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マガジンハウス元社長の木滑良久さんが死去

マガジンハウス元社長で、雑誌『ポパイ』『ブルータス』の初代編集長をされた木滑良久(きなめり・よしひさ)さんが7月13日に死去されました。93歳。

木滑さんは1955年に平凡出版(現マガジンハウス)に入社。『週刊平凡』『平凡パンチ』『アンアン』の編集長を経て、1976年に『ポパイ』、1980年に『ブルータス』を創刊し初代編集長に就任されました。ちなみに『ポパイ』の誌名は「POP・EYE」と分割した時の意味が気に入って採用したとのこと。また『ポパイ』の創刊よりも先に、片岡義男も編集に参加していた『ワンダーランド』(晶文社)が発行され、その誌面は木滑さんたちが考えていた雑誌の内容と近いものがあり、「『あっ、やられた!』と思った」との逸話も(※注)。

片岡義男はそれまで『平凡パンチ』誌上で「テディ片岡」のペンネームでコラムを書いていましたが、『ポパイ』からは本名での執筆をスタート。創刊時からコラムやエッセイを提供していました。特に第4号からスタートした「片岡義男のアメリカノロジー」は、1986年まで10年間の長期連載となり、そのいくつかは『5Bの鉛筆で書いた』『ブックストアで待ちあわせ』など複数の書籍に転載されています。
一方『ブルータス』誌上ではエッセイのほか、『ハイビスカス・ジャム』 『結婚記念日』 『約束』といった短編小説も執筆。1981年4月15日号では、片岡義男の描く世界を網羅した「片岡義男と一緒に作ったブルータス」が特集として組まれるなど、木滑さんの創られた雑誌とは浅からぬ縁がありました。
ここにご冥福をお祈りいたします。
(※注)『証言構成『ポパイ』の時代―ある雑誌の奇妙な航海』(赤田祐一 著)より

■関連エッセイ

「片岡義男のアメリカノロジー」掲載作品より
「ならず者街道を旅したロバート・レッドフォードは、フロンティア時代の残り香のむこうに次の時代の巨大な影を見た。」
「一台のオートバイが、ひとりの現代人を不安から救った」
「サーフィン・サウンドについてのささやかなお勉強」
「ロディオ・クイーン・オヴ・アメリカ。二〇歳、身長五フィート九インチ。美人。いったいどんな女性なのだろう。」
「読んでから観ても、観てから読んでも、映画は面白い勉強だ」

2023年7月19日 17:45 | 片岡ニュース

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