VOYAGER

片岡義男.com 全著作電子化計画

MENU

お知らせ

連載短編『撮られた人の行方』より6作品を公開!

雑誌『MEN'S EX』(世界文化社)に1994年5月号から連載の短編『撮られた人の行方』より6作品(第7回〜第12回)を本日公開いたしました。

取材というのは不思議なもので、ひとつの事を調べようと、それを話してくれそうな人に会って話を聞いている内に、別の誰かに会う必要が生まれ、その誰かは目の前の取材対象の人が知っていたりする、というようなことが頻発に起こります。もちろんそれは、取材のテーマがはっきりしていて、そのことに対する知識を持っていることが前提で、自分が向かう方向が分かっていて、相手の話が十分に理解できるからこそ起こることで、偶然でもラッキーでもありません。だからノンフィクション作家の高倉健二は、この『女性は裸の写真を残すべきだ、という意見』というやや過激なタイトルの物語の最後で、楽しさと手応えを感じます。取材は相手に答えを聞きに行くのではない、という最高の例が、そのまま小説になっているのです。

こちらからお読みいただけます

この『彼女の人生の分岐点』という物語の中で、写真家のテディ藤沢(ライター時代の片岡義男を思わせるネーミングですね)は、「雰囲気とは、好みの顔や体から高倉さんが作る、物語だね」と言います。これは「性的な文脈の中での写真の使われ方」という、作中で高倉健二が書こうとしていて、それがこの物語の核になっているとも言えるテーマを考える、とても重要なセリフだと思うのです。ヌード写真を見る男性は、そこに造形だけでなく雰囲気を見ますが、それは見る人が作り出した物語だというのです。それは写真を見て「目力がある」とか「セクシーだ」というのは、被写体がそうなのでなく、見た人の中で生まれたものだということ。そうして女性を性的に見る男性についてのひとつの結論が出たように見えた瞬間、ひとりの女性によって全く違う性的な写真がもたらされて、物語も分岐点を迎えます。

こちらからお読みいただけます

この物語の主軸となるのは、作家の村崎久美子が撮った、美人秘書からボディ・ビルダーとなった女性の写真です。ここで片岡義男が小説技巧の粋を思わせる描写で描き出す、その写真についての話が面白いのは、そこに何が写っているかよりも、それが何故、こんな風に衝撃的に見えるのかに主軸が置かれているからでしょう。後半、ノンフィクション作家の高倉健二は、久美子に電話して、どうやって撮影したのか、その写真を決定付けたアイテムをどうやって作ったのかについて尋ねるのも、写真という表現が「何が写っているのか」よりも、「どう写っているのか」が重要なのだということを、この小説のストーリーにしているからなのでしょう。この『アロティマス・オ・サクラ』は、写真という表現の根幹に迫るエピソードです。

こちらからお読みいただけます

この「撮られた人の行方」の物語もいよいよ後半に入ります。連載当初からのテーマのひとつであった「同世代的共感」と20年前のヌード写真について、そのキーポイントとなる女性にノンフィクション作家の高倉健二は会いに行きます。そこで、20年前の自分のヌード写真を見ながら、その女性、高村ルミ子は「その私は、幻影なのよ」と言います。それはヌード写真という表現の機能についての物語であり、その中での被写体=撮られた人の役割についてのネタばらしです。幻影を作る仕事としての「表現」について、片岡義男は冷徹にその正体を分解していきますが、物語はさらにその先へと進むのですから、読者としてはこんなに楽しみなことはないと思うのです。

こちらからお読みいただけます

二十年前のヌード写真の中の女性として描かれてきた高村ルミ子という女性の現在と未来について語られる今回の物語は、片岡義男ならではの、中年男女のボーイ・ミーツ・ガールのストーリーとして書かれています。その意味で、このちょっと特殊な連載の中では、とても安心して気持ちよく読める回でしょう。作中に登場する、スワロフスキーの双眼鏡ですが、クリスタルガラスで有名な、あのスワロフスキーから派生した光学機器メーカーで、フィールドスコープを世界で最初に作ったメーカーと言われています。日本ではハクバ写真産業が取り扱っており、国内でも購入できます。優雅と言っても良いデザインと歴史のある工学技術の融合した、片岡作品らしいアイテムの登場に、ニヤリとした方も多いのではないでしょうか。

こちらからお読みいただけます

『正常位で彼女を待っている。』は、そのタイトル通り、正常位での性交をモチーフにした60枚の写真を前に、ノンフィクション作家の高倉健二と投稿雑誌編集者の島村が、写真論を語ります。この長編小説は、全体が写真論のような物語なのですが、その大きな特徴として、写真が描き出す幻想と、それを実現するためのリアルな技術と方法が、同一の平面上で語られています。今回の写真についても、人形をどうやって撮影現場に持ち込むのかといった、とても現実的で、しかし、そのあまりによくできた等身大の人形だからこそ起こりうる問題についてを、きちんと問題にしています。この具体性と幻想が混ざっていく感覚が、この小説をとても面白いものにしています。

こちらからお読みいただけます

2022年4月8日 00:00 | 電子化計画

このエントリーをはてなブックマークに追加