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エッセイ『僕が書いたあの島―片岡義男エッセイ・コレクション』より6作品を公開

エッセイ『僕が書いたあの島──片岡義男エッセイ・コレクション』(太田出版1995年)より6作品を本日公開いたしました。

ハワイやウエスト・コーストへ波乗りしにいったら、ぜひ、映画も観るといい。シーズン中は映画館がサーフィン映画の専門館のようになる。東京でサーフィン映画『エンドレス・サマー』を観たのは、何年前の夏だったろう。当時はまだサーフィンのサの字も聞こえてこなかった頃だったから、公開されて一週間で引っ込んでしまった。この映画を作ったブルース・ブラウンという男はいかなる人物だったのだろう。

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映画『エンドレス・サマー』の監督ブルース・ブラウンは除隊後、ハワイでサーフ・バム(サーフィン狂)としての日々を楽しみつつ、サーフィンを8ミリフィルムにおさめる研究を積み重ねていた。しかし両親に大学へ行けと言われ、本土に戻るものの第一学期目にドロップ・アウト。ハワイで撮影したフィルムを編集し時々サーフ・ショップでお金をとって見せていた。これがその後の16ミリでの『エンドレス・サマー』制作に繋がっていく。

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『エンドレス・サマー』が商業映画として通用することを証明するため、ブルース・ブラウンたちは海のないカンザス州の映画館を借り切り、公開をした。一方、サーフィンの世界ではもうひとり『ファイヴ・サマー・ストーリーズ』などで有名なバッド・ブラウンがいる。彼が最初に商業作品として映画を公開したのは1953年。1950年代はサーフィンにとっての第一期黄金時代だった。ジョージ・ダウニング、ドナルド・タカヤマ、バリー・カナイアウプーニ、……。バッド・ブラウンは、こういったサーファーたちの優美なサーフ・ライディングぶりをたっぷりとフィルムに収めて公開していった。

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太平洋に面した、南国と思しき島の夜。砂の上に座っていると、やがて恐ろしいほどの大きな月がのぼってくる。銀色に輝く波が、何度も頭をもたげ空にはみ出す。そこに青いサーフボードが現れ、月のカーブを突き抜けていく。巨大な月のオレンジ色が薄らいでいく。サーフボードに突き破られた部分から急速にオレンジ色は夜の空にもれていき、彼方へ落ちていくサーファーは、次第に小さくなり、暗い夜の中にのみこまれ、見えなくなった。サーフボードも、消えた。それは現実か空想か……。幻想的かつ詩的なエッセイ。

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南カリフォルニアの海に面した小さな町。小柄だが海型の屈強な体格をし、白人の肌の許容限度いっぱいに日焼けした青年と知り合ったのはこの町の桟橋にある簡易食堂だった。彼は波乗りの技術ではなく、その世界というものについて最初に教えてくれた人物だった。何年かあとにその町を再訪したとき、波乗りは本格的な流行になっていた。彼と知り合った食堂も盛業中だった。そして、店の壁に貼ってあった写真付きの新聞記事の切り抜きには、例の友人が写っていた。

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ブルース・ブラウン監督・撮影によるサーフィン映画の傑作『エンドレス・サマー』(1964)。真冬のカンザスでの上映1週間目で好成績をあげ、翌年ニューヨークで上映され大ヒットとなった。この映画が製作されてからすでに二十数年が経過しているが、夏や波はいまでも変わらないし、パーフェクトな波を求めて夏を追いかけるというサーファーの夢も、時の流れになんら影響されていない。この映画が現在も作品としての生命を失っていないことは確かだ。

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2022年6月21日 00:00 | 電子化計画

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