アイキャッチ画像

噴水

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 真夏の、美しい快晴の日だった。まっ青な空から、午後の強い陽ざしが、広場に降り注いでいた。ぼくは、広場の中央にある大きな噴水にむかって、歩いていた。噴水は青い空にむけて複雑なかたちに、そして盛大に、水を噴きあげていた。水は空中で陽ざしに鋭くきらめき、噴水のなかで水遊びをしている子供たちのうえに、落下していた。

 噴水にむけて歩いていくぼくの数歩まえを、ひとりの若い女性が歩いていた。彼女も、噴水にむかって歩いていた。美しい体をした若い彼女は、スカート丈のみじかい、袖なしの夏のドレスを着ていた。ヒールの高いサンダルをはいた両足を元気に蹴り出し、まっすぐに歩いた。

 噴水まで歩いた彼女は、噴水の縁に片手をつき、地面を蹴ってひらりと横ざまに飛びあがって縁をこえ、噴水のなかにざんぶとばかり飛びこんだ。水の深さは、水遊びをしている子供たちの腹から胸のあたりまであった。水のなかにしゃがんで首までつかった彼女は、立ちあがり、噴水のむこうまで歩き、縁をまたいで噴水の外に出た。そして、噴水にむけて歩いていたときとまったくおなじ姿勢と足どりで、夏の陽ざしのなかをなにごともなかったかのように、歩いていった。

 濡れた服は彼女の体にはりつき、水滴が全身からしたたり落ちた。彼女は、いっこうに意に介する様子もなく、広場の南側の道路へ歩いていった。彼女とすれちがう人たちは、すこしだけ怪訝そうな表情をしたり、にこっと笑ったりするだけであり、濡れた服の彼女に驚くようなことはなかった。

 歩道を歩いて赤信号の交差点まで来て、彼女は横断歩道の手前に立ちどまった。彼女のそばに立った品のいい初老の男性が、「シャワーを浴びたのですか」と微笑して彼女に語りかけ、彼女は「そうよ。この夏のドレスは、ずぶ濡れにして着るともっともひきたつのよ」と、涼しいユーモアでこたえた。数年前の、夏のサンフランシスコでの出来事だ。

(『すでに遙か彼方』1985年所収)

関連エッセイ

8月7日|避暑地


8月3日|小さな島にいると自分がよくわかる、という話


8月1日|今日は海岸で雲を見る


7月29日 |五つの夏の物語|1


7月27日|『オール・マイ・ラヴィング』のシングル盤


7月25日 |幸せは一枚の白いTシャツ


5月25日 |故郷へ帰りたい



1985年 『すでに遙か彼方』 噴水 彼女
2016年8月8日 05:30
サポータ募集中