【特集】メイキング「片岡義男は文庫がよく似合う」
2025年9月10日、片岡義男の「珈琲三部作」が光文社文庫として発売されました。
この三部作は、以下の作品で構成されています。
- 『珈琲にドーナツ盤』 20代の片岡義男自身の物語を描いた、著者初の自伝的小説(旧題:『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』を改題)
- 『珈琲が呼ぶ』ー珈琲をテーマにした書き下ろしエッセイ集
- 『僕は珈琲』ー『珈琲が呼ぶ』の続編である書き下ろしエッセイ集
今回の文庫化では、カバーデザインを一新し、さらに全3冊に二次元コードを併載。作中に登場する音楽をスマートフォンなどで手軽に聴ける工夫が施されています。また、一部のリアル書店では数量限定でBOXセットも販売されるなど、ファンの心をくすぐる仕掛けが満載です。
この「珈琲三部作」を手掛けたのは、片岡作品の編集者として知られる光文社の篠原恒木さんです。篠原さんにとって、この作品は在職中最後の仕事となり、その特別な思いが込められています。この特集ではその篠原さんに「珈琲三部作」の誕生までの秘話を寄稿していただきました。

光文社の編集者。片岡義男の編集担当として4作品を世に送り出している。コーヒーが主役の書き下ろしエッセイ集『珈琲が呼ぶ』、書き下ろし小説『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』、ザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、エルヴィス・プレスリーに関するエッセイ集『彼らを書く』。そして『珈琲が呼ぶ』の続編『僕は珈琲』である。
第1回 文庫化したいけど……
2016年から現在まで、片岡義男さんには4冊の単行本を書いていただきました。すべて書き下ろしです。
1冊目は2016年の『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』でした。
これは初の自伝小説集です。ユニークなのは、四十四の掌編すべてに、当時流れていた音楽を織り込んであることです。そして、その音楽が収録されているレコード・ジャケットの写真を百二十一枚、オールカラーで掲載したのも贅沢なつくりでした。読んでいただいたかたから「これは片岡義男のベスト3に入るのではないか」という嬉しいご意見も頂戴しました。
2冊目は『珈琲が呼ぶ』(2018年)。コーヒーに特化したエッセイが四十五篇、ぎっしり詰まっていますが、コーヒーの美味しい淹れ方、豆の蘊蓄などは徹底的に避け、コーヒーと音楽、コーヒーと映画など、縦横無尽に広がるカタオカ・ワールドを堪能できる一冊となりました。この本にも写真や図版をふんだんに入れました。新聞の書評にも大きく取り上げられ、ベストセラーとなりました。
3冊目は2020年の『彼らを書く』。「彼ら」とは、ザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、そしてエルヴィス・プレスリー。単なる音楽評論ではなく、彼らが登場するDVDを観て、片岡義男的「感想文」を綴った一冊です。DVDのチョイスも曲者で、たとえばザ・ビートルズだと『ア・ハード・デイズ・ナイト』も『ヘルプ!』も『イエロー・サブマリン』も選ばれていません。もちろんカラー写真をこれでもかとばかりに掲載しました。帯の推薦文は、敬愛する細野晴臣さんに書いていただきました。嬉しかったなぁ。
そして4冊目は『僕は珈琲』(2023年)。待望されていた『珈琲が呼ぶ』の続篇です。なんと五十三篇のコーヒー・エッセイ。この本でも、文章に呼応する写真をたくさん探して、たくさん掲載しました。「続篇は売れない」のセオリーをひっくり返して、増刷が続きました。
さて、計4冊のあらましを紹介させていただきましたが、なぜこれらが文庫化されなかったのでしょうか。その理由はふたつあります。
ひとつはこれらの書き下ろし単行本が、文芸編集部から出版されていないこと。文芸編集部なら「小説誌に連載」→「連載原稿がたまったら単行本化」→「やがて単行本を文庫化」という、一連の流れがスムースに行なわれるわけですが、この4冊、僕が一人で勝手に作ってしまったのです。
