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『自分を語るアメリカ—片岡義男エッセイ・コレクション』『ノートブックに誘惑された』『作家のすべて教えます』より9作品を公開

『自分を語るアメリカ—片岡義男エッセイ・コレクション』(太田出版/1995年)、『ノートブックに誘惑された』(角川文庫/1992年)、『作家のすべて教えます』(『月刊オーパス』創現社出版/1994 - 1995年)より9作品を本日公開いたしました。

ベッドタイム・ストーリーとは、幼い子供が夜ベッドに入って寝る前に、お父さんやお母さんに読んでもらう子供向けのお話のことだ。いくつかを久しぶりに読んでみた。なかなか面白い。全体的に見て、文学的な感じのするものが少ないところがいい。そのかわりに、ことの成り立ちとか、世のなかでものごとが進んでいく順番を描いてそれをひとつのストーリーに仕立てたものが圧倒的に多く、世の中の仕組みを子供たちにわからせるための、第一段階的なお勉強となっている。そして幼い子供たちは、同じストーリーを何度くりかえし聴いても、そのたびに、想像のなかで新しい世界をつくり、楽しんでいく。

(『自分を語るアメリカ—片岡義男エッセイ・コレクション』太田出版/1995年所収)

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僕の父親はアメリカの日系二世で、戦後は駐留米軍の一員として仕事をしていた。父親はいつも手帳とペンを持ち歩いており、いろんなことを書き留めていた。限られたスペースのなかに、出来るだけいろんなことを記入するための秘訣のひとつは、自分だけの略語を作ることだよ、と父親は言っていた。だから彼の手帳のなかでは、岩国はIWKで、横浜はYHMだった。港のある町が僕は好きだった。今でもそうだ。船が着く港よりも、船が出ていく港を僕は好いていた。このことはいまでも変わらない。

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絶滅の危機に瀕している生き物たちの写真を絵葉書にして一冊にまとめたこの本は、僕にとってたいへんに大事な本だ。どの生き物もじつに素晴らしく、造形と色づかいは本当に芸術的だ。しかしそれは人間の芸術ではなく、人間などはじめから最後まで、まったくなんの関係もない場の中での出来ばえだ。こういう素晴らしい生き物が、どれもみな絶滅の危機に瀕している。人間のせいだ。それ以外にない。どの生き物の生きかたも、きわめて繊細で、生態系という微妙な世界のなかで、あやういバランスの上に生きている。そしてどの生き物も、生きかたはそれぞれに異なっている。

(以上2作品、『ノートブックに誘惑された』角川文庫/1992年所収)

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作家が小説のなかに作る女性主人公は、現実にはどこにも存在しない人だ。モデルの有無、さらにはその主人公がたとえば自分自身であっても、出来上がって来る小説にそんなことはほとんどなんの関係もない。この女性は人形なのだとはっきり決めて、その人形の小説を書いたなら、結果はどのようなことになるのだろう。人形になろうとしている女性のストーリー。人形として接してもらいたいと願っている女性のストーリー。人形として誰かの分身になりたがっている女性のストーリー……。自分がひとりで書く小説に作家が登場させる女性主人公は、程度や認識の差こそさまざまにあるものの、基本的にはみな人形なのではないのか。外見も意志も、その人形のあらゆる部分を、作家は完全に自分の好みどおりに作ることができ、させてみたいことすべてをさせてみることが可能なのだから。

(『月刊オーパス』創現社出版/1994年8月号掲載)

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彼女、という言葉を、僕は英語のSHEを単純に置き換えたものとして、いつも使っている。それ以外の使いかたが、僕には出来ない。彼女、と書いたからと言ってその人がかならずしも女性であるとはかぎらないが、顔立ちや姿かたち、年齢、職業など、具体的なこといっさいは、ストーリーの中に必要なら書く、必要でなければ書かないという方針で、小説を書き続けることは可能だ。女性主人公というものの、おそらくもっとも抽象化されたありかただろう。女性の主人公が、彼女、としてしか出て来ない小説を、僕はこれまでに何度か書いた。彼女に関する具体的な事柄は、必要に応じて本文のなかに書いていくとして、とにかく名前がない、つまり名前からは解放されているのはたいへんに気持ちのいい自由な状態だと、彼女、という主人公たちを僕は記憶している。

