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連載エッセイ「先見日記」より10作品を公開

「先見日記」(「先見日記 Insight Diaries」)は、株式会社NTTデータのWebサイトにて2002年10月から2008年9月までの6年間にわたり、延べ16人の執筆者によって連載された日記形式のエッセイです。片岡義男は創刊時から2005年4月までの約2年半、毎週火曜日を担当しました。今回は2004年3月から2004年7月にかけて掲載されたもののうち、その後単行本等に転載されていない作品を公開します。

 勝ち組、負け組、という言葉がある。嫌な言葉だ。何とか別の言い方はないものか、とかねてより考えていた。ことの本質にさらに迫った言いかたとして、ワリを食う世代、ないしは層は、どうだろう。世代として、そして層として、集中的にワリを食う人たちが、顕在化し始めているのだから。ワリを食うとは、働くために必要な能力を持っていない、ということにほかならない。働き方の変化は、人がその能力において厳しく選抜される状態を恒常的にもたらした。そして働き方の変化とは、企業による利益のあげかたの変化だ。

(『先見日記』NTTデータ/2004年3月16日掲載)

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 3人の日本人がイラクで人質になったとき、アメリカ軍によるファルージャでの掃討作戦の停戦は、2度にわたって延長された。アメリカの配慮によるものだったのか、それとも日本政府が状況を的確に読んだ上で、強く要請したからか。後者の可能性は薄いと思うが、日本の自衛隊がイラクに居続けることが、アメリカにとっては相当に重要なことなのだということはよくわかる。その自衛隊を日本政府はどうするつもりなのか。

(『先見日記』NTTデータ/2004年4月20日掲載)

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 4月のある雨の日、『白浪五人男』の三幕九場を歌舞伎座で通して見た。席は最前列で、緞帳の富士山のまんなかから右へ、5席分ほどずれた位置だった。うしろを振り返ると、すぐうしろの席にひとりでいた年配の女性が気さくに話しかけてきた。声の質、その出しかた、話しかけるにあたっての最初の言葉の選びかた、そしてそこからの展開のしかた、といったことすべてを、話しかけられ受け止めた瞬間、僕は自分の根なし草かげんを痛感することとなった

(『先見日記』NTTデータ/2003年5月4日掲載)

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 ほんの数年前まで、北朝鮮による日本人の拉致を日本政府はまったく認めていなかった。身内の拉致という事態を、日本政府の力で何とかしてもらえないかと外務省に陳情・懇願した人たちは、いつも玄関払いをされてきた。政府は拉致の事実は絶対に認めない方針を固めて、30年、40年と放置してきた。ここにきて拉致問題を扱い始めた日本政府の動きを冷静に観察すると、北朝鮮との国交の正常化がなぜか大変に急がれている、という印象がある。

(『先見日記』NTTデータ/2004年5月25日掲載)

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 いまの日本の一般社会は、あらゆる意味で細りつつある。物質的にはたいへんに豊かな日本だ、と言われているけれど、安く作れるものだけがたくさんある、と言い換えると正確な言いかたになるのではないか。安く作れるものとは、もどき、まがいもの、似て非なるものなどであり、価値が可能なかぎり削ぎ落とされている。若い人たちを主たる顧客とする量販店のスーツは、わかりやすい例のひとつではないか。

(『先見日記』NTTデータ/2004年6月1日掲載)

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 首相が北朝鮮を最初に訪問してから、1年と8カ月ほどの時間が経過した。今も脱走兵として扱われているという曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんをめぐる問題について、6月のブッシュ大統領との首脳会議の席上で「言及する」つもりだと、日本の首相は明らかにしたという。今ようやく「言及する」からには、これまでアメリカの大統領に日本の首相はなにも言わずにきたのか。外務省がアメリカと続けてきた「折衝」とは、いったいなにか。

(『先見日記』NTTデータ/2004年6月8日掲載)

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 1956年、韓国でアメリカ陸軍から脱走したとされているチャールズ・ジェンキンスは、国務省の発表によると、脱走など4つの罪状で今も手配されているということだ。5月22日、日本の首相が北朝鮮で総書記と2度目の会議をしたとき、ジェンキンス軍曹が日本へいくことなどまずあり得ないのを知りつつ、日本へいくことを直接に説得してみてはどうか、と、総書記は首相に提案した。半分はからかい、そして残りの半分は、事態をさらに複雑化させることが目的だったのではないか、と僕は判断する。

(『先見日記』NTTデータ/2004年6月15日掲載)

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 ジョージア州で開催されたサミットのすぐあと、アメリカではレーガン前大統領の国葬が行われた。この様子をTVでの報道で見ていて、日本の首相の姿が画面に現れないことに気づいた。一方、日本のTVニュースは、葬儀に出席した中曾根さんを繰り返し紹介していた。レーガンと言えば、日本ではロンとヤスだった。現在の首相はサミットを終えるとすぐに日本へ帰ったという。首相はレーガン前大統領の国葬に出席しなかったのだ。なぜ欠席したのか。その理由は未だに僕はわからない。多くの人がそうだろう。

(『先見日記』NTTデータ/2004年6月22日掲載)

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 5月22日に日本の首相が北朝鮮でおこなった総書記との2度目の会議で、第1回目のときに取り交わしたピョンヤン宣言を北が守るかぎり、北に対する経済制裁は行わない、と首相が明言して問題となった。かなり以前、首相は北朝鮮に対する経済制裁に関して「どういう対応があるべきか冷静に慎重に対応したい」と発言している。「慎重に対応」とは、やりたいけれども今はまだ決断がつかない、という意味だったことはイラクの自衛隊派遣が証明している。見極めさえつけばアクションはあるのだ。

(『先見日記』NTTデータ/2004年6月29日掲載)

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 曽我ひとみさんが7月9日にジャカルタで家族と再会することになった。参院選の2日前だ。北朝鮮は利用価値が高まり続ける日本の首相を、側面から少しだけ手助けした、ということだ。この再会は「できるだけ早いほうがいい」と首相は言っていた。曽我さんが帰国してから、すでに1年9カ月が経過している。そのあいだ政府はなにをしてきたのか。曽我さんが帰国した当時、少なくとも政府からこんな言葉は聞かれなかった。5人の帰国を自分たちの大手柄だととらえていたからではないか。

(『先見日記』NTTデータ/2004年7月6日掲載)

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2025年4月18日 00:00 | 電子化計画