もちろん会社には企画を通して単行本にしたわけですが、僕は文芸編集部に所属しておらず、普通なら書籍を世に出せるポストに就いていなかったのに、なかば強引に編集して発売まで漕ぎ着けたというわけです。そういう出自の単行本は、なかなか文庫化まで辿り着けないものなのです。
ふたつめの理由は、4冊の単行本に掲載した膨大な写真のせい。写真を掲載するということは、著作権などをクリアしなければならず、つまりはお金が莫大にかかるということです。単行本を作ったときは「エイヤッ」とばかりに、予算を無視して写真を借りまくったわけですが、「文庫化する」ということは「お金をかけずに行なう」ということにほかならない、というのが出版社の常識のようです。「ようです」と書いたのは、僕はその常識を知らなかったというわけです。お恥ずかしい。
さらに、というか、これは個人的な事情なのですが、僕はこの八月でカイシャを去らなければならない年齢になったこと。出版社において雇用延長者が「単行本や文庫を編集する」なんてケースは、まずありません。大抵はルーティーン作業に従事して「いついなくなっても困らない存在」となっていくものです。こればかりはしょうがない。
ところが去年の冬に、取締役のヒトが、
「シノハラには単純作業をやらせておくより、何か本を作らせたほうがカイシャとして得なのではないか」
と、考えてくれて、
「あと1年弱、つまりは退社するまでに、何か面白い本を1冊作ることはできないか」
という相談を持ちかけられたのでした。渡りに船です。
「新しい本を作るより、片岡義男さんの単行本を文庫化したい。片岡義男は文庫が似合う。珈琲三部作と称して、3冊作りたい」
僕は咄嗟にそう答えました。4冊の単行本のうち、『彼らを書く』以外の3冊は、珈琲というテーマで「三部作」として世に出せると、きわめて衝動的に思いついたのです。
取締役は、根回しの苦手な僕に代わって、どういう手を使ったのかはわかりませんが、「珈琲三部作文庫化」の実現の下地をあっという間に作ってくれました。感謝しかありません。
こうして僕は「ひとりで文庫を3冊作る」ことになりました。僥倖です。ひとりで作るのは大好き。誰にも邪魔されず、最初から最後まで一気通貫、ひとりで作るのが性に合っているのです。ああでもないこうでもない、といろんな意見に振り回されると、ロクなものができないというのが僕の持論。アイデアはたったひとりのアタマの中で生まれて、そのアイデアはその人ひとりでかたちにするのがいちばんですよね。
第2回 三文庫のカヴァー・デザイン統一計画
さあ、定年までの最後の仕事、「片岡義男三文庫」刊行に向けて、僕は動き出しました。
まずはカヴァー・デザインです。3冊とも「本文」はすでに書き終えているわけですから、文庫化には「外見の良さ」も決め手になる、と考えたのです。
『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』は、片岡さんの了承を得て、『珈琲にドーナツ盤』と改題することにしました。この書名が短くなったことで、カヴァー・デザインがやりやすくなりました。
僕はこの三文庫のカヴァー・イメージを統一させたい、と最初から考えていました。
単行本『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』『珈琲が呼ぶ』『僕は珈琲』、それぞれのカヴァーにも愛着はありますが、三部作と銘打つからには文庫のカヴァーは、あるコンセプトで強力に統一されたデザインに変えたい。そう強く思ったのです。
一流の装丁家にお願いする、という選択肢は初めからありませんでした。自分で好きなデザインを作っちゃえ、と思ったのです。無謀かもしれません。素人だし、美大でデザインを勉強していたわけでもありません。でも最後ですし、自分でやりたかったのです。
僕はずっと雑誌を作ってきました。若い女性に向けたファッション月刊誌です。その雑誌を編集していたときは、「読者にどうやったら喜ばれるか」ばかりを考えていました。でも最後の最後の仕事くらいは、衝動的に好き勝手に、人のことをあんまり考えずに作りたい。どんなデザインにすれば自分が満足するか、自分が楽しくなるか。それに重きを置きました。ビジネスという観点でいえば論外なのでしょうが、もういいんです。