(『月刊オーパス』創現社出版/1994年9月号掲載)

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彼女は独身の二十五歳だった。東京の都心にある会社に勤めていた。その彼女が、ある年の五月の夜、いなくなってしまった。友人と別れ、彼女は電車を降りた。友人は電車のなかからホームを歩く彼女に手を振った。彼女も手を振った。しかし、そこからの足どりは、まったくつかめないまま、完全な行方不明者になってしまった。この出来事があってから二十五年は経過している。当時の僕は小説を書いてはいなかったが、小説を書くことになる人としての質のようなものは、どこかに持っていたにちがいなく、その質においてこのOL失踪事件を記憶し、いまも記憶している。僕のこの記憶だけを発端にして、いわゆる長編小説をひとつ書くことは、充分に出来るはずだとその僕は思っている。しかし、ひょっとしたら僕は、自分が書きたい小説のために、その発端となる現実の出来事をも、創作の一部分として頭のなかで作ってしまったのかもしれない。

(『月刊オーパス』創現社出版/1994年10月号掲載)

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僕はほんとに自分の字が嫌いだ。その理由は、要するにへただからだ。自己が外に向けて表現されたかたちの一例である僕の書く字の、なんとへたなことか。いわゆるうまい字を書きたいとは思わないが、もうすこしなんとかならないものかと、仕事として原稿を書き始めた二十一歳の夏から現在まで、ずっと僕は思って来た。自分の字がいかに嫌いでも、書かないことにはどうにもならない。しかもワード・プロセサーはまだ世の中に存在していなかった。自分の書く字がたいへんに嫌いであるという状態を、なんとか切り抜けていく方法を、やがて僕は見つけ、その方法を少しずつ身につけていった。文字を出来るだけデザイン的に書く、という方法だ。しかしそれは、僕のように常に短い時間のなかでかなりの量を書くときには、相当に過酷な肉体作業となる。それを苦痛と感じるほんの少し前に、僕は手書きからワード・プロセサーに換えた。

(『月刊オーパス』創現社出版/1994年11月号掲載)

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会話は現実の日常ではほとんどの場合、段取りのためのものだ。なにかをするにあたっての、プロセスや手順をきめてそれらをそのとおりにおこなっていくときの、相互確認の役を担っている。日常の現実はさまざまな段取りの連続だ。いったいなんのために、これほどまでに段取りだけが連続するのか。最後は死ぬために、誰もが人生の日々という段取りを、ひとつずつ律儀に追っていく。逆に小説は現実の日常ではない。だからそのなかの会話はなにかをしていくにあたっての段取りではない、という仮説がひとつ成立する。しかし小説と日常とは決して切れてはいない。両者はどこかでかならずつながっている。小説の中の会話は、登場人物どうしがおたがいにわかり合うためになされるものだ。小説では地の文よりも自由に使うことの出来るのが会話であり、したがって自分の能力の限界いっぱいに会話を駆使したほうがいい。

(『月刊オーパス』創現社出版/1994年12月号掲載)

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作品のタイトルをどのようにつけるのか、作品を書いてからタイトルを考えるのか、など「タイトル」についての質問をよく受ける。だがそれは「読者」という立場や視点からの質問であり、書く立場の僕は、このような質問を自分自身に対して行うことはないし、考えたこともない。小説のタイトルとは、いったいなになのだろうか。タイトルは、読者にとっても書き手にとってもあったほうがいいだろう。書き手にとっては、タイトルは短いひと言であるとはいえ、そのなかに含まれる要素はもっと多い。ひと言でその作品を体現しなくてはいけないのだから。そのような機能を発揮してくれる短い言葉を選んでいく行為は、その作品を書いていく創作行為のなかの一部分だ。ちなみに、僕のつけるタイトルはフレーズ化していく傾向が強いという事実があるようだ。

(『月刊オーパス』創現社出版/1995年1・2月合併特大号掲載)

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2023年7月18日 00:00 | 電子化計画

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