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連作短編7作品を公開!

雑誌『NALU/ナルー』(枻出版社)に2006年7月号から掲載された連作短編より、7作品を本日公開いたしました。

写真家の部屋に設られた大きなコルクボードと、そこに留められた沢山の紙片や写真というのは、片岡義男の小説に繰り返し登場します。この『寝息と潮騒』の主人公もまた写真家であり、コルクボードに写真を留めています。なんとも憧れる情景で、真似したくなりますが、そんな大きなコルクボードを置く壁面の空きはありませんし、埃がすると奥さんに嫌がられそうです。今や、紙片や写真はスキャンすれば自動的に内容が振り分けられてフォルダ分けされる時代なのですが、それでも、コルクボードのように、ぼんやりと全体を眺めるという状態は再現できません。VRがもっと普及すれば、そういう環境も作れそうですが、押しピンで留める感触や、乱雑なようで、自分では整理されている状況というのは、まだコルクボードでなければ味わえないようです。

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大きなコルクボードに、紙類を中心に雑多な小さなものを留めている登場人物も、片岡義男の小説には頻繁に登場します。主に男性のフォトグラファーであることが多い、コルクボードに何でも押しピンで留める登場人物は、情報の整理の仕方のお手本のようです。例えば、スマホで撮った写真にしても、それをプリントアウトして、壁やコルクボードに貼っておくと、その写真のことは忘れないものですし、実際、手に取って見る機会も増えます。アルバムに整理したり、パソコンで管理したりするのは、必要があって探すには便利なのですが、記憶に留め、思い立つと見返すといったことには向きません。目の前にあることは、片付かないけれど、重要だったりするものです。

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依頼されている仕事について考えることがテーマになっているかのような、NALUに掲載された作品たち。今回は「思い出の写真」という依頼について考える男性が主人公です。彼は写真や、その他の紙片をコルクボードに留めていて、それが既に何層にもなっています。そのボードから写真を探して、それに合わせて文章は創作してしまおうと考えています。彼が見つけたのは、同じ構図で撮られた彼とストリッパーの女性の写真。二枚のほぼ同じように見える写真の一枚目には、テーブルにコーヒーのカップが置かれています。それは『ことの前のコーヒー』なのです。

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過去の仕事のファイルを探すというのは、写真家でなくとも中々大変です。私個人の感覚では、NALU掲載作品で書かれてきた依頼の中で、最も厄介な作業だと思います。仕事の依頼なら、それが思い出であっても創作することができます。むしろ、それが普段の仕事ですから、記憶を辿るより楽なくらいです。しかし、過去に仕事以外で書いた文章や写真を探すとなると、そうはいきません。この『トスカーナの赤だった』という小説の中では、主人公の写真家は、気に入った写真を貼っておくコルクボードに、目的の写真を貼ったはずだということに思い当たり、事なきを得ます。それだけ印象的な相手で、印象的な撮影で、印象的な写真を探してくれと頼まれた幸運が、この物語の核なのかも知れません。

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二つの壁に立っている六つのスチール本棚を、間もなく四十六歳になる彼は、整理しなければと思っていました。本棚の中にある沢山の文庫本を見て、彼は「自分は何をどのように読んだのか」と考えます。「整理とは反省だ」と思いながら、文庫本を抜き出し、整理を始めることにします。抜き出しては手で持った二十冊ほどの本の中に、彼は買った覚えも読んだ覚えもないハイネの詩集を見つけます。何故、この本はここにあるのかと手に取ってみると、中には一枚の写真が挟まれていました。その写真が喚起する記憶は、彼が二十六歳の頃のものでした。

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大学時代から40年近く、私は午前中は基本的に寝ていて、昼過ぎから動き出す生活を続けているので、よほどの用事がない限り、朝日を見ることがありません。私にとって太陽は、ほぼ夕陽でした。『夕陽で育った人』というのは、そういう作家とかの話かと思ったら、全然そういうことはなく、この物語の主人公である彼女は、間違いなく夕陽で育った人なのだけれど、朝日を見たことがない人ではありませんでした。こういう形で「夕陽で育った」写真家を描き、その写真家が撮った夕陽を描き、夕陽の写真展を開く予定であることまで書かれてしまうと、読者の頭の中には、彼女の夕陽のイメージが焼きついてしまいます。小説の力を見せつけられるような掌編ですね。

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多分、チャンスやきっかけというものは、ほんの偶然で不意に訪れるもので、それを受ける気になるかどうかで、その後が大きく変わっていくものなのでしょう。この『海が受けとめてくれる』という短い小説は、その瞬間と、それを受けることができる彼女という存在を描いたものなのでしょう。チャンスはこんな風に、ちょっと尻込みするような、自分に出来るかどうか分からない形でやってくるものだというのは、多分、正しくて、無理すれば出来そうという顔をしてやってくるのは罠だったりするのがフリーランスの世界。それを誰よりも分かっている片岡義男が書くからこその、作家のリアルがここにあります。大丈夫、海が受けとめてくれる、と思える強さが重要なのです。

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2022年3月4日 00:00 | 電子化計画

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