大判のスケッチブックに、文庫サイズと同寸の枠を3つ並べて、ラフを作っていきました。僕の作業は徹底的にアナログです。理由は簡単、アドビのillustratorが使えないからです。Wordで書名や著者名(片岡義男)を打ってプリントアウトして、それを切り貼りしていくのです。写真も拡大、縮小コピーをとって、ハサミで丁寧に切り抜き、それを糊で貼っていきます。いまどきこんな方法でデザインをする編集者はいないでしょう。でも僕はハサミと糊と鉛筆を使った「手描き」こそがアイデアの源だと信じているので、もう誰も僕を止められない。いや、止める奴もいないのですが。
ラフはすべてスケッチブックに文庫と同寸の罫を引き、手貼りでコツコツと。
まずは珈琲で満たされたマグを俯瞰で撮影した切り抜き写真を配置したあと、丸・三角・四角をあしらい、2色印刷を想定して作りました。
でも、いちばん右の『珈琲にドーナツ盤』のドーナツ盤が他と比べてあまりにも具象的ですよね。よって、これはボツ。
お次の案はよりグラフィックに。マグをシルエットにして、写真は使わず、数字を書名、著者名より大きくしました。これも糊とハサミを使った手作り。
悪くはないと思うのですが、1・2・3をあまりにも大きくすると、その順番通りに読まなければならないと誤解されそうなので、これは泣く泣くボツに。
「じゃあ、数字を取ってしまえばいいのか」と思い、作り直したのがこれ。
ギトギトしたカヴァーが氾濫している文庫売り場で、これは目立つのではないかと思ったのですが、佇まいはあるけどパンチがないよなあ……。したがってボツ。
気分転換に、帯を含めたデザインも作りました。
いちばん右の『僕は珈琲』の帯で「3」の左端にコピーの文字が食い込んでいるところが非常に気に入ったのですが、つまりはこれも「数字の順番通りに読んでください」という
メッセージに解釈されてしまうなあと思って、ボツ。
目先を変えて「やはり人間の写真をあしらったほうが強いのでは」と考え、作ったのがこれ。本文に登場するザ・ビートルズ、ボブ・ディラン、ピーター・フォークがそれぞれ珈琲を持っている写真を探し、丸・三角・四角の中に収めました。悪くないのですが、珈琲が目立たないですよね。人物写真によってテーマが限定されてしまうと思い、ボツ。
マグのシルエットの連続性で、何か面白いものが出来上がるのではないか。そう思って、延々とマグをハサミで切り抜き、スケッチブックに貼っていきました。途中でトランス状態になってしまい、書名は朱色にしようと決めていたのにスミ文字で貼ってしまうというミスが発生。「だめだこりゃ」と、呟いてボツ。
白地に限界を感じ、赤の折り紙を3冊の枠に沿って糊で貼りました。
さあ、ここに何を載せるか。珈琲が満たされたマグを真上から見た図を徹底的にミニマムにして、いっぱい並べてみたらどうだろう。そう考えて作業を始めたのですが、いやはや、これが手間取りました。Illustratorが使えたら、こんなのはあっという間に出来るはず。
結果は「マグに見えない」「マグだけだと寂しいから結局数字を大きく入れてしまう」という見るも無残なデザインに。いま思えば、右の列のマグに、ひとつだけでいいからマグの取っ手を足せば、全体のイメージも違っていたのかもしれません。
「ちくしょう、上手くいかねえな」と焦り出してきて、書き文字に頼った案がこれです。
「に」「が」「は」の助詞を赤にして、気分は佐野繁次郎か、はたまた河野鷹志か、という感じで書いていきました。どうやら僕は昔のデザインが好きなようですね。これも嫌いではないのですが、いま流行りの「文字だけのカヴァー」だよなあ、ということで、書き上がった時点でボツ。いよいよ我が空気アタマは煮詰まってきました。
最悪に迷走したのが、これです。お見せするのも恥ずかしい。でも、この二次元コード、本文部分の巻末を見ていただければ「ああ、なるほどね」とお感じになられるかたもいらっしゃるでしょう。でも、あまりにも3冊のテーマを反映していないダメダメデザインです。もちろんボツ。
ご覧いただいたのは、「我が迷走の轍」です。自分で見返してみても、途中からもう何が何だかわからなくなっています。バカアタマの少ない知恵を絞った挙句の錯乱状態というやつですね。でも、自分のなか中で決まっていたのは「2色印刷にする」ということでした。
