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後悔くらいしてみたい

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 後悔にはふたとおりがある。ひとつは、過去において自分がしたことをいまになって悔いる、という種類の後悔だ。そんなことをするとあとで後悔するよとか、あんなことをしてしまって後悔してるんだ、といった後悔がこれにあたる。もうひとつは、あのときあれをやっておけばよかったのになあ、と過去において自分がやらなかったことをいま残念がる、という種類の後悔だ。後悔先に立たずという格言は、さすがに格言だけあり、このふたとおりの後悔のどちらにも適用できる。

 後悔という言葉の意味を国語辞典で確かめてみると、あとになって悔いることと出ている。悔いる、という言葉の意味をおなじ国語辞典で調べてみると、自分の過ちや悪事をさとって悩む、ということだとわかる。後悔の種として最大のものは、自分の過ちや悪事であるようだ。

 過ちや悪事を僕はおこなっていないはずだから、すくなくともその限りにおいては、僕には後悔すべきものはなにひとつない。後悔という言葉の意味の範囲をもっと広くとり、失敗したこと、しまった自分はしくじった、と思うことなどに広げてみても、そのようなことは過去の自分の言動のなかに数えきれないほどあるにしても、後悔という言葉が当てはまるほどのものは、ひとつもない。それに、無数にあるはずのそのようなことは、すでにとっくに消えていて誰も覚えてはいないし、僕自身きれいさっぱりと忘れている。したがってここでも、後悔という言葉は成立しない。

 過ちや悪事は、そんなことを企む余裕も実行する時間もなかったから、やらないままに無縁で過ごした。失敗やしくじりなどは無数にあっても、そのときはとにかくそれをやるしかなく、したがってやらざるを得ず、そのときの僕になし得る範囲で夢中でやったことのなかに、すべては含まれる。後悔が成立する余地などありようもないし、時間がたてばたつほど、かたっぱしから忘れてしまう。

 捨てたこと、諦めたこと、途中でやめたこと、あるいは断たれたことなどは、もしあれば、どれもみな途中までは試みているわけだから、過去の自分のアクションをいま悔いる、という種類の後悔のなかに入る。そしてこれも、僕には思い当たるものがほとんどない。目の前に立ちあらわれることを、次々にこなしていくだけで精いっぱいであり、なにごとかを諦めたり途中で断念したりして、そこに適当な言い訳を見つくろって当てはめる、といったことのための時間的な余裕はなかった。これまでやってきたことの領域がきわめて狭いがゆえに、そこには後悔の種が芽生える余地すらない、という言いかたをしてもいいかと思う。

 僕には後悔することがなにもないのだろうか。後悔するとはどういうことなのか、常に忙しすぎてそれすら知らずにきたのが、僕という人なのか。後悔くらい、してみたいではないか。いったいなにを後悔すれば、僕は僕なのか、つまり自分なのか。後悔の対象などなにひとつないほどに、すべてのことを思いどおりに立派に実現させてきたということはまったなくて、明らかにその反対なのだから、後悔の種がじつはありすぎて、ピンポイントに焦点が合わないだけなのか。

 やらなかったことをめぐる後悔について考えてみても、これもひとまずは皆無なのだ。やってきたことすべてを合計しても、それはほんのちょっとしたごく小さなことでしかないから、やらずにきたこともおなじくほんの少しだ、と考えるのが健全だろう。これまでの僕がやらずにきた、ほんの少しのこととは、いったいなにか。

 やってきたことを陽画にたとえると、やらずにきたことは陰画であり、それを見ることによってこそ、自分とはなになのか本質的な理解が可能になるのではないか、といま僕は考えてみる。やるためにはまず自分でそのことについて考え、それにもとづいて準備を整えた上で行動に移す。だから、やらなかったとは、考えなかったということだ。

 考えもしなければ、思いつきもせず、したがって行動にはいっさい移さなかったこと。考えてもいないしやってもいないのだから、挫折とすら言えないもの。あるいは、具体的には影もかたちもない挫折。ごくわずかで小さなものとはいえ、自分がやらずにきたことのぜんたいが、あるときぱっと鮮明に見えたなら、これまでまったく気づくことがなく、意識することもなかった未知の自分が、そこにいるのではないか。もしそんな自分を見ることができたら、その自分こそ、内容豊富に充実しきった、後悔のしがいのある後悔の種ではないか。僕は、なにをやらずにきたのだろう。それがはっきりしないことには、自分がなにをやってきたのかも、じつはわからないままだ。

底本:『ピーナツ・バターで始める朝』東京書籍 2009年

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2009年 『ピーナツ・バターで始める朝』 時間 自分 記憶 過去
2016年9月13日 05:30
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