片岡義男のコーヒー エッセイ
片岡義男の小説を読んでいると、喫茶店やコーヒーが頻繁に登場することに気づきます。主人公の男女が喫茶店で待ち合わせ、コーヒーを飲みながら軽快な会話を交わす場面。作家や写真家が編集者と打ち合わせをする際に、欠かせないアイテムとしてコーヒーを注文する場面。また、アメリカ中西部の寂れたダイナーで、登場人物の心情を代弁するかのようなコーヒーやコーヒーカップが登場する場面など、枚挙にいとまがありません。
小説だけでなく、片岡はエッセイでもコーヒーを題材にした作品を数多く書いています。しかし、そこにはコーヒーの淹れ方や豆の種類といったハウツーはほとんど登場しません。音楽、映画、漫画、詩、あるいは喫茶店の椅子、料理、場所など、多岐にわたるテーマを引き出すための「呼び水」としてコーヒーが使われています。
作家デビュー前の若き日の片岡は、東京・神保町の喫茶店をはしごしつつ、依頼された原稿の執筆をこなしていたと言います。喫茶店や一杯のコーヒーは彼にとって現在も創作の出発点であり続けているのでしょう。
今回は、そんな片岡義男のコーヒーにまつわるエッセイの中からいくつかをご紹介します。あなたもコーヒ片手にぜひどうぞ。
1)「コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。」
学生時代に海外文学作品の翻訳者やライターとして文筆業をスタートした片岡義男。その傍には常にコーヒーと音楽がありました。大学在学中の1960年から作家としてデビューする1973年までの彼自身の物語を、当時のヒット曲と映画を背景にして綴ったショートストーリー集です。
(光文社 2016年)
2)「珈琲が呼ぶ」
発売と同時に世間に珈琲ブームを巻き起こした、とまで言われたエッセイ集。コーヒーがテーマながら、実はコーヒー豆や焙煎、淹れ方といった話は出てきません。音楽、小説、映画、漫画……「どれもみな、珈琲が呼んだものだ。珈琲に呼ばれることによってつながっているものは、他にもたくさんある」と、片岡義男はあとがきに書いています。
(光文社 2018年1月)
3)「一杯だけのコーヒーから」
小説を書いている時間は、作家本人にとっては日常の中に生まれる非日常の時間です。そこへ意識をスムーズに移行するための条件付けとしてコーヒーは機能している、と片岡義男は言います。とはいえ、コーヒーを飲んだ途端にアイデアが閃くわけではありません。コーヒーと小説の関係とは……。
(『洋食屋から歩いて5分』東京書籍 2012年所収)
4)「残暑好日、喫茶店のはしご」
フリーランスのライターとして仕事をしていた20代の頃、片岡義男は東京・神保町を根城のようにして、喫茶店を渡り歩きながら編集者と打ち合わせをし原稿を書いていました。それから約30年後、かつて常連だった喫茶店がまだ営業していると聞いた片岡は、ある残暑の日にその店へ行ってみます。そこで起こった奇跡のような出来事とは……。
(『洋食屋から歩いて5分』東京書籍 2012年)
5)「いつもなにか書いていた人」
ある日、交差点を渡っていた片岡は、ひとりの女性に呼び止められます。自分と同じような年齢の美人の女性ですが、誰なのかまったく見当がつきません。しかし彼女のある一言で瞬時に記憶が蘇ります。これもまたコーヒーが呼んだ一種の奇跡の物語、と言えるかもしれません。
(『洋食屋から歩いて5分』東京書籍 2012年所収)
6)「あすへの話題 喫茶店で待ち合わせ」
片岡義男の作品には、主人公の男女が喫茶店で待ち合わせをするシーンがいくつかありますが、これらの場面には共通した意味があるようです。また、その場面を起点とするアイデアはどのようなときに手に入るのでしょうか。ここにもコーヒーとの深い関係がありました。
(『日本経済新聞』2013年3月16日(夕刊)掲載)
7)「『珈琲』のひと言ですべてが通じた時代」
かつては喫茶店で「コーヒー」と伝えれば間違いなくブレンド・コーヒーのホットが運ばれてきた時代がありました。今ではコーヒーの種類だけでなく豆の種類まで選ぶことのできる店もありますが、現在の日本で使われている「コーヒーの種類や状態を表す言葉」について分析してみると、いろいろと不思議なことが見えてくるようです。
(『言葉の人生』左右社 2001年所収)
8)「ソリュブルと名を変えていた」
コーヒー通と言われながらも、これまで自分ではインスタント・コーヒーを買ったことがなかったという片岡義男。思い立ってスーパーへ行き、インスタント・コーヒーの棚に並ぶ数多くのコーヒーを前にしてどのように購入すべきか考えていると、ふとあることに気がつきます。
(西野金陵株式会社『酒林』2017年1月号掲載)
9)「秋の雨に百円の珈琲を」
10月の雨のある日、友人たちとのイタリー料理店での夕食の席で、コンヴィニエンス・ストアで買える1杯100円のコーヒーについて話題となります。しかし意外にも片岡義男はその珈琲を飲んだことがないと言います。何事も経験、さっそく友人たちと共に実際にコンビニへ行き、100円コーヒーを試してみたところ……。
(『抒情文芸』抒情文芸刊行会 2019年冬号)
10)「僕の父親はDadだった」
そもそも片岡義男はコーヒーといつ、どのようにして出会ったのか……。その原点には、戦後米軍基地で働いていた日系二世の父親の影響が少なからずあるようです。このエッセイではコーヒーだけでなく、父親が彼に「さまざまな物を通して教えてくれたこと」について書いていますが、そこには一貫してある哲学がありました。
(『Free&Easy』2016年2月号掲載)
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