いま書店の文庫コーナーを眺めると、僕は茫然としてしまいます。
過剰なまでの重厚なイラストがあらゆる色を使ってギトギトしているもの。ライトでポップなイラストで媚びを売っているもの。流行りの「文字だけ」で一丁上がりの自己啓発文庫……。
どれも僕の好みではありません。見ているだけで気持ちが悪くなってきちゃう。僕が作る文庫カヴァーの色使いはミニマムにしたい。2色、それもスミと朱色だ。余白も作ろう。文庫コーナーでひときわ異彩を放つデザインにしたい。
十回目のトライで、ようやく「おっ、これだ」というデザインが出来上がりました。
ロシア構成主義。実際の書店で、このように並べてくれたら手に持ったマグが真ん中に向かって、素敵なレイアウトになるのですが、なかなか難しいでしょう。「このデザインなら、帯も要らない」そう思ったのです。片岡さんにはこのデザインだけ見せました。「これがいい」と「が」を強調して応えていただきました。嬉しかったです。
行きついたのはロシア構成主義的なデザインでした。モノクロの写真にスミと朱色だけのデザイン。三文庫のイメージをこれで統一したい。読者が「いいね」と言ってくれるかどうかはワカンナイ。でも、このデザインは僕好みだ。自分が好きならいいじゃないか。僕は早速スケッチブックをオペレーターに見せて、
「この通りにデータを作成してほしいのです。寸分違わずこの通りに」
とお願いしました。僕は切り貼りで「手作り版下」は作れますが、それだといまの印刷所では受け付けてくれません。デジタル・データで入稿しないとダメなのです。時代は変わったけれど、僕自身は進化が止まったままです。でもいいんだ、もう遅い。
そうだ、片岡さんにデザインを見てもらおう。片岡さんは通常、自作の装丁を事前にチェックしません。理由は「見ると直したくなるから」。怖いですねぇ。でも僕は必ず事前に見せちゃう。今回も三文庫のデザインPDFを出力して、見てもらいました。僕は見せるときに、
「片岡さん、これでいいですよね?」
と、思わず口にしてしまいました。言い終えたとき「しまった」と思いました。
「これでいいですよね」というフレーズはよくない。「これでいい」の「で」は、妥協の産物です。片岡さんも『珈琲が呼ぶ』の中でこう書いています。
“他にないからこそ、これでいいか、なのであり、他にない、という合意をした人たち全員に「で」はかぶさる。他の可能性をさぐる作業を、全員の合議として停止した結果の、これなのだ。”
名言ではありませんか。ところが、というか、はたして、というか、片岡さんの反応は、
「これでいい、じゃない。これがいいよ」
でした。よぉし、やったぜ。僕と片岡さんが「これがいい」と思うなら、何の問題もない。
三文庫のデザインはこれで決定だ。ところが思わぬ事態が待っていたのです。
第3回 帯モンダイ、販売モンダイ
僕を待ち受けていた思わぬ事態は「帯モンダイ」でした。
カヴァー・デザインを終えたあとで考えたのは、
「この三文庫に帯は要らないのではないか」
ということでした。あの文庫に巻かれている無遠慮で醜悪な帯のデザインに僕は辟易していたのです。カヴァーの色使いとはまったく調和しない唐突な色地に、大きな文字で煽り文句、惹句を入れている帯の多いこと多いこと。
「映画化決定!」「ドラマ化決定!」などは、もうウンザリです。だからどうしたって感じ。
「50万部突破!」などは、よく見ると小さく「シリーズ累計」と書いてあります。セコイ。
「ラスト1行に驚愕!」なぁんて煽りを見たときには、
「じゃあ、ラスト1行だけ読めばいいじゃん」
とも思いました。まあ、作り手の狙いは「カヴァーのデザインを壊してもいいから、とにかく書店で目立てばいい」ということなのでしょうね。大抵の帯は、ひとことで言って「下品」です。あんな帯なら巻かないほうがいい。そう思いました。
僕は「片岡義男さんの三文庫には帯は要らない」と、販売部と文庫編集部に主張しました。ところが返って来た答えは、
「新刊文庫には帯を巻いていただかないと……。帯は重要な販促ツールですので」
という、ごくごく常識的なものでした。ここでいつもの僕なら、
「新刊には帯を巻かなければいけないと、国会で決まったのか?」
