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ワシントン・ハイツの追憶

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 一九五〇年代なかばから持っているジャズのLPを必要があって見直していたら、ラルフ・フラナガンのLPジャケットのなかに、一枚の写真が入っているのを見つけた。週刊誌ほどの大きさの白黒のプリントで、ワシントン・ハイツのおよそ南半分を空中からとらえたものだ。裏には鉛筆で一九五八年と書いてある。当時のワシントン・ハイツに住んでいた知人からもらったものだ、ということはすぐに思い出すことが出来た。LPジャケットのなかに入れたまま、長いあいだ忘れていた。僕にはよくあることだ。

 ワシントン・ハイツは米軍の施設だった。現在にあてはめてごく大ざっぱに言うと、南はNHKの北側から北は参宮橋まで、そして東西は原宿から代々木八幡にまたがる、広い敷地だった。ただし明治神宮は現在とおなじだ。ぜんたいは台地の雰囲気で、特に東と南に向けて開けていて、なかなか快適だった。そして一歩なかに入ると、そこは完全にアメリカだった。空気の匂いからしてアメリカだった。日曜の午後などは、アメリカの日曜日の午後がそのままにそこにあった。空中からの写真にはよく知っていた部分があるし、思い出すことも多い。

 写真の画面の手前には、いまのJRの線路とそのすぐ西側の道路がある。画面を右に出たあたりが原宿駅だ。ハイツの敷地を東西につらぬいていた幅の広い道路が記憶しているとおりに写真のなかにある。これを西へ抜けたところには現在の代々木深町の交差点だ。富ヶ谷の交差点をへて画面の上つまり西へ、直線でのびる井の頭通りが見てとれる。

 広々と空間をとったなかに幅の広い道路が整然と敷かれ、それに対して巧みに配置した建物がおなじく整然とならんでいる。空中から俯瞰した画面であるがゆえに、施設ぜんたいにいきわたった見事なまでの科学的な計画ぶりが、強調されて僕の目に映じる。

 ハイツではないその外の部分、つまり当時の東京が、かなりの面積で写し撮られている。コントラストのやや強い白黒のプリントの、その黒い部分のなかへ沈みぎみに、昭和三十三年の東京が横たわっている。高層の建物は見あたらない。多くは民家であるはずの低い建物が、重なり合うかのようにびっしりと、地面に敷きつめられている。ハイツの内部を整然たる科学性と呼ぶなら、その外の東京は、雑然さをきわめるのがあたりまえの、非科学性だろう。明治以来けつまろびつ、追いつき追いこせ、恐るるに足らず、なにするものぞ、という非科学性のただなかを、成りゆきまかせに走ってきた果ての、敗戦から十三年めの重い澱みのように見える。

 一九五八年のワシントン・ハイツの空中写真を見ながら僕が思うのは、戦後の日本はアメリカからいまだに科学性を学んでいない、ということだ。敗戦は科学性の高低差がもたらした。進駐して来た米軍や大量に入って来たアメリカ文化に、格好の良さを感じて強く憧れた日本の世代が存在する。彼らが感じた格好の良さというものは、民主主義と良好な関係で結びついて開かれた社会システムを作っていた、明快な科学性だったはずだ。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

今日の一枚|ワシントンハイツ全景(1954年1月13日)

Aeral_view_of_Washington_Heights_(Tokyo)

毎日新聞社「毎日グラフ(1954年1月13日号)」Wikimedia Commonsより


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2017年8月18日 00:00
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