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片岡義男.com 全著作電子化計画

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『恋愛は小説か』7作品を公開!

『恋愛は小説か』(文藝春秋/2012年)所収の短編7作品を片岡義男.comで本日公開いたしました。

この『卵がふたつある』には、チュニジア料理のひとつ「ブリック」が登場します。ツナとケイパーと玉ねぎを卵といっしょに春巻きの皮のようなもので包んで揚げた料理で、作中にも出てくるように、卵が半熟になるように仕上げるのが重要なポイントです。そのシーンでの会話「卵は?」「ふたつある」という会話がタイトルになっているように、この土地と縁についての物語の中で、最も深く主人公の真利子と関わるのが、ブリックの作り方を教えてくれる友納さんです。その友納さんは、もしかするともうひとりの真利子かもしれず、その二人はかつて同じアパートの隣同士。その上に、二度出会う婦人がいて、前の住人にも出会います。そう思うと、このタイトルに込められた企みが見えるような気がして、それがまた楽しいのです。

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『恋愛は小説か』というタイトルは、とても不思議です。恋愛は小説になり得るのか、とか、恋愛は小説のようなものであるのか、とか、小説は恋愛か、とか、そういう問い掛けならば、そこに答えが見つかるような気がするのですが、恋愛は恋愛だし、小説は小説なので、恋愛は小説か、という問い掛け自体が成立していないように思えるのです。しかし、この小説を読むと、そこでは「恋愛は小説か」という問い掛けが成立して、それがそのまま小説になっているのです。このマジカルと言ってもよいような、図と地の反転のような仕掛けが可能な表現こそが小説の面白さであり、小説の技術なのだと、片岡義男が言っているような気がします。だからこそ、この作品を含む短編集のタイトルも『恋愛は小説か』なのでしょう。

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短編集『恋愛は小説か』に収録された、この『午後のコーヒーと会話』は、そのストーリーだけをなぞれば、大人になってから知らされた母親違いの妹に、それから14年を経て会いに行く作家・美紀子の物語です。妹の会社のカフェで交わされる二人の会話は、淡々としながらも、姉妹の情に溢れていて、とても感動的です。しかし、物語の前段、カメラマンの深見と美紀子の、やはり午後にコーヒーを飲みながら交わされる会話は、まるで後段の妹に会いに行く旅について、そういう小説はどうだろうと深見が提案するのです。ならば、この姉妹の出会いは、美紀子に起こったことなのでしょうか。美紀子が書いた小説なのでしょうか。もしくは、前段の会話こそが小説なのかもしれません。

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フィクション論的な作品が多い短編集「恋愛は小説か」の中でも、最も踏み込んだ形でフィクションと小説について語っているのが、この『すこし歩こう』ではないでしょうか。序盤に女優で作家の笛吹優子は「自分のことを主人公に託して、自分の言葉で書けば小説だなんて、とんでもないことよ」と言います。作者自身はフィクションだし、体験も記憶もフィクションにしたいと言う彼女の言葉は、小説を書く人なら当然分かっているけれど、書かない人には中々伝わらない、フィクションであることの重要性。片岡義男は多くの小説の中で、それを繰り返し書いていますが、この物語は、そこから更に、彼女の生い立ちから、彼女が住んでいる場所の道順、部屋の中までを描写して、フィクションを成立させるポイントを教えてくれます。

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この『大根で仕上げる』という小説には、本物のラフテーが登場します。「皮つきの三枚肉を泡盛で煮たものだ」と書かれています。豚の角煮、東坡肉(トンポーロー)、ラフテーはどれも同じような見た目に仕上がるけれど、それぞれレシピが違うので、豚の角煮は好きだけど東坡肉は苦手、という人も普通にいるのが面白いですね。だから「本物の」が付くわけです。そして実際、本物ではないラフテーも東坡肉も、巷には溢れていて、その辺をうまくまとめる言葉として「豚の角煮」があるのではないかと思ってしまいます。ラフテーも東坡肉も豚肉の角切りを煮たものであることは変わりないのですから。もっとも、片岡義男との対談本もある小林信彦の『ドジリーヌ姫の優雅な冒険』によると、本物の東坡肉は煮物というより蒸し料理に近く、ややこしいのですが、どれも大根の煮物との相性が良いのは同じ。大根で仕上げれば問題ないような気もします。

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あるグラビアアイドルが「美人に生まれれば人生楽勝なんてことは全くありません」と言っていました。片岡義男の小説には、ほとんど美人しか出てきませんが、美人であることで楽に生きている人は一人も出てこないので、片岡義男ファンにとって、そんなことは当たり前なのですが、世間的にはまだまだ常識ではないのかもしれません。この『そうだ、それから、マヨネーズ』には、4人の美人が登場します(内ひとりは杉浦が構想中の小説の登場人物です)。そして登場人物たちは、彼女たちが美人であることを称賛することを躊躇いません。でも、「かなわない」と思うのは美人だからではないのです。好きな相手を思いっきり蹴れる女性は、楽な人生は送れないような気がしますが、魅力的とはそういうことなんだよなあと、この小説は思わせてくれます。

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『割り勘で夏至の日』は、短編集「恋愛は小説か」に収録された作品の中では、ストレートな恋愛小説と言っても良いのかも知れません。二十年ぶりに再会した男女は、どちらも大学時代と同じように音楽を続けていて、二人は多分、ユニットを組んで演奏活動を始めるでしょう。もう一人の友人である野沢も、きっとトランペットを久しぶりに人前で吹くことになるのでしょう。そういう予感をたたえた、恋愛が始まろうとする、その瞬間を捉えたような小説なのです。そして、それこそが、夏至の日なのでしょう。一年で最も日が長いということは、それだけ沢山のことが起こるのです。そして、200円のコーヒーを割り勘で買って、その一杯を分け合うことが、二人の間の二十年の空白を埋めてしまいます。

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2022年2月18日 00:00 | 電子化計画

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