「そんな条項が日本国憲法のどこに書いてあるの?」
と、因縁をつけて社内を混乱させてしまうのですが、今回は最後の仕事ということもあり、どうせならこの三文庫の刊行を、ほんの一部でもいいから社内のヒトに祝福されるような存在にしたい、との思いがありました。いろんな部署と摩擦を繰り返して作った過去の単行本は、
「またシノハラさんが勝手に作ってら」
と、社内ではあまりいいイメージとして受け入れてもらえなかったのです。まあ、どの本もよく売れましたからいいんですけどね、今回は譲るとことは譲ろうと殊勝にも思ったわけです。
「ならば帯を巻いているようには見えない帯を作ればいいのだ」
と、僕は考えました。カヴァー・デザインを壊さずに、それと溶け込むような帯にすれば文句はあるまい。ううむ、やはり僕は憎たらしい奴だなぁ。そして出来上がったのが、このような帯でした。
「売る気があるのか?」
と、また社内で反発を受けそうなデザインになりましたが、ここでも「自分好み」「自分が美しいと思う」ものを優先するという最初に決めたポリシーを、譲歩しながら実現できたと思っています。
「これが譲歩と言えるのか」
というご意見もあるかと存じますが、帯はきちんと巻いているわけでして、ハイ。
帯のデザインで、とにかく意識したのは「帯が巻いてあるようには見えない帯」
「つまりはカヴァー・デザインをぶち壊さない帯」ということでした。
こんな素っ気ない帯、あまり見かけないのでは。
「帯は徹底的に泥臭く、とにかく売れるように煽れ」という風潮へのささやかなレジスタンス、いや、ルサンチマンかもしれません。
僕は三文庫の帯を巻いたヴァージョンを並べて、発刊に動いてくれた販売担当の取締役に見せました。彼の感想は、
「うーん……またずいぶんと尖っていますねぇ。攻めましたねぇ」
でした。そしてやや考えたあと、彼は、
「このデザインなら、3冊一気にまとめて出してしまいましょうか」
と言いました。そうなのです、それを僕は悩んでいたのです。
どう考えても、本が売れない現在の常識は「3冊毎月連続刊行!」です。だけど、この三文庫をまとめて書店の平台に並べると、壮観なのは間違いありません。しかし、です。光文社は毎月10冊くらいの新刊文庫を出しています。その10冊のうち、文庫編集部員でもないこの僕が作った3冊が占めてもいいのでしょうか。でもチビチビと毎1冊ずつ出すより、統一されたカヴァー・デザインの3冊を書店に並べるほうが、僕としては嬉しい。
「よし、3冊一挙刊行で勝負しようぜ」
僕は取締役にそう言いました。かなり思い切った作戦です。
3冊並べると、おお、壮観ではないですか。3冊揃えたくなります。
自分で言っても仕方ないのですが……。
さあ、これで三文庫の外回りは決まりました。次は肝心の中身、つまりは本文の工夫に取り掛からなければなりません。単行本は4冊とも1行あたりの字数、1ページ当たりの行数がバラバラでした。これを文庫の字組みのフォーマットに統一しなければなりません。
ところがここに問題がありました。単純に文章を流し込んでいくと、本文中に差し込んだ写真の位置がズレてしまうのです。写真はすべて片岡さんが書いた文章とぴったり寄り添う位置に置かれていないといけません。この写真位置修正が思った以上に大変でした。なにしろ僕はアドビのInDesign(DTPソフト)が使えません。すべて文字の組み変えは手作業です。鉛筆でひとつひとつ文字を数えては行送りをしていき、絶妙な位置に写真を入れ直しました。この作業を3冊分終えたとき、実感できるほど僕の視力はガクンと落ちてしまいました。AIならあっという間に作業完了なのだろうなぁ。
さて、本文の組み変えが終了すると、ただ単に単行本を文庫化するだけでは飽き足りないなぁという思いが強くなってきました。何か文庫化に際して、特典、付録のようなものを付加できないものか、と。
3冊に共通しているのは音楽にまつわる話が多いこと。しかも具体的な曲名がたくさん出てきます。数えたら3冊合わせて200曲以上。これらの曲をすべて聴ける仕組みがあったらいいな、と思いつきました。単行本が出版されたときと今では時代が変わっています。当時は思いもよらなかったことが簡単に実現できてしまうのです。
第4回 「聴ける文庫」! BOXセットも!
