、流れていた。

日本経済新聞 2013年1月9日掲載)

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子供の頃から馴染んできた私鉄沿線の商店街。地元の名店と言われているとんかつの店の窓に、「かきフライ始めました」と、貼り紙がしてあるのを見た。それから1週間後、貼り紙は「かきフライ」だけになっていた。とっくに始まった冬は、冬としていまここにある。したがって「始めました」のひと言は消えて、「かきフライ」だけとなった。張り紙の底に流れる論理の道筋をたどった僕は、食べたい、と思った。

日本経済新聞/2013年1月12日掲載)

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寒に入って数日後、穏やかに晴れた日の夕方、僕は自宅のある高台を縁取る道を西に向けて歩いていた。山なみに沈む寸前の、朱色に輝く太陽から空に向けて、紫とピンクとを帯びた茜色の光が広がり、いくつもの雲が下からその色に染まっていた。急いで自宅に入った僕は、写真機を持って外の道に戻った。しかし、そのときすでに太陽は沈みきり、平凡な空があるだけだった。

日本経済新聞 2013年1月26日掲載)

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二〇一二年の夏頃から自宅の近辺で外国人をしばしば見かけた。駅までの道、商店街などでも多く見かける。東京へ多くの外国人が来ている。どの人も生活感そのもののような雰囲気だ。少なくともしばらくは、彼らは東京に暮らすことを試みようとしている。だが、グローバルだから外国人が東京に住むのではない。まだまし、という落差ゆえに、彼らは来る。彼らの姿を見かけなくなったとき、まだまし、という価値が消える。

日本経済新聞 2013年2月2日掲載)

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誘われて輸入物の文具を扱う可愛らしいお店にいってみた。世界中から気に入ったノート類を大量に買い集め、仕事部屋に収納したい、という夢が僕にはある。まだなにも書かれていない何百冊ものノートブックは、書くことに向けて僕をあと押ししてくれるだろう。推敲は削ることを方針とする。だとすれば、余計なものはかたっぱしから消えていき、最終的には白紙に戻るのではないか。それが僕の夢の核心である。

日本経済新聞 2013年2月9日掲載)

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故郷はどちらですか、とたまに訊かれる。故郷はありません、と僕は答える。本当にないからだ。東京生まれだがそこに根はなく、戦争の終わりかけから戦後の十年ほどを瀬戸内で過ごした。それ以後は東京だ。東京に住んで長いが、長いからそこが故郷である、というわけにもいかない。しかし僕に故郷はほんとにないのだろうか。故郷のあり方に気づいていないだけではないか。

日本経済新聞 2013年2月16日掲載)

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編集者と喫茶店での打ち合わせを終え、僕たちふたりは駅まで戻った。駅への階段を上がる途中、彼は三階建ての建物を指差し「カタオカさん、これはすごいよ。よく見ておいて。日本がここにある」と言った。彼の言う通り、そこには日本があった。何度見たとも知れない景色を、そこにとどまって観察した。単なる雑居ビルではなく、日本そのものがそこにあった。

日本経済新聞 2013年2月23日掲載)

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ある知的な美女から、南方熊楠による方丈記の英訳を示された。なんという偶然か。ひと月ほど前、別の知的美女から僕は、夏目漱石による方丈記の英訳を進呈されていたのだ。ふたりの女性から進呈された、方丈記のふたとおりの英訳。これを三角形の二辺だとすると、もう一辺は、ひょっとして、僕による英訳なのではないか。ふたりの知的な女性たちは、それを期待しているのではないか。

日本経済新聞 2013年3月2日掲載)

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B5サイズのコピー用紙を五枚、横置きにそろえる。それを縦に三等分に折りたたむ。長方形が出来上がる。これを縦に持ってメモ帳とする。三つにたたんだ状態で一番左になるのが第一ページだ。ジャケット類の内ポケットに持ち歩くメモ帳には、少なくとも僕にとっては、これがもっとも好ましい。書いた紙は自宅でページごとに切り離す。一ページの大きさは、なにを書いたか、当人ならひと目でわかるサイズだ。

日本経済新聞 2013年3月9日掲載)

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主人公の男女が喫茶店で待ち合わせるところから始まっていく短編小説を、この二、三年いくつか書いた。コーヒーを飲み、彼と彼女は自分たちの関係を新たな可能性の地平へと導き出していく。喫茶店でのふたりの待ち合わせの場面は、僕がひとりで飲むコーヒーに起源があるようだ。コーヒーをひとりで飲んでいると、一瞬の閃きというかたちで、突然グッド・アイディアをひとつ手に入れることができるのだ。

日本経済新聞/2013年3月16日掲載)

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夢の中で散歩をしていたら、向こうからドラえもんが歩いてきた。短編小説を書き上げたので散歩に出た、と言う僕にドラえもんは、この近所にもうひとり、いつも原稿を書いている人がいるんです、と道ばたのベンチの端にすわっている男性を指さした。その人は元高角三という名だった。モトダカ・ツノミではない。ゲンコウ・カクゾウという名前だった。

日本経済新聞 2013年3月23日掲載)

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2023年2月14日 00:00 | 電子化計画

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