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エッセイ『なぜ写真集が好きか──片岡義男エッセイ・コレクション』より8作品を公開

エッセイ『なぜ写真集が好きか──片岡義男エッセイ・コレクション』(太田出版/1995年)より8作品を本日公開いたしました。

イタリアの画家・ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)と彼の絵に登場する塔、そしてその頂上で風にはためく旗にぼくは大きな影響を受けている。その細長い三角の旗は、ぼく自身ではないかとすら思う。三次元は現実であり、非常にしばしば退屈だ。その退屈さにくらべると、たとえば無限という四次元以上の世界が持つはずの、不安に満ちた観念の彼方は、この上なく刺激的だ。普通の空間ではない空間に、幼いぼくは興味を持ち、それゆえにデ・キリコの塔とその頂上の旗に、強い同化の感覚を覚えるのだろう。

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ジョルジョ・デ・キリコのいくつもの絵は、僕の中では、ひとつに繋がった場所として認識されている。そして絵の中に描き留められた時間は、明らかに午後の時間だ。午後は一日の中で僕のもっとも好きな時間だから、時間の質においても、デ・キリコの描いた風景は僕の風景だと言える。その風景の中へこの僕を誘いこむのは、影だ。物は強い陽ざしを受けて、その背後に影を作る。その影に誘われて、僕はデ・キリコの絵のなかへ入っていく。そこには、もっとも心に残る風景がある。そしてその風景は、謎だ。心に残る風景というものは、最終的には謎でないかぎり、面白くもなんともない。

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フレッド・マーセリーノは、ハードカヴァーの本やペーパーバックの表紙を描いているアメリカの画家だ。彼の絵の中でもっとも重要な中心軸は、本という縦位置の長方形による二次元をかならず横切る斜めの線だ。斜めの線は彼の絵を見る人に与える第一印象のようなものを支える中心的な要素だ。その線は自分の現状に関する、総体的で根本的な疎外感や懐疑の気持ちの積み重ねなのだと、僕は解釈したいと思う。

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写真家でキュレイターでもあるゲイル・リーヴィンによる『ホッパーの場所』は、エドワード・ホッパーの描いた絵に、現実の場所や建物の写真が添えてあり、見比べていると興味はつきない。写真は現実そのままでつまらないからこそ、そこから一転して、ホッパーが、目の前にあるその現実といかに関係を結んだかが、残っている絵を通して様々に推測出来るところに、その面白さの中心がある。画家は、頭のなかで風景をつくりながら絵を描いていくのだと思いがちだが、実は現実に存在する場所との対応関係の中から絵をつくり出していくのだということが、はっきりとわかってくる。

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テレビや映画、写真といったメディアがまだ存在しなかった時代の人たちにとって、イストレーションは現在の基準では想像できないほど大きな役割を持っていた。チャールズ・デイナ・ギブスン(1867-1944)が、19世紀末から20世紀初頭に描いた女性たちは「ギブスン・ガール」と呼ばれ、アメリカの理想の女性の具現像だった。そして彼のイラストに描かれた世界は、あらゆる意味で人々のお手本だった。第一次大戦前のアメリカでは、日常生活のおよそ考えうるありとあらゆるところに「ギブスン・ガール」がいた。

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都会を愛する人による、シアトルとニューヨーク、2つの都会を撮影した3冊の写真集を紹介する。そのうちの1冊はアメリカの女性写真家、ルース・オーキン(1921-1985)の『私が窓から見た世界』という写真集だ。彼女は自分が住むセントラル・パーク・ウェストの高層アパートメントの十五階の窓からニューヨークを撮り続けた。ひとつに限定された景色なんて、四季の変化がすこしあるだけなのではないのかと思ってしまいがちだが、そんなことは絶対にない。実にドラマチックな変化に満ちている。しかも使ったレンズはベーシックな3本、フィルターもカラー調整も一切行っていないという。

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『一九三〇年代のニューヨーク』は、写真家ベレナイス(ベレニス)・アボット(1898-1991)による『変わりゆくニューヨーク』(1939)という写真集の完全復刻版だ。8×10インチのフィルムカメラで撮影した一九三〇年代のマンハッタンの写真が納められている。自分の写真を「アーティスティック」と評されるのを嫌ったという彼女の写真は、非常にすぐれた記録性を持っている。その記録性ゆえに情報量がたいへんに多い彼女の写真は、古くなったりその役目を終えたりすることが絶対にない。写真は記録だということを教えてくれる傑作写真集だ。

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イギリスのフォト・ジャーナリスト、ジョン・ウォーレンは、感受性の形成期である少年時代、第二次大戦後から一九五〇年代の前半にかけての時期をロンドンで過ごした。唯一の娯楽が映画館で映画を観ることだった彼にとって、アメリカとはハリウッド映画であり、その映画の中に出てくる現代のアメリカの都会はすべてニューヨークであるというイメージが根付いた。『グランド・セントラル駅へ着くまえにすでに、私はすわって泣いた』というタイトルの彼の写真集は、映画『ディア・ハンター』(1978)が封切られた頃のニュヨークを、あるがままに、見たままにレポートするように撮ったモノクローム写真五十四点をおさめたものだ。

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2022年9月6日 00:00 | 電子化計画

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