三文庫を買っていただいた方に、何かサーヴィスというかプレゼントというか、そういうものが欲しいなと考えた僕は、3冊すべて、それぞれの本文中に登場する「曲」をすべて聴けるようにできないか、その方法をあれこれと探しました。
解決法はすぐに見つかりました。
僕が音楽を聴くときは、もっぱらCDかレコードというフィジカル・メディアです。配信サーヴィスの存在は知ってはいましたが、未体験。ところがちょっと覗いてみると、それらのライブラリの曲数は驚くほど多かったのです。でもって、ライブラリの中から曲を選んで自分だけのプレイリストを作れちゃうんです。あ、知っていましたか。ゴメンナサイ。
そして Spotify においては、、二次元コードを作って、それをスマートフォンにかざせばプレイリストが誰でも聴くことができるのです。これはいい。
僕は早速 Spotify に登録して、『珈琲にドーナツ盤』『珈琲が呼ぶ』『僕は珈琲』の本文に登場する曲を検索し、3冊それぞれのプレイリストを作成して、そこにアクセスできる二次元コードを作りました。案外時間はかかりましたが……。
この二次元コードとプレイリストを三文庫の巻末に掲載することで「読みながら聴ける」が、簡単に実現できるようになったわけです。文中に知らない曲が出てきて、その曲を聴きたくて、いちいち YouTube などで検索する手間がこれで省けます。いい時代になりました。
ちなみに『珈琲にドーナツ盤』のプレイリストは106曲、6時間2分。『珈琲が呼ぶ』は58曲、3時間6分、そして『僕は珈琲』は38曲、2時間6分です。ぜひ文庫の巻末に掲載した二次元コードをご利用ください。読みながら聴くのは、控えめに言って、とても楽しいですよ。だって想像してみてください。高倉健が歌う『唐獅子牡丹』の次の曲はジョン・コルトレーンの『至上の愛』だったりするんですから。このカタオカ・プレイリストは中毒性があります。
文庫巻末に掲載されている二次元コードにスマートフォンをかざせば、このようなプレイリストが一発で現れ、いちいち検索することもなく、物語に登場する曲を簡単に聴くことができます。便利な世の中になりましたね。新しい読書体験が味わえます。
そうだ、書き忘れていました。
単行本時に収録した写真、図版を文庫に流用するのには、とっても骨が折れました。
複数のフォト・エージェント、出版社、映画会社に連絡して、許可を取り直さなければなりません。
「単行本を文庫にするだけだから、使用料金をまけてくれませんか」
「いえ、それはまた違う本とみなされるので、通常料金となります」
このやりとりがほとんどでしたが、なかには、
「うーん、そういうことでしたら半額で結構ですよ」
と言ってくれるエージェントがあったりして。名前は明かせませんが、ここで深く深く感謝を申し述べます。そして、片岡さんは文中に歌詞をあれこれ引用しているので、JASRACにもまたイチから許可を取らなければならなかったのでした。お金もそれなりにかかりました。さあ、言ってはいけないことを今から言います。ああ、チョーめんどくさかった。
そうこうしているうちに、販売部から提案がありました。
「3冊をBOXセットにして、数量限定でリアル書店に置きたいと思うのですが」
僕は尻尾をブルンブルンと振って、クルリと一回転しながら「ワンワン!」と吠えました。とても嬉しい話です。3冊をまとめ買いしていただくかた方にとっても同感なのではないでしょうか。
「BOXのパッケージ・デザインもオレがやっていいよね?」
「もちろんです」
僕の尻尾はさらに勢いよく振られました。三文庫のカヴァー・デザインを反映するかたちで、インパクトのある写真を使って、愛蔵版として本棚に飾ることも可能なBOXを作るべく、3日間にわたって素敵な写真を探しました。これがあるようでないんですねぇ。「おっ、これは」という写真が見つかったのは、3日目の夜。あの世界的に有名な女優がほぼスッピンで、パーマをあてながら珈琲を飲んでいるカットに辿り着きました。
さあ、この写真をどうトリミングするか。悩んだのは、有名女優が頭に被っているパーマの「お釜」。このお釜を半分くらい切ったほうがいいのか、それとも全部見せたほうがいいのか。半分ほど切っても、僕らの世代なら、
「ああ、懐かしい。美容院で昔見かけたパーマのお釜だな」
