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タイム・トラヴェルでどこへいこうか

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 タイム・トラヴェル、と片仮名書きされる日本語がある。もとは英語だが、日本語になりきって久しい、と言っていい。なんのことだか意味のわからない人が、けっしていないわけではないが、じつに多くの人におよその意味は通じる。日本語への翻訳はあるのだろうか。仮に直訳すると時間旅行だが、こうなるとまったくと言っていいほどに見かけない言葉だ。僕が子供だった頃、子供向けの雑誌にしばしば掲載されていた空想科学冒険小説のなかに、タイム・トラヴェルの直訳として、時間旅行という言葉が使われていたような気もする。

 タイム・マシーンという言葉も、片仮名書きのままで、まったくの日本語だ。タイム・トラヴェルにくらべると、タイム・マシーンのほうが知っている人ははるかに多く、したがって意味も伝わりやすいはずだ。タイム・トラヴェルという概念は、タイム・マシーンという空想上の装置と一対になって、おたがいに補完し合っている、というような言いかたもできるだろう。

 さて、そのタイム・マシーンによるタイム・トラヴェルだが、もしそれができたなら、それは内容的にもかたちとしても、旅というものの究極のものとなるだろう。恐竜がのし歩いていた時代の地球へいくこともできるし、人類の文明がずいぶん前に終わった地球へいくことも可能だ。どこへいけばいいか。もし実現が可能なら、タイム・マシーンによるタイム・トラヴェルで、僕はどこへいきたいか。

 過去へ戻るにせよ未来へいくにせよ、そこへいく当人は現在の当人のままでないと、いくことにさほど意味はないように思える。いまの僕がタイム・マシーンによって時間の旅人になるとして、五十年くらいはさかのぼったりあるいは先へいったりしないとつまらないのではないか。現在の僕が五十年前の過去に戻るとして、戻った僕もまた五十年前に戻って子供だったら、戻ることに積極的な意味はほとんど見つけ出せない。いまの僕はそのままに、時代とそこにおける人々の生活だけが五十年前に戻るからこそ、その旅はさまざまに興味深い。

 小説は、じつに多くの場合、なんらかのかたちでタイム・マシーンとしての機能を担っている。時代小説はすべてタイム・マシーンだろう。現在の昨日や今日を時間的な背景にした小説でも、小説のなかで登場人物たちは昨日のなかを生きているのだから、タイム・マシーンの行く先表示板に掲示されているのは、昨日という過去だ。一冊の小説のなかで三十年、四十年といった長さの時間が自在に操られている例は、あえて定型的な言いかたをするなら、枚挙にいとまがないはずだ。つい先週に僕が書いた小説は四百字詰めの原稿用紙で三十枚という短いものだったが、その物語の背景には十年という長さの時間が使ってあった。

 現在の自分がかつての自分に会いにいく小説を書けば、それは少なくとも書いていく当人にとっては、想像力のなかできわめて切実に展開される、タイム・トラヴェルではないか。六十歳で定年になったひとりの男性が、さらに三年間、嘱託としておなじ職場に残って働き、その三年を終えて完全に自由になってから、二十三歳の青年だった頃の自分に会いにいくという小説はタイム・トラヴェルであり、それは小説であればこそ、自由自在に可能になる。

 ただし、四十年の時間をさかのぼって、六十三歳の自分が二十三歳の自分に会いにいくにあたっては、よほど切実な、のっぴきならない理由が、そこには必要だ。それをどのように作り出して設定するか、それこそが小説ではないかと言われればそのとおりだが、しかしここはたいそう難しい。それともうひとつ、二十三歳の自分に会う六十三歳の自分は、何者として、つまりどのような存在として、青年の自分に会うのか。きみの四十年後がこの私ですよ、などと言ってみても、魅力的な物語は始まらないのではないか。

 曖昧で断片的な、しかもすでに充分に薄れかかっている記憶をたどるだけでは、重要な核心にたどりつくことは不可能なので、タイム・トラヴェルによって過去へ戻り、消えかかった曖昧な記憶ではなく、いままさに目の前で起こりつつある現実として、過去を体験しなおすために過去へ戻る、というような設定を作らなくてはいけない。

 過去に身近で起きた事件の謎を解決するためには、自分がそのときの過去へ戻ることが絶対に必要だ、戻ればおそらく解決の手がかりを見つけることができる、というミステリー物語を構成し、資料を駆使した時代考証で過去を言葉で再現させ、そのなかへ現在から主人公を送り込む。小説だからタイム・マシーンなど必要ではない。章を変えればそこは過去なのだから。

底本:『ピーナツ・バターで始める朝』東京書籍 2009年

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2009年 『ピーナツ・バターで始める朝』 創作 小説 時間 書く 過去
2016年9月5日 05:30
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