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自分の意味が消えるとき

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 空を眺めることをなぜ僕が好いているか、その理由をひと言で表現するなら、空を見るとそのたびに、自分というものの意味があっけなく消えてしまうからだ。

 空は圧倒的だ。すさまじい。とてもかなわない。しかも、人間の力も存在など、これっぽっちも前提としていないから、空はなおさら素晴らしい。これほどに素敵なものはない。

 そのような空を、ある日の僕が眺めるということは、空に自分を対比してみることだ。対比したとたん、自分という意味を持った存在など、音もなく消えてしまう。これは、爽快だ。気分がいい。この気分は、何度くりかえして体験しても、そのつど見事に新鮮だ。

 自分の意味が消えるとは、自己懐疑の念にとって基本的な大前提だ。空など見ようともしない人たちは、技術と貨幣が作り出す虚無にむかって、今日もまたひたすらに突っ走っているにすぎない。自己を懐疑しないからこそ、そのような不気味な運命を自分の身の上に引き受けることが出来る。

 自己懐疑という平衡作業の上に人は危なっかしくかろうじて立つ。その手助けをしてくれるのは、僕の場合、まず第一に空だ。だから僕は空を見る。

 自分の意味を消してくれるのは、空だけではない。なにかの用があって出むいた町の、一夜を過ごすホテルの部屋は、自分の意味を多少の努力によってしばし消してみるのに、たいへんに都合のいい時空間だ。

 僕という客の宿泊のため、きれいに調えられてじっと静かに僕のチェック・インを待っているホテルの部屋は、僕がそのなかに入って僕なりの意味を持った時間を過ごしはじめてようやく、意味をともないはじめる。

 僕がその部屋のなかでどのように過ごそうとも、それは僕の自由だ。その部屋の時空間の内部に、僕がどんな意味を紡ぎ出しても、よほど特殊な場合を別として、誰にも文句は言われない。その部屋で過ごす一夜に、僕はどのような意味をあたえてもいい。

 だから、その部屋にほとんどなんの意味もあたえずに一夜を過ごすと、たいへんに快適だ。自分に固有の意味を部屋のなかにまき散らすことを、極力抑える。静かに、ひっそりと、必要最小限のことだけをおこない、あとはベッドに入って本を読む。

 出来るだけ早くに、その本のなかの世界へ入りこむ。そうすることによって自分を消すと、そのとき読む本はより多く楽しめる。最近の僕の体験例のなかで最適だった本は、ポール・オースターの『ムーン・パラス』だ。ただし、日本語訳で読もうなどと思ってはいけない。彼の作品の特徴は、終わり近くになって来るとすべてが少しずつ消えていき、やがてなくなってしまうことだ。

(2016年8月5日掲載、『昼月の幸福ーエッセイ41篇に写真を添えて』1995年所収)

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1995年 『ムーン・パラス』 『昼月の幸福ーエッセイ41篇に写真を添えて』 ホテル ポール・オースター 自分
2016年8月5日 05:30
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