と、わかるのでしょうが、今の人たちはキョトンとしてしまうかもしれません。それなら、お釜を全部見せたほうが「異様な写真」に感じるだろう、そう判断した僕は、思い切って写真の「天」をすべて見せることにしました。デザインは文庫のカヴァーを踏襲して、朱色とスミのリボンをあしらい、箱の上部に片岡さんのサインを置きました。
写真のトリミングも悩みましたが、BOX裏面のデザインも手を抜くことなく、丁寧に作ったつもりです。片岡さんのサインも上部に入っています(直筆を印刷)。
「3冊まとめて」でしたら、BOXセットがおすすめ。
数量限定、早い者勝ちなので、ぜひリアル書店でお問い合わせくださいませ。
こうして産みの苦しみを経て、BOXは完成しました。このBOXは数量限定で、一部のリアル書店に置かれます。ところで、このパーマをあてている有名女優は誰でしょうか。答えはBOXの底に印刷されていますので、どうかお楽しみに
《最終回に続く》
最終回 果てしなき校正、書店用POPも作成
三文庫の本文校正作業には苦労しました。
「単行本時の本文をそのまま文庫の体裁に流し込めばいいだけでしょ?」
と思われるかもしれませんが、さにあらず。じっくり文庫のゲラを読み込んでいたら、情けないことに、3冊の単行本で合計4カ所の誤植が発見されました。申し訳ございません。当時は穴が開くほど読み直していたつもりなのに……。文庫では完璧に直っていると思います。「思います」と書いてしまうのがまたまた情けないのですが……。
『珈琲が呼ぶ』と『僕は珈琲』はエッセイですので、すべて時制は2025年に直しました。すると「いまから〇〇年前」という箇所もすべて修正しなければなりません。これが思いのほか、神経を使いました。
初校で赤を入れ、再校で赤を入れ、念校でも赤を入れました。初校を戻したとき、
「これで完璧だ。再校では直すところはないだろう。再校はまったく赤が入らないままで戻せるに違いない」
と思っていたのですが、再校でも間違いや行変えしたいところが見つかり、また赤字で修正です。
「これで最後だ。念校はそのまま戻せる」
そう確信したのですが、その念校でもチラホラと赤が入る始末。いつまで経っても校正作業は終わりません。僕の注意力の問題なのでしょう。ようやく赤が入らずに戻せたのは、念校の念校(再念校ですね。そんな言葉があるかどうかはわかりませんが)。計10回も三文庫を食い入るように読み込みました。
「3冊まとめて」読み込んでチェックしていくのは、なかなかにタフな仕事でした。
繰り返し読めば読むほど、気になる箇所が新たに出てきて、そのたびに赤を入れるかどうか
悩みに悩むのです……。 これで編集作業は完了。あとは宣材を作ります。
新聞広告が出るのは残念ながら僕が退社したあとなので、手を付つけることは叶いませんでした。そのかわり、X(旧Twitter)で流すプロモーション・ヴィディオや、書店に飾っていただく販促用のPOPも自分で作りました。
プロモーション・ヴィディオは、この片岡義男.comのXや僕のアカウント(@JJshinohara)でもご覧いただけるかと存じます。ぜひ見てくださいませ。冒頭、片岡さんご本人が意外な「出オチ」を披露してくださいます。これでつかみはバッチリです。
どのようなヴィディオの構成にするか、絵コンテをフリーハンドで描きました。
PV用の、いちばん初期の絵コンテなので、きわめて乱暴に描いてあります。
実際に動画が出来上がると、間延びしているところ、逆にもっと尺を伸ばしてきちんと伝えたいカットなどの粗が見えたので、ここからドラスティックにカット割りを変えました。
僕は動画の編集がまったくできないので、社内の詳しい人間に手を貸してもらいました。絵コンテを見せて、
「こんな感じで動画を編集してくれ」
と頼み、何回も何回も注文をつけ、リズムを重視して、尺を調整し、ようやく出来上がりました。自分で言うのもおこがましいのですが、素敵な仕上がりになったかと思います。
さて、残るは書店用のPOPです。文庫3冊を平台に置かれるとして、その場所にはがき大のPOPを飾ってくれるのか、くれないのか、それはそれぞれの書店さんの判断です。
「書店さんが思わず飾りたくなるPOP」って、どういうタイプのデザインなんだろう。そこから始めました。
世の中の書店用POPをつぶさに見ていくと、必ず書名と著者名が入り、表紙のヴィジュアルの一部、あるいは全部が使われているものがほとんどです。つまりは大部分が同じパターンなのでした。
「これじゃつまらないよなぁ。並んでいるPOPの構成は、あくまで本のカヴァーの延長線上で、要素がほとんどカヴァーや帯とダブっているもんな」
そう考えた僕は、まず書名をPOPに入れることをやめました。三文庫の書名すべてをはがき大のPOPに入れ込むと、それだけでスペースを占領してしまいます。
これら三文庫のいちばんの売りは何か。それはもちろん片岡さんの筆致、つまりは「中身」ですが、単行本をすでにお持ちのかたでも、もう一回文庫版を手に入れて読み直したいと思っていただけるのは「読んで聴ける」「読みながら聴ける」点ではないだろうか。よし、思い切ってPOPはその一点突破でいこう。あとはデザインです。
僕はかねてから、
「ドン・キホーテのPOPの破壊力は凄いなあ」
と思っていました。圧倒される、と言ってもいい。商品を見る前に、有無を言わせずドドーンと目に飛び込んでくる、あの唯一無二の迫力。はがき大のPOPで、あの破壊力は出せないとは思いますが、あの独特の書き文字をパクりたい、いや、オマージュしたい。そう考えたのです。あの書き文字書体は書店では絶対にお目にかかることはないはずですし。
しかし、ドン・キホーテ風のPOPを飾ってくれるかどうかは、あくまで書店さんの裁量です。なかにはアレルギーを起こす書店員さんもいることでしょう。でも、僕は何種類かドン・キホーテ風のPOPを手描きしてみました。ドン・キホーテを徹底的に想起させるため、必死にパクり、じゃなかった、オマージュを払いました。なかには三文庫合わせての価格まで大きく描いたものもあります。赤の文字で価格を入れると、否が応でもドンキ色が濃くなりますが、販売部に見せたら却下されました。確かに露骨過ぎるし、そんな悪ノリしたPOP、見たことないですよね。でも、僕は「見たことがないPOP」を作りたかったのです(笑)。いまでも「価格入り」のPOPは本当にNGなのかなあと真剣に思っています。
僕はかねてからあのドン・キホーテのPOPをリスペクトしていました。
あの書体は絶対に書店では見かけません。あの書体のPOPが書店の棚にあってもいいじゃないか。そう思って、見様見真似で最初に書いたのがこれ。
あくまで「習作」の段階です。あの独特の世界観は一回書いただけじゃ再現できません。
「やっぱりドン・キホーテ風を完コピするなら、値段をいれなくちゃ」と思い、3冊合わせての値段をドーンと入れました。完璧だ、と思ったのですが、販売部の関係者から一斉に「これはちょっと……」の声が。
書物の価格を押し出すのは、文学を否定する行為なのかな。どう思われますか?
最終的に着地したのがこれ。もっと書いたら、もっと上手に再現できそうな気がしてトライを重ねたのですが、僕の腕ではこれがベストでした。書名もあらすじのコピーもカヴァーを反映したヴィジュアルも入っていません。
「POPはこのドンキ風でいきたいなあ」
そう販売部に話すと、
「普通に、というか、ちゃんとしたフォントを使ったパターンも作ってください。POPを裏表印刷にして、ドンキ風を選ぶか、普通のものを選ぶか、書店さんに決めてもらうのです」
仕方なく、というか、尖ったものばかりではなく中庸なものも必要だよな、と思った僕は、穏健なデザインのパターンも作りました。こちらだってじゅうぶん尖っているとは思いますが。
販売部からのリクエストで作ったPOPがこちら。
これでも他のPOPと比べたら、ギトギトしていないと思います。
書店員さんはこっちを選ぶのかなぁ、それともPOP自体を飾ってくれないのかなぁ。
丹精込めて作ったからといって、飾ってくれるものでもないし……。
できればお願いしまーす。
さて、書店さんはどちらのパターンを選ぶのか。そもそもPOPを飾ってくれるのか。不安な僕でございます。でも、ベストは尽くしました。いいんだ、それで。
「片岡義男は文庫が似合う」
そう思うのは僕だけではないはずです。どうかこの三文庫、手に取ってくださることを願ってやみません。
ここまで読んでいただき有難うございました。私事で恐縮ですが、週刊誌、月刊誌、ムック、単行本、そして文庫と、43年間ダラダラと編集してきたシノハラ最後の仕事でございます。どうか宜しくお願い申し上げます。
篠